第222話 魔に逢っては魔を斬り 神に逢っては神をも斬る(前編)


「やはり手応えのある相手だといけないな。妙な昂りを覚えてしまう」


 前方に歩を進めながら、サダマサは静かに声を発した。

 束ねた後ろ髪が、吹きつけた雪風にふわりと靡く。


 白雪の中を静かな足取りで進んでいく黒き剣士の勇壮な姿は、さながら水墨画に描かれた風景の中の存在を思わせる。

 ただ歩いているだけにもかかわらず、何故か舞踊で演じられる足の運びを見ているかのように美しく感じられた。


「役者が違いすぎませんか……」


 隣のショウジが呻く。雪が静かに舞い降りてくる中、空気が帯電するような圧力が辺りには漂っていた。

 これが、『黒鉄の剣鬼』と呼ばれる男の放つ鬼気――――。


「尚も余裕を見せるか」


 大剣を構え直したラヴァナメルは小さく歯をきしる。


「いや? 存外悪くない気分でな。久し振りに『技』を使ってみたくなった」


 小さく笑みを浮かべたサダマサは右手を振り、静かに大太刀を旋回させた。

 みねを肩に当てながら放った言葉は、ラヴァナメルに対してではなく俺たちに向けたものだった。見ていろということらしい。


 サダマサは頑なに流派を名乗ろうとしないが、俺やショウジに剣の稽古をつけた際に見せた技はいくつかある。

 たった今、ラヴァナメルを相手に使って見せたそれは、『舞燕まいつばめ』と呼ばれる精密な軌道調整により斬撃のタイミングをずらして迎撃を回避しつつ、その稼いだわずかな距離で斬撃の威力を増す技だった。

 もっとも、サダマサの言葉を聞くまでは、思い出すには至らなかったのだが。


 あれほどに繊細な技を、サダマサは斬り結んだ状態から難なく放っている。

 今はただ見守るしか、なすすべのない俺たちへ見せるために。


「種族への復讐に突き動かされたにしては、よくぞ単身でここまでの技を練り上げたものだ。これほどの腕利きを――このまま斬るには惜しい」


 言葉と歩みを止めてサダマサは告げた。


 ラヴァナメルを倒すことは、本来の力を発揮できる――おそらく、これでも本当の全力には到底思えないが――今のサダマサにとって、それほど難しいことではないのだろう。


「大言壮語を……! 俺を斬ってから言え……!」


「違いない。だが、スポンサーがうるさくてな」


 サダマサが肩を揺らしながら小さく苦笑を浮かべた。


「クリスさん?」


「俺のことだけどさぁ……なにもここで言うことないだろ……」


 俺は溜め息を吐き出した。


「ヤツを生きたまま捕らえると言うのですか?」


「なるべくならな。今回の戦いで大打撃を受けた獣人たちが、あの大将を失えばどうなると思う?」


 不満げなショウジだったが俺の言葉を聞いて気付いたような表情に変わった。


 仮に今回の事情をよく知るアレスが次期国王に内定したとしても、ノルターヘルン王国として派遣した軍勢を失った以上、国内勢力の中で再攻勢を企てる者は出てくるだろう。

 面子のためとはいえ衰退した国力の中で兵を動員するのだ。そうなるとノルターヘルンの動きを見て良からぬことを考える国が出ないとも限らない。


「あんなバカ野郎でもな、下手に死なれたら帝国の国益を損なう可能性があるんだよ。座視できる問題じゃなくなっちまうんだ」


 はっきり言ってどう転ぶかはわからない。劇薬的な側面こそあるが、ラヴァナメルを抑止力に使うことができはしないか。先ほどまではそう思っていた。


「でも今は……」


「あくまでもプランのひとつだ。何よりあの虎野郎が魔王化しちまった今となっては、変えざるを得なくなった」


 その身に流れる“血”のなせるものかはわからないが、ラヴァナメルの精神は一見した限りでは汚染された魔素の影響を受けているようには思えない。

 それでも、『勇者』が人類の切り札であるなら、『魔王』は人類の天敵であり象徴的な存在だ。

 こうして現れた以上、倒さないわけにはいかない。


「今回のケースがどんだけ偶発的だったとしても、こんな事例を人類圏に残せるわけがない」


 ショウジの表情が険しくなった。俺の言わんとするところを理解したのだろう。


「まさか、人類がそれを――」


「考えたくもない話だけどな。でも「高濃度に汚染された魔素を浴びることで比類なき力を手に入れられるかもしれない」なんて考えられたらとてつもなくヤバい」


 人間の際限ない欲望を甘く見てはいけない。それはほぼ確実に人類圏の新たな火種となる。


 まぁ、そもそも――


 ここまでの惨事を生み出したラヴァナメルが、戦いに敗れたという理由で素直に退くとは俺には到底考えられなかった。


 サダマサもそこは重々承知しているはずだ。

 にもかかわらず、多少であっても一時的に引く素振りを見せたのは、俺に対する義理を果たしたからに過ぎない。

 あとは――ラヴァナメルが本当に自身の敵となり得るか、覚悟を問う意味合いもあったのだろう。


「我が覚悟を……侮ってくれるなっ……!」


 吐き捨てるようにつぶやき、虎のかおを怒りの形に歪めて拒絶の意思を示すラヴァナメル。

 事実、サダマサを前にしても尚、退こうとする様子は微塵も見られない。

 それは、どうにかすればサダマサに勝てるという確信を抱いているからではなかった。

 ただ単に、貫き通そうとする“意地”があるだけだ。


「我らの目的を遂げるためだけであれば、ここで貴様の言うように負けを認めて慈悲を乞うのもひとつの手なのだろう」


 そこまで言ったところで、ラヴァナメルの貌から邪気の気配が消え、残滓たる赤く染まった瞳が覚悟を決めたように小さく輝いた。


「……だが、俺は今、人生の中で一度として会ったことがないほどの剣士と相見えている」


 サダマサを見据えながら、新たに発せられたラヴァナメルの声には、先ほどまでとは違うある種の静謐さが宿っていた。

 それは膨大な魔力に酔っていた時のものではない。


「……剣を交わした相手からそう評されるのは、悪い気分ではないな」


 言葉に反して、サダマサの口調は淡々としたものだった。

 余人からどのように評されるかなど、まるで興味がないといった様子だ。


 それこそ、すべては刀を振るった後に残る結果だけが語ると言わんばかりに――


「ならば剣を。一軍を率いた身としてここまでの醜態を晒した以上、もはや戦って道を斬り拓く以外に活路はない」


 宣言するように言い放つと、ラヴァナメルは剣の腹を肩当てに載せる形で大剣を担ぎ、それからわずかに腰を落として前傾姿勢となる。

 高速の斬撃を繰り出すための予備動作――――いや、戦いを告げる意志の表れであろうか。


「……武人としての矜持きょうじが先に出たか。であれば是非もない。受けよう」


 そう告げると、サダマサも呼応するように、刀を肩に担いだ状態からほんのわずかな動きながらも腰の位置を落とした。












あとがきがわり

近況報告で書籍小説版のラフを1枚ずつ公開してます~。



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