第238話 降り出した雪に濡れて
刃が抜けた瞬間、新たに作られた胸の傷口から鮮血が噴出。雪原に幾度目かの赤い花を咲かせていく。
ついにラヴァナメルの身体から力が抜け、背中から地面へと倒れた。
初めて“獣人の王”が大地に倒れた瞬間でもあった。
だが、一撃を繰り出した当のショウジは、『神剣』を振り抜いた姿勢から棒立ち状態となり、呆然と立ちつくしていた。
「サダマサ、お前……」
ラヴァナメルにトドメを刺さなかったのは、こうなるとわかっていたからだな?
喉元まで出かけたそれを、俺は必死で押し止めた。
あくまでも推測だ。何もわからないうちから安易に口走るべきではない。
「…………」
強い視線を向けて放った俺の言葉に、動く気配すら見せなかったサダマサは無言のままだった。
大太刀こそ握ったままだが、身体からはすでに“戦いの気配”が完全に消えている。それが何よりの証左だった。
「誰しも、“生きたいと願う場所”を己に問い続ける」
放たれた声はどこまでも冷静なものだった。
「それがアイツにはなかったと?」
「捨ててしまったんだろうな。もはや問答程度ではどうにもならない。ならば、“朽ちるための場所”を用意してやるのも戦った者の務めだ。当人が望むなら尚更にな」
誤魔化すつもりはないのだろう。
ぽつりと言葉を漏らしながら、サダマサは倒れたラヴァナメルへと視線を向ける。
双眸に浮かぶのは幾度となく立ち会ってきた景色を見るような感情だった。
「どういう意味だ……?」
未だサダマサの真意を測りかねている俺は、問いを投げかける。
「あとは見ていればわかる。俺たちの役目はもう終わった」
サダマサは多くを語らない。
これ以上、会話を続ける気はないとひと言だけ残し、背を向けて歩き出す。俺は視線で行方を追うが、雪原を歩くサダマサの足はすぐに止まった。
戦いが繰り広げられる中で、いつしか雪に埋もれかけていた鞘を探していたのだ。
拾い上げた鞘からサダマサはそっと雪を払うと、この激闘を支えてくれた大太刀の刀身をそこへゆっくりと納めていく。
それは、この場において自身がもう剣を振るうことはないと主張するようでもあった。
「なぜだ……。なぜあんな真似をした……。お前、イリアを害するつもりなんてはじめから――」
問いかけるショウジの声に、俺は意識をサダマサからそちらへと向ける。
少年が発したのは押し殺した叫びだった。
血に染まった『神剣』を握ったまま、ショウジは喉の奥から絞り出していた。
まるで斬られた側がこぼす鮮血のような言葉に聞こえた。
ティアに目配せをして、俺は肩を借りながらそちらへと近付いていく。
「……フン……当たり前だ」
倒れたラヴァナメルは小さく鼻を鳴らし、未だ手に握っていた短剣をすぐそばへと放り投げた。短い言葉とともに。
「自分の愛した女に……そのようなことができるものか……。相手の心の中に、自らが存在していなかったとして、それだけで、なぜ愛する相手を殺すことができるのだ? そんな、ものを……愛とは呼びはしまい……」
一瞬だけイリアの方に視線を向けた後、ラヴァナメルは未練を断ち切るように雪の舞う空へと視線を戻す。
それから、男はゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「イリアの中にいる存在が貴様だとは……対峙した時に気がついていた。そして、俺がもう、存在して、いないことも……。俺は、世界がどうなろうが、それこそ獣人の行く末でさえどうでもよかった……。ただ、イリアと引き裂かれ、失われた時間を、取り戻したかっただけだ……」
一軍を率いた将の言葉ではなく、ひとりの男の独白だった。
雪に触れるラヴァナメルの手が握り締められ、雪の大地に爪の後を残す。
「だが、それさえも、もう――――」
ラヴァナメルの言葉は途中で途切れた。
そこから先は、頭で理解していても口に出したくはなかったのだろう。
「小僧、『勇者』とはいえ、貴様は弱い。イリアとともに、歩く意志があるならば……是が非でも強くなって貰わねばならない」
俺はラヴァナメルの真意を理解した。
ショウジもまた同様の表情を浮かべていた。
