第223話 魔に逢っては魔を斬り 神に逢っては神をも斬る(後編)


 ラヴァナメルの不退転の意思を受け、サダマサはここで雌雄しゆうを決するつもりらしい。

 

 もはや妄執もうしゅうと呼ぶべき復讐の念に突き動かされていたラヴァナメルだが、超常の存在――サダマサとの戦いの中で、初めて剣の行く末に己の生き死にすら委ねようとしている。

 恩讐を超越したわけではない。それでも自分が押し進もうとする道を剣にかけて問わんと覚悟を決めたのだ。


 迎え撃つサダマサは、左腕を前方へ突き出し掌を向ける『担肩刀勢たんけんとうせい』と呼ばれた構えをとる。

 積極的に隙にも見える構えを取って相手に攻撃を仕掛けさせ、たとえ左腕を犠牲にしようとも、右腕に担いだ刀の一撃で仕留めようとするものだ。


 名称は知らずとも、構えの意味するところをラヴァナメルも肌で察したらしい。

 徐々にサダマサとの間合いを詰めていくが、もう少しというところまで近付いたところで肉食獣の歩みが止まった。


 どのように斬り込んでいいか決断ができずにいるのだ。


「斬り込めない、か――――」


 小さく漏れた俺のつぶやきに、横でショウジが小さく頷いた。

 ショウジも俺と同様に状況を、眼前の理解しているらしい。


 おそらく、ラヴァナメルの脳内ではどのように斬りかかるかのシミュレーションが幾重にも渡って行われているはずだ。

 限定的であれ『魔王』化して高まった身体能力――剛腕の振り抜きも加味すれば、普通であればどのように斬りかかっても勝てると判断するはずであった。


 だが、動けない。隙そのものに見えて一部の隙も存在しない。


「……どうした、早く斬りかかって来い」


 一切不動のまま、“その時”を待つサダマサが黒の瞳を向けて促すが、視線を受けるヴァナメルはどうしても動けなかった。

 双方の刃はまだ動き出す前の状態にあるが、ラヴァナメルの脳内で演算された動きでは、ことごとくがサダマサに受け止められるか、届く前の一撃で反対に自身が斬られているに違いない。

 その感覚こそが、敵と己の力量の差を量ることで戦いそのものを避ける“護身”でもあるのだが、ラヴァナメルがそれを今ここで知ったのは遅きに過ぎたと言える。


 構えをとるサダマサも、相手の葛藤を理解していながら口にしているのだろう。


 一方、進めなくなっても尚、ラヴァナメルの足が後ろに下がる気配はない。


「理解しても退けないというなら、剣で新たな境地を切り拓いて見せろ」


 挑みかけるように、サダマサはわずかに目を細める。

 自分自身の力を知った上で、限界を超えて真正面から挑もうとする相手に出会えたことへの喜悦の感情だろうか。


「……言われずとも、今この一歩にて超えて見せる」


「そうか。では、一太刀馳走しよう」


 サダマサの言葉を受け、ついにラヴァナメルが左手を大剣の柄へと添えつつ間合いに入ろうとする。

 そんなふたりの男たちの戦いを、俺たちはただ見守るしかない。

 固唾を呑んで見る中、ついにラヴァナメルは自身の間合いへと入るためのその一歩を踏み込む。


 その瞬間――――


「ガァァァァァァッ!!」


 ラヴァナメルの口から裂帛の気合いが迸り、内包する魔力が内燃機関の中で圧縮され点火された化石燃料のように爆発的に膨らみ、駆動せんとする肉体の中を急速に駆け巡っていく。

 足元が爆発したように爆ぜ、それが突進の合図となる。刀身が肩当てを擦りながら火花を上げ、咆吼と共にラヴァナメルの斬撃が放たれた。


 敢えて肩当ての表面を滑らせることで剣の軌道を可能な限り安定させ、その上で肩口から指先までに存在する全関節が見事なまでの連動を見せた、文字通り全身全霊の一撃であった。


 俺には肉眼で軌道を追うことはできず、視力を魔力強化してやっと追いつけるレベルだった。

 だが、踏み込みと間合いの詰め方から、差し出された左腕を狙う消極的なものではなく、左肩口から右胸までを一撃で両断するための軌道であると理解できた。


「アレは俺らには躱せねぇな……」


「ええ……」


 あの太刀筋の間合いに身を置くと想像するだけで、背中に汗が浮かび上がる。答えたショウジも同じらしい。


 一方、真正面から迎え撃つサダマサはそれに対して左腕を引くことはせず、静かに腕を下げ、接近してきた刃を鋭く跳ね上がった弧拳で押し上げた。


 ラヴァナメルの猛獣の瞳孔が驚愕に絞られた瞬間、サダマサが大きく動き大太刀が虚空に神速の弧を描く。


 音を失いつつある戦場に、二陣の旋風が巻き起こり――そして消えた。


「……見事だ」


 攻撃を放ち終えた両者が静止した中で、サダマサが静かに漏らす。

 サダマサの身体から血が流れ落ちる。


「なにが見事なもの――ぐっ……!」


 苦鳴が漏れたのは、ラヴァナメルの口からであった。

 そう、ラヴァナメルの刃は、たしかにサダマサの着物の二の腕部分を斬り裂き、その内側にある肉体にまで到達していた。

 しかし、それはあくまでも腕から血が流れる程度の、ほんのわずかな傷でしかない。


「あまりに、はや、い――。そこまで、辿り着くために……いったいどれだけの研鑽と敵を……」


 後の先で放たれたサダマサの刃は、より深い斬撃となってラヴァナメルの身体へと届いていた。

 左手で軌道を逸らしながら、ほぼ強引に回避したラヴァナメルの斬撃の下側を掻い潜り、絶妙のタイミングで前に出る右半身すべての動きを駆使するように踏み込みながら放たれた大太刀の一撃。

 それは、一刹那の間にラヴァナメルを自身の間合いの中へと飲み込んでいた。


 身体から零れ落ちた血が、赤い斑点となり処女雪を染め上げる。


 サダマサの放った一撃は、ラヴァナメルの腹部中央から右脇腹までを、彼の纏う鎧の脆弱な可動部を狙いすましたかのように、その装甲ごと斬り裂いていた。

 まさに、サダマサの化物じみた技量と、“一点もの”の大太刀があるからこそ可能とする芸当であった。


「……さてな。数えるのは、とうの昔にやめている」


 納めるべき鞘を投げているためか、静かに大太刀の切っ先を地面に向けてサダマサが答える。


「……なんという、技だ……?」


「『骨喰ませ』からの『流れ獅子吼』だ。大太刀で使ったのは初めてだが」


「そうか……。技など……考えたこともなかった……」


 立っていられなくなったか、ラヴァナメルは雪の大地に膝をつく。その手から、ついに意志の象徴となっていた漆黒の大剣が離れて雪の上へ落下した。


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