第237話 本当はとても心は脆く(後編)
一度は手から離れた黒の大剣を握り、ふらつく身体で強引に立ち上がろうとするラヴァナメルの姿は、さながら幽鬼のようですらあった。
チラリと横たわる白虎の巨躯へと向けられた瞳には、複雑な感情が混ざり合って存在しているようにも見えた。
それがどのような感情か、俺には察することしかできない。ラヴァナメルもまた語ろうとはしないだろう。
「ラヴィ、もうやめて! 終わったのよ! これ以上、戦う必要なんて――」
「この身体はどうも難儀なようでな……。少しの傷ならすぐに塞がってしまう」
イリアの叫ぶような制止の声を遮り、ラヴァナメルは一歩前に踏み出す。
拘束されたままのイリアには、それを止めることができないが、同時に表情がすべてを察したように固まっていた。
イリアが理解したように、俺にもヤツの意図がわかった。
ラヴァナメルのそれが、最期に見せようとしている男の意地だと。
“魔王化”により身体能力が著しく引き上げられたことで出血はひどくはないものの、サダマサに刻み付けられた傷は塞がってはいない。
はっきり言って、致命傷が重傷になっただけで生きているのが不思議なくらいだ。
「まだ戦おうって言うのかよ……」
ようやく終わったと思っていただけに、余計に強い衝撃となったのだろう。
起き上がったショウジが、信じられないものを見るような目でラヴァナメルに視線を送っている。
「もう……もう十分だろ! どれだけ血を見ないと気が済まないんだっ!」
ラヴァナメルに向かい、ショウジは怒りもあらわに叫ぶ。
男は応えない。
未だショウジを対峙するに値する存在と思っていないのか、彼の視線は少年には向けられていなかった。
この時点で俺にはラヴァナメルの行動の裏側にある感情が理解できていた。
「よせ、ショウジ」
自分を見てもいないことに激昂し『神剣』を片手に進み出て行こうとするショウジを、ティアの助けを借りて立ち上がった俺は短い言葉で制止する。
「止めないでください。どうしてもやるっていうなら、俺が――」
「そうじゃない。アイツにはもう“決着”をつけるしかないんだ。でも、それは――お前でも俺でもない」
戦いですべてを失い敗軍の将となったラヴァナメルに獣人たちはもはや従わない。
「そこな小僧はわかっているようだな……。あまりにも多くの死者を出し、『守護者』さえも失う最悪の結果をもたらした俺に、もはや生きる道は残されていない……」
俺たちが戦いに介入した結果でもあるが、俺自身は負い目などの感情は微塵も感じていない。
ラヴァナメルの南進策では、遅かれ早かれ限界を迎えていたはずだ。倒される相手が俺たちか、あるいはノルターヘルン本領軍の圧倒的な数の前か、それが違うだけで似たような結末になっていたと思う。
「これは……どこまでも“運”がもたらした結末だ……」
ラヴァナメルが濁った声で自嘲した。
リクハルドの時もそうであり、俺自身も例外ではいられないが、皆この時代に生まれ、動き出した世界の潮流の中で自身の意地を通すために立ち上がった者なのだ。
一度その立場に足を踏み入れたならば、あとは持てるカードと実力、最後に“運”がすべてを左右する。
「俺は意地を通そうと戦い敗れた。ただそれだけだ」
それ以上でもなければそれ以下でもない。
どのような美辞麗句や高潔な思想を並べようが、戦いに勝った者だけが自身の望みを叶えられる。
だからこそ、ラヴァナメルをここで
これ以上の戦いに意味がないとわかっていても、ヤツは止まらない――――いや、止まることができないのだ。
すべてを大団円で終わらせることのできる“都合のいい力”を持たないがゆえに。
「――では、相手をしよう」
静かに前へ進み出たのはサダマサであった。
先ほどからラヴァナメルが視線を向けていた相手でもある。
当然、サダマサはそれに気がついていたらしく、すでに大太刀の柄を握りしめていた。
……妥当だ。まるで歯の立たなかった俺やショウジの出番ではない。
いざ相手が弱り出したからと、嬉々として出て行くようでは小物以下の振舞いだ。
「まだ終わっていないと言うのであれば、俺が相手をせねば納得はしまい」
「……感謝する」
是非もなしとただ剣のみを八双に構えるサダマサに向けて、ラヴァナメルは小さくつぶやいた。
「言いたいことがないわけではないが、あいにくと戦場での問答は好みではない。――――来い」
「貴殿の配意、ただただ痛み入る。……さしあたっては、一合での決着を望む」
ラヴァナメルが大剣を正眼に構える。
