第226話 とら✕どら(前編)


「数百年ぶりの挨拶代わりにしては、ずいぶんと物騒な振舞いをしてくれるものよのぅ?」


 目の前に立つティアが白い巨獣に向けて詰るような言葉を放った時、俺は完全に呼吸を忘れていた。

 不意を虚を突かれ殺されかけて動揺していたのもあるが、それ以上に俺は目の前に存在する偉容に目を奪われていたためだ。


『そのように小さき者どもの姿などしているからだ。貴様だと気が付くのに時間がかかったぞ』


 ティアに向けて巨獣はわずかに目を細めた。

 目の前の生物の感情らしきものが、脳へ直接ぶつけられる不思議な感覚によって、ようやく俺の呼吸が戻ってくる。


「これは?」


 ショウジが問いかけてきた。同時に不足していた酸素がようやく脳に回り始めた。


「……念話だ。高位の存在が使う魔法みたいなもんだ」


 目の前の巨獣は身体構造上、喉が言語の発声に向かないため、高位竜と同じく念話を使用するのだ。


「ただの魔物が出たってわけじゃ……ないんですよね……?」


「逆に訊くけどさ、あれがその程度のヤツに見えるか?」


「ですよねぇ……」


 前世の常識というか物理法則すら無視した巨大な姿は、まさに偉容にして“威容”と呼ぶべき存在だった。

 かつて竜峰アルデルートで目の当たりにした『神魔竜』たるティアの竜形態ほどではないが、全長10メートルを超える巨躯はもはや生物としても圧倒的の一言に尽きる。


 白銀プラチナの輝きを含む毛皮の美しさに思わず目を奪われそうになるが、そこから巨躯に宿る膨大な魔力が大気中へと放出されており、それが大気を通して俺の肌を刺激しているのがわかる。

 また、短剣の牙が並ぶ口からは冷気の息。

 この寒冷地においても視覚化するほどの極低温の魔法が発動しているからか。

 そして、それらの特徴よりもさらに目を引く物として、2本の大剣がごとく発達した大きく鋭利な牙が口唇から突き出しており、さながら虎と剣歯虎サーベルタイガー――いや、これはもう刀牙虎ブレードタイガーとでも呼ぶべき存在だ。

 ……それにしても大きすぎるわけだが。


「……おぬしにはわからぬであろうが、あの身体でいるのも何かと疲れるのじゃよ。それに、母なる大地に近くなければ“見えぬもの”があるからのぅ……」


 ティアの言葉にはどこか含みがあるように感じられた。


『……そうか。して、ティアマット。先ほどから貴様どういうつもりだ? 我が眷属を害した者どもを守るような振る舞いをしおって。……貴様、よもやそやつらを誅さんとす我の邪魔立てをする気ではなかろうな……!』


 それまでの口調から一変し、白虎びゃっこと呼ばれた巨獣が低い唸り声を上げた。

 同時に、その鋭い牙の並ぶ口腔から吐き出される猛烈な氷の息吹ブレスが強まり、ティアの展開した魔法障壁を喰い破ろうとする。


「ふん、つまらん真似を……」


 ティアが小さく鼻を鳴らした。

 久し振りの再開を果たした者同士――旧交を温める会話を交わしていたかに思われた両者だが、会話を続けている間も魔法による攻防が繰り広げられていたのだ。


 白虎の息吹を防ぐべくティアの両腕が掲げられる。前方で幾重にも展開された障壁が、青い光を散らしながら少しずつ崩壊を始めているのが見て取れた。


 一見すると、ティアが押されているように感じられるがそうではない。

 あくまでも彼女はこちらが態勢を立て直すための防御役に徹してくれているからだ。


 一瞬、ティアが稼ぎ出してくれた時間で、俺とショウジはすぐに追加の魔法障壁の展開を開始する。

 俺は様子を窺うに留めるが、ショウジはすでに『神剣』に魔力を込め始めている。


「それよりも邪魔をしてくれたじゃと? むしろこちらのセリフじゃぞ」


 ティアの声に苛立ちが混じる。


「白虎よ、おぬしこの地で起きた有様を見て言っておるのか……? よりにもよって、この大陸の者から擬似的とはいえ『魔王』同然の存在を生み出すなどという最悪の形をなぜ看過した……!」


