第221話 鬼の刃が哭いて舞う


「なっ……!?」


 ラヴァナメルの赤く染まった目が驚愕の形に大きく見開かれた。


 しかし、それもそのはず。

 サダマサの頭部を両断するべく振り下ろしたはずの大剣が、あろうことか空中で静止していたからだ。

 まるで時間が止まってしまったような感覚。舞い降りてくる雪だけが、現実の光景であるとこの場にいる者たちに教えてくれる。


「ひとつ教えよう」


 サダマサの声がはっきりと俺の耳に届く。ラヴァナメルは答えない。


「笑っていいのはな、相手の息の根を止めてからだ……」


 静止していたかに思われた大剣は、しっかりと受け止められていた。サダマサの両掌に挟み込まれる形で。


「うっそだぁ……」


 あんぐりと口を開け、呆然とした表情を浮かべたショウジが俺の代わりにつぶやく。

 真剣白刃取りだって……? おいおい、創作の中でしか見たことないぞ……?


「クリス! 大盤振る舞いだ! 大太刀を出せっ!!」


 驚愕で瞠目どうもくしている俺に向かって、サダマサが背中を向けたまま大声で叫ぶ。

 いきなり呼びかけられた中で、サダマサの声に現実へと引き戻されながらも俺は即座に行動に移る。


「気楽に言ってくれるよな!」


 ヘル・スコーピオンを相手にした際にも触れたが、いわゆる“一点もの”を『お取り寄せ』するために必要な魔力消費量は膨大だ。

 それを理解していながらも求めるのであれば、この状況下でラヴァナメルを打倒し得る選択肢はそれしかないのだろう。


 あぁもう! この後で無茶苦茶な敵とか出ませんように……。


 心の中で祈りながら、大量の魔力が消費されていく感覚を身体に覚え、俺はそれを取り出す。

 掌から放出された魔力の粒子が形となり、何もない空間から俺の喚び出したモノが姿を現す。

 なるほど、さすがに重い――――。


 一方のサダマサは、こちらの気配でおおよそを察知しているのか、俺の動きなど確認せず反撃を開始しようとしていた。


「おおおおおおおおっ!!」


 刃を受け止めたままの姿勢で、サダマサは裂帛の気合を込めた雄叫びを上げながら両手を勢いよく捻る。

 ほぼ同時に、膨大な魔力が両腕へと流し込まれることで、サダマサの筋肉が瞬間的に膨張する。


 ……ブルータス、お前もか。


 何度目かの呆れを覚える俺の目の前で、本来の肉体が持つであろう限界値を遥かに超越した筋力が発揮され、ラヴァナメルの巨体が浮き上がった。

 いや、もうそれこそ身体が緑色になって巨大化するハリウッドヒーローくらいの変化でもしなければ驚く気にもなれない。


「ばかなっ!?」


 一方、常識外の反撃を喰らうことになった側――ラヴァナメルはそうもいかなかったらしい。

 あまりにも予想外だったのか、あるいはサダマサを相手にしながら自身の得物を手放すことに危機感を覚えたのか。

 いずれにせよ、魔獣のような貌に驚愕の表情を浮かべたまま、ラヴァナメルは握り締めた大剣を手放すことも忘れ、そのまま宙を舞う。


 一瞬の隙を近接戦闘の申し子であるサダマサが見逃すはずもなかった。

 攻勢に回っていた剣が勢いを失ったことで、ここぞとばかりにサダマサは左拳を大剣の腹に当てる。

 それを進むべきレールのように滑らせながら、一気に前進したサダマサが、ラヴァナメルの懐へと蛇の如くに潜り込む。

 ラヴァナメルの顏に焦燥が浮かび、迎撃しようとするがもう遅い。


 瞬間、捻りを加えながら威力を蓄えたサダマサの掌底が、ラヴァナメルの脇腹へと吸い込まれ、そこに込められた魔力が解放され、全身を蹂躙する。


「がはっ!」


 遠目にでも、今の衝撃でラヴァナメルの呼吸が途絶するのがわかった。

 相手が得物を失ったことで、わずかながら気を緩めてしまったのが仇となったのだ。

 肉体内部に解放された凄まじい衝撃を受け止めきることができず、ラヴァナメルは勢いそのままに後方へと吹き飛ばされる。


 俺たちに遠慮という文字はない。今が恰好の隙だ。


「いくぞ、サダマサァッ!!」


 助勢を頼んで以上、必ずサダマサはそのための隙を作ると予測していた。

 好機を読み取った俺は、魔力で強化した右腕に渾身の力を込め、手に掴んだ武器を放り投げる。


「応!」


 すべてを察していたサダマサは、わずかに下がって間合いを空け、俺の投擲に合わせた場所で寸分の狂いもなく鞘を掴んで受け取った。

 刀身の長さゆえに、鞘を後ろに投げ捨てるように滑らせ抜刀。


 ついに、その得物――――大太刀の威容が露わとなる。


「……いいな。やはり虎を狩るにはこれくらいの得物がないといかんな」


 柄を力強く握り締め、満足気にサダマサはつぶやいた。

 片腕で大太刀を軽く振るうだけで空を割く音が生じ、秘められた膂力の異様さが際立つ。


 サダマサが握る大太刀は、ラヴァナメルの持つ大剣にこそ及ばないものの、緩やかな弧を描く刀身は、優雅な刃紋を描きながらも圧倒的な存在感を有する。

 刀身の長さは五尺五寸余(165cm以上)、その長大な刃を支えるための身巾も5cmを超えており、それにより俺が知る従来の日本刀とはまったく異なる存在にさえ映っていた。