突きつけられたラヴァナメルの言葉によって、内心で荒れ狂う感情で黒の瞳が大きく揺れ動く。
唇が幾度か小刻みに震えるが、ショウジは言葉を放つことができない。
「……何も言うな。このまま、俺にとどめを刺せ」
「それは――」
「貴様が『勇者』であるなら、『魔王』として、覚醒した魔力を吸収すれば、今よりは強くなれる」
いつしかラヴァナメルの周囲の雪は、流れ出る血によって赤く染まっていた。
出血がひどい。
“魔王化”していてもこれほどなのだ。常人であればとっくに死んでいる。
「ラヴィ……!」
瀕死のラヴァナメルの下にイリアが駆け寄ってくる。背後にはサダマサの姿。
見えないと思ったら拘束を解きに行っていたらしい。
もしかしてだが。
サダマサは、俺たちに向けてラヴァナメルが胸中の想いを語るための時間を見計らっていたのかもしれない。
少なくとも、あれはイリアに聞かせるべき内容ではないと判断したのだ。
「どうして……」
悲哀のこもった声でイリアは問いかける。
「……イリアか。俺は、もう、疲れた。お前を欠いた世界は地獄でしかなかった」
ラヴァナメルは問いに答えない。独白のような言葉だけを発すると、イリアに向けた視線を逸らした。
この期に及んで未練を覚えないための拒絶の意思なのだろう。
「もし……貴様らがこの閉ざされた地獄を変えたいなら、意地を押し通せるだけの武威が必要となる」
最後の力を振り絞るように、強い口調で言い切るラヴァナメル。
ショウジだけにではなく、俺をも見つめるラヴァナメルの顔には自身が果たせなかった想いが浮かんでいた。
瞳に宿る意志の炎だけはまだ完全に消えてはいなない。貫こうとした意志、その残滓の輝きだった。
「言葉で語り合うことを捨ててしまった俺には成し遂げられなかったが……それだけの力を持つ仲間がいたなら――いや、よそう。これ以上は、敗者の、語るべきことではない……」
少しの間だけ虚空を眺めた後、ラヴァナメルは自嘲するように小さな笑みを浮かべた。鮮血が口からこぼれる。
瞬間、戦いの中でも降り続いていた雪が、強くなったような気がした。
「それは……」
俺はラヴァナメルの顔に浮かんだ影に歪んだ憎しみを見た。
生まれついては隔世した白虎の血で、死の淵をさまよってからは目覚めた力により、この男は他人と共に歩むことができなかったのだ。
それは精神の在り方を少しずつ歪ませていくには十分な要素となったに違いない。
唯一心を交わせたイリアの生死不明がトドメとなったことは想像に難くない。
むしろ、世界を憎まずに済む方が異常なくらいだ。
「我らは、生まれながら“呪い”に縛られている。種族――血と因習の呪いだ。その“呪い”を持つ者はこれからも現れるだろう。今、時代は岐路を迎えている」
自身がそうであったように、とラヴァナメルは語る。
予言者気取りかと一笑には付さない。
男の語った片鱗を、俺はすでに身をもって理解していた。
「“呪い”により縛られてしまった者は、他者を信じられない。ただ、湧き上がる衝動を、破壊や破滅に置き換えてしか示せない。だから、妖魔のような生き方しか選ぶことができず、そのようにしか死ぬこともできなくなる」
いつしか、ラヴァナメルの目は俺を見ていた。それがある男と重なった。
「悲しすぎるな」
「ああ」
これからもきっと、俺はこのような場に何度も遭遇するのだろう。戦うと選んだ生き方ゆえに。
「……だが、そうであったとしても、俺たちには続けることしかできない」
いつしか言葉が続いていた。
無意識的の産物だが、同時に決意を確かめていたのだと思う。
自身の想いを突き通すのは、同時に他の誰かの想いを踏み潰すことでもある。
そう、俺たちは屍を積み上げながら進まなくてはならない。
「……そうだ。それを含めての、“呪い”だ。……だが、俺は後悔していない。もし、こうしなければ、きっと――――」
言葉を切って、ラヴァナメルはイリアを見る。
この場にいる誰もが、その先を聞く必要はなかった。
「もう、終わらせて、くれ――。いざそうなると、思ったより……怖い、ものなのだな……」
小さく笑みを浮かべているものの、ラヴァナメルの言葉は震えていた。
恐怖からくるものなのか、それとも血液を失った生理現象なのか、俺にはわからない。