大剣の柄を強く握りしめ全身を戦闘態勢に移行させることで脇腹の傷口が開き、流れ出る血が雪の大地に零れていく。
零れ落ちる生命の証を無視し、持てる力を振り絞たラヴァナメルは脇構えに移行しながら彼我の距離を詰める。
対するサダマサも、迎え撃つべく静かな足の運びで進んでいく。
「……ガァァァァァァァァッ!!」
裂帛の気合とともにラヴァナメルの大剣が唸り、雷のような振り下ろしが放たれた。
正面からの一撃を、サダマサは手首と肘の動きだけで横へ滑らせた刃を掲げ受け止める――と見せながら再度両腕を返し、ラヴァナメルの大剣を右手側へと受け流した。
剣を終着点へと導くような動き。あまりにも流麗な動きに、それを受けた当のラヴァナメルでさえ何が起きているのか瞬時に理解できなかった。
「……『
短く言葉を発し、翻ったサダマサの大太刀が閃く。
俺たちが戦った時にはあれほどの頑強さを秘めていた鎧も、先の戦いで限界を迎えていたらしい。
大太刀の威力に耐え切れず、肩口からの斬撃を受けて連鎖反応を起こすように砕けてしまう。
勢いを緩めない大太刀の刀身は、左肩口から露わとなったラヴァナメルの肉体へと袈裟懸けに喰らいつき、胸部を斜めに横断しながら右脇腹に抜けていく。
「そうか。やはり……負けか……。そうだ、これでいい……」
口腔から血を溢しながら、新たな傷を負ったラヴァナメルは大剣を支えに膝をつく。
見届けたサダマサは、軽く血払いをして身を翻してこちらへと戻ろうとする。
「……?」
――――妙だ。
サダマサがトドメを刺すつもりがないことに違和感を覚える。
「……だが、このままでは……!」
振り絞られた獣の声に思考が中断。
身体に走る新たな傷口から血が大量に流れるのも厭わず、再び立ち上がろうとするラヴァナメル。
手には、今の今まで使わずに隠し持っていたと思われる短剣が握られている。視線の先にはイリアの姿があった。
「コイツ、まさか……!」
最後の最後にイリアを巻き添えにするつもりか……!
咄嗟に腰のホルスターからHK45Tを引き抜くが、俺のその動作より速く飛び出したのはショウジだった。
「ほぅ……」
横手で感心したような声を漏らすティア。
重なる違和感の中、俺はHK45Tの銃口を掲げながら思考を巡らせる。
本当ならショウジは自身の手で決着をつけたかったのだろう。
ラヴァナメルとの戦いの中、何もできなかった無力感だけが残っていたはずだ。
イリアへの想いのみならずその敗北の痛みもまた、ショウジを突き動かす原動力となったのかもしれない。
「やらせるかぁぁぁぁぁぁっ!!」
腹の底から出た絶叫のような声が響き渡る。
白虎との戦いで受けたダメージが残っているであろうに、瞬く間に魔力を全開にして彼我の距離を詰めていく。
少年の姿を視界に収めつつ、俺も一切躊躇することなくラヴァナメルに向けたHK45Tの引き金を引いた。
連続する銃声とともに援護のために放った.45ACP弾が、短剣を投擲しようとしていたラヴァナメルの身体へと容赦なく撃ち込まれていく。
鎧がなければ白虎のように拳銃弾は防げない。着弾の衝撃に虎の身体が震えるが、それでもラヴァナメルは獰猛な表情のまま倒れない。
「倒れろぉぉぉっ!!」
ラヴァナメルが動くより速く、ショウジは自身のすぐ真後ろに放った無属性魔法の反動を利用して一気に加速。
全力で大きく踏み込んでから、『神剣』の一撃を上段から振り下ろす。
サダマサとの戦いで鎧が砕けた今となっては、何発も撃たれてることも相まってその一撃は確実に致命傷となる。
肩口から雁金を狙うようにして喰らい付く『神剣』。それが猛毒となってラヴァナメルの抵抗力を奪っていく。
だが――――それでもラヴァナメルは膝をつかない。
返す刀で今度こそ仕留めるべく、ショウジが身体ごと旋回。鋭く閃く『神剣』の銀色の刃が地表へ落下する流星のように伸びてトドメの一撃となる。
瞬間、俺はラヴァナメルの顏に小さな笑みが浮かんでいると気付く。
この状況では異常にしか見えぬ男の意図を、刃が届く寸前に俺は理解した。
「あの野郎!」
すぐ間近にいたショウジも目撃していたに違いない。ひび割れてしまったようなその表情を――――
「おまえはっ……!」
少年は叫ぶも、一度ついた勢いは止まらない。
叫びながら横薙ぎに放たれたショウジの『神剣』は、ラヴァナメルの胴体を容赦なく斬り裂いていた。
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