 本来の大太刀は、地球の分類では五尺以上の刀身を持つ刀をそう呼ぶことから、通常の柄では振り回すには困難を伴い、実際にサダマサの握る赤い柄は一尺をゆうに超える長さを持つ。

 基本的に大太刀は馬上で振るうものであり、例外としては腕力自慢の戦闘狂が地上で振り回す真似をするくらいだった。

 その使い方にしても、馬ごと叩き斬るようなぶっ飛び武器ではなく、馬上の将を落馬させたり、馬の脚を狙って転倒させることを主目的としていたにすぎない。


 あくまでも象徴的な武器なのだが、この剣鬼が持つことで、幻想と一蹴されたモノを現実の光景にしてくれる。


「さぁ、待たせたが仕切り直しだ。これでもっと楽しめるぞ」


「得物を変えた程度で、貴様は俺を倒せると……」


「ああ、倒す」


 サダマサの飄々としたようにも聞こえる言葉を受けて、苛立たしげに唸るラヴァナメル。声にはサダマサに対する畏怖にも似た感情が滲み出ていた。

 おそらく、感情よりも先に本能で理解しているのだ。

 目の前の敵が、本来持つであろう実力を発揮できるようになってしまったことを。


 身体を半身にし、顔の側面に持って来た刀身の刃を上に向ける霞の構えを取り、ぎらりと獲物を睨めつけるように輝くサダマサの黒い瞳。

 その顔にも獰猛な笑みが浮かんでいた。

 そして、それに呼応するように、全身から放射される魔力量も大きく膨れ上がる。


 ――空気が変わった。


 遮蔽物など何もない空間であるにもかかわらず、気圧が瞬く間に高まったような感覚が俺たちの方にまで伝わってくる。


 挑発しているのだ。

 人間の領域から外れ、ほとんど魔の存在になった相手を。


「グ…………ゴアァァァァァァァッ!!」


 多少であっても圧された自身を鼓舞するかのように、ラヴァナメルが吼える。

 身に秘めたる魔力をさらに解放したのか、全身の血管が浮き上がったのが体毛の隆起により明らかとなる。


 その勢いのままに、大上段に構えた大剣を、全力の踏み込みでサダマサ目がけて振り下ろす。

 瀑布のような一撃が叩き付けられ、金属の悲鳴が大きく響く。


「なるほど、こうしてまともに受けてみると実にいい一撃だ。これなら魔族さえも屠ることができそうだな」


 ラヴァナメルの渾身の一撃を、サダマサの大太刀は今度こそ真正面から受け止めていた。


「なにを……!」


 サダマサの言葉に慄くラヴァナメル。

 もしも本当に言葉通りであるなら、先ほどまでは刀身へのダメージを最小限に止めるための無理をした受け方であったということになる。

 現実に振り下ろした大剣はビクともしていない。


「今度は少し強めにいくぞ」


 宣言するや否や、サダマサの身体が動いた。

 大太刀を掲げて大剣を受け止めたままの姿勢から、先ほどラヴァナメルが見せたよりも滑らかな動きで膝を抜いて身体の重心をずらす。

 瞬く間に、胴体の立つ位置を大剣の直線上から身を外すと、大太刀の刀身の位置が両腕の動きに合わせるようにするりと翻り、至近距離からの斬撃へと急変化した。


 本来、彼我の間合いが近付いた――つまり、短い距離では大太刀の重量を活かした一撃まで加速することは難しい。

 そんなことは、サダマサから多少剣を学んだ俺にだってできはしない。

 そして、そのように威力の込められていない斬撃であれば、ラヴァナメルのような体躯を持つ者にとっては受け止めることは容易いものであるはずだ。


「――ッ!」


 しかし、俺の予想に反して、ラヴァナメルは何かを感じ取ったかのように、後方に飛びながらの防御を選んだ。


 そこへ襲い掛かる高速の斬撃。

 掲げていた大剣でその一撃を受け止めるも、重厚な激突音とともにラヴァナメルはそのまま後方へと大きく飛ばされ、雪の上を脚がわずかに触れる跡だけを残していく。


 相手の闘志を確かめるように、悠然と歩みを進めるサダマサ。


 ついに、剣鬼の反撃が始まろうとしていた。


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