第220話 逢魔の時に在りて
一瞬、その変化はこちらに向けられた威圧によるものかとも思ったが、ラヴァナメルから発せられている殺気に大きな変化は見られない。
……いや、違う。
実際に身体組織の膨張あるいは増強により、ひと回り身体が大きくなっているのだ。
……なんなんだこれは。
そう思うも、口からは言葉が出てこない。
衝撃を受ける俺たちの目の前で、ラヴァナメルの全身を覆う白い体毛は輝きを増して白銀色へと染まっていく。ところどころに走る黒い横縞の模様は、変化とともに禍々しさを増して紋様へと変わる。
口元に並ぶ牙と五指に備わる爪も、身体の変化に合わせるように太く鋭く伸びていく。
中でもひと際異様となったのが、青灰色であったはずの瞳の色が赤く染まっていたことだ。
そして、それらとともに全身から放射される並々ならぬ魔力量がこちらへと伸び、まるで空間そのものを侵食してくるようにすら感じられる。
ラヴァナメルの変貌と、降り積もる深雪と辺りに立ち込める雲で昏くなった空が相まって、時間の感覚さえもがおかしくなってくる。
まるで宵が迫る、魔に逢う時であるような――――。
「な、なんですかこの魔力は……」
ショウジがヤツが変化した影響を身をもって感じ取っているのか、かすかに震える声を漏らした。
臆したとは思わない。
声にこそ出していないが、俺もまったく同じ感想を抱いていた。
「俺に訊くなよ……」
圧力にあてられそう返すのがやっとだった。
今までなんやかんやとトラブルに巻き込まれる中で、俺たちは色々なヤツを相手にしてきた。
だが、『神魔竜』であるティアやサダマサなどの一部例外を除けば、これほどまでの魔力を持つ相手と出会うのは初めてのことだ。
『大森林』で戦った古代ハイエルフの遺産『
だが、あれはそもそも魔力伝導物質である超金属オリハルコンと、その制御を司っていた宝珠に蓄積された超魔力、それとリクハルドの持つハイエルフの膨大な魔力の合わせ技で動いていた“最終兵器”とでも呼ぶべき例外中の例外となる。
決して、この世界の人類の強者を侮っていたつもりはないが、それにしても今のラヴァナメルが発している魔力の放射量は人間の発するものとしては異常に過ぎた。
対峙するサダマサも今は様子を窺っているのか、すぐに間合いを詰めに行く気配はない。
いったいどういうことか。脳内で考えを巡らせていると、視界の隅で何か反応しているのが目に映る。
「おい、ショウジ……。お前、『神剣』が……」
「え?」
思わず声を発した俺の視線の先では、ショウジの背中で鞘に収められていた『神剣』の鍔に嵌められた蒼い宝玉が淡い輝きを放ちながら明滅していた。
目の前の光景に気を取られていたショウジ自身はまったく気が付いていなかったようだが、対魔族の切り札とも言われる『神剣』がこのような反応を示すということは……。
「虎野郎テメェ、まさか……!」
変化を遂げ偉容ともいうべき姿を現したラヴァナメルは、俺の漏らした言葉が聞こえたのか、こちらへと赤く染