 氷結の息吹に障壁を破壊されていくそばから、新たなものを展開して攻撃を防いでいたティアが怒りを込めて叫ぶ。

 それとともに結界が膨らみ、その厚みが増した分の氷結の息吹を押し返す。まさしく『神魔竜』の膨大な魔力量があってこそ可能とする技だ。


 背後のこちらが十分な魔力の障壁を展開したことを確認すると、ティアは魔法障壁の範囲を狭め、同時に掌から黒い炎を放出。

 すべてを焼き尽くす漆黒の炎が奔流となって白虎に襲いかかる。


『チィッ……!』


 全身の筋肉を駆使して大きく後方へと飛び退き、その一撃を躱す白虎。

 今回は周囲への被害をそこまで意識していないのだろう。輻射熱で射線上の雪が蒸発して湯気を上げていた。


『……黒の焔か。相変わらず“竜王の血”は厄介な力を持っておるわ』


 彼我の距離が遠くなったことで、あらためて俺は自分たちの目の前に現れた白い巨獣の姿を見る。

 そこで、俺はふとオルトと会話した中で耳にした言葉を思い出した。


「はぐらかさず答えよ、白虎! 我ら『守護者ヴェヒター』が、人類を見守ると盟約を定めた我らの立場、よもや忘れたとは言わせぬぞ……!」


 ……やはりそうか。

 コイツが『白銀の猛虎』と呼ばれた存在なのか。

 新たに判明した事実を受け、俺の背中を冷や汗が流れていく。

 いずれにしても、とんでもないモノを招き寄せてしまったわけだ。


 だが、ティアが問わんとしていること――それについては俺も同じだ。


 なんにせよ、この段階になってから白虎が戦いに割り込み同然の行為をかけてきた真意が、俺にはわからなかった。


 問いかけたところで、この手のヤツが素直に真意を話してくれるとも思えない。勝手に推測するしかないが、予想としては俺とティアに近い関係ではないだろうか。


 なんだかんだと、ティアは竜峰アルデルートを離れて俺たちについてきてくれているものの、これまでの戦いでは、彼女自身が世界に影響を与えないよう常に最小限の行動に留めてきた。

 言動こそ自由気ままに見せているが、それでも『神魔竜』としての立場は根底に持ち、時の潮流の中心には身を置かず一線を引いている感じだ。

 つまり、“よほどのこと”がなければ、ティアは決して動かない。

 もしも、ラヴァナメルが白虎にとって俺たちの関係に近い存在であったとしたら。


 推測を裏付けるように、白虎の虎眼石が一瞬だけ俺を射抜くように睨み付けた。


『何の問題がある。そも、貴様がそれを口にするのか、小娘……。よりにもよって、そこなヒト族のような矮小な存在と契りを交わすなど、高位竜たる『神魔竜』として恥を知れ。その者が、我が眷属に何をしたか知らぬとは言わせぬぞ!』


 ……なるほどな。なんだかえらいdisられているが、俺たちが事態へ介入したことが、この邂逅へと繋がったというわけか。


 だが、さすがに不本意だ。

 たとえ結果的に守護者の介入を招いたとしても、こちらにも退けない理由がある。


 しかし、“契り”ねぇ……。

 もしかして、匂いかなにかが出ていてわかったりするんだろうか?

 極度の緊張状態の中にいるにもかかわらず、しれっとプライベートを暴露されたみたいでなんかすげぇイヤな気分である。


「今そのような御題目を唱えろと言っておるのではない! おぬしが何をしたかを問うておるのじゃ!」


 続くティアの鋭い言葉に打擲ちょうちゃくされ、思考が飛びかけていた俺ははっとなる。

 いかんいかん、悪い癖だ。

 だが、余計な思考に逸れたおかげで、少しだけ規格外の存在を目の前に覚えていた緊張がほぐれてくれた。


『フン。庇護下にある者たちを導くことも『守護者』としての役目であろうが。南に下りたいと言われれば、助力のひとつでもしてやりたくなろう。……そして、われらを邪魔せんとする貴様らは敵だ』


 ティアの言葉など意に介した様子もなく、白虎が厳然と告げる。


「敵じゃと? よくもそのような白々しいことを申せたものよ……」


 どうにも要領を得ない白虎の言葉に、ティアの苛立たちが増していく。


『ここまで来れば、手段を選んでなどいられまい? 人類圏がここまで混迷を極めたのも、元々は『守護者』が静観するなどほざきおったからであろうが。どの者どもも、世を捨て隠遁いんとんするなどと世迷いごとを並べおって……」


 吐き捨てるような白虎の言葉が、父を喪ったティアの逆鱗に触れた。


「たわけが! 自らを正当化するために、女々しい戯言たわごとを弄するでないわ! 大方、血を分けた末裔に情が湧いたのであろう! たったそれだけのために、おぬしはこの大陸を魔族との戦いの前に戦乱の渦に叩きこむつもりか!」


 激昂したティアの言葉が剣となって白虎に襲いかかる。

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