はっきりとさせたいとも思わなかった。
視線を向けると、ショウジは立ちつくしたままでだった。
『神剣』を握る右手は依然震えていたが、それを俺は見なかったことにする。
ラヴァナメルにとどめを刺せば、ショウジはさらなる力を得られ、この世界で生き残る確率も飛躍的に高まるだろう。
仮にも“魔王化”を遂げ、サダマサが本気に迫る力を発揮せねば倒せないような相手だ。
その力を吸収すれば、今回のようなことからイリアを守ることができ、またラヴァナメルのような敵を相手に戦えるかもしれない。
そのためには、心から憎んでもいない相手の息の根を止めなければならない。戦場で相見えた敵を倒すのとは意味合いが違う。
戦いとはなんと救いのない行為なのか。
だが、それでも俺たちは前に進むしかない。
しかし、それはあくまでも自分に限った話だ。
たとえ仲間であっても、無理にやらせるような真似を俺には選択できない。
これは“大局的に見れば”必要なことなのだろう。それは理解できる。
だが、そうまでしなければならないものなのか、と疑問を呈する感情も存在していた。
……俺はサダマサほど割り切れなかった。
ショウジにそんなことをさせるくらいならと俺は腰のHK45Tに手を伸ばしたが――それは横合いから伸びてきたショウジの手にそっと止められた。
「ショウジ、お前……」
思わず俺はショウジに視線を向ける。
「クリスさん、ありがとうございます。……でも、これは俺がやらなければいけない」
ショウジの目が、正面から俺を見据えた。
「これは俺の問題でもあります」
「だが、お前が――」
「俺はシンヤの時のように、誰かに任せて何もしないのはイヤなんです。俺は、あの時からこの世界で生きると決めた人間――当事者です。いつまでもクリスさんたちにおんぶにだっこだったんじゃ、俺はきっとこの先前に進めない人間になってしまう。もし『勇者』として生きることで大切な人を守れるなら、俺はその道を選びたい……!」
俺に向けたそれは覚悟を決めた目だった。
『神剣』を担う『勇者』として白虎に飛び込んでいくと決めた時にも垣間見ていた。
しかし、俺が思っているよりもずっと、ショウジは自分なりの生き方を選ぼうとしているのだ。
何者かに選ばれたから『勇者』なのではない。
『神剣』を担うから『勇者』なのではない。
自身の運命に翻弄されながらも、自らの意思で戦うと決めたからこそ『勇者』となり得る。
「……なら、俺が出張ることじゃねぇな」
HK45Tから手を離して後方へ退くと、事態を見守っていたティアがそっと手を握ってきた。
黙ったままなのも含めて彼女なりの気遣いなのだろう。
「……すみません」
ひと言だけ残し、肩の雪を払ったショウジが一歩前に進み出る。
そうしてラヴァナメルの傍らに立ったショウジは、逆手に握って掲げた『神剣』の切っ先を男の心臓に向ける。
先ほど震えは、もう見られなかった。
「決めたか……」
『勇者』に向かって語りかけるラヴァナメル。もう目の焦点は合っていなかった。
「そうでなければ、俺にイリアは守れない」
「その決意、忘れるな……」
静かに目を閉じたラヴァナメルはそっとつぶやいた。
それもきっと、死に行く者が遺すある種の“呪い”の言葉だった。
リクハルドの時にも見たものだ。
不思議と穏やかに見えたのは、俺も“同じような立場”に立っているからだろうか。
いつかは自分もそうなるのか。そんな思いが心の奥底に生まれるが、俺はそれを振り払う。
――いや、そうはならない。ならないために戦い抜くと決意をしたのだから。
ふたりの近くで無言で佇むイリアも、目を逸らそうとはしない。
人の生き死にが誰も彼もを巻き込んでいく。
だれだけ進歩を遂げたように見えても、人間はひとりでは何もできない生き物のままなのだろう。
「……忘れる――忘れられる、もんかよ……」
絞り出すようなショウジの言葉。
その目がラヴァナメルから逸らされることはない。
「そうか。それならいい……」
ショウジの刃が、ラヴァナメルの心臓へと振り下ろされた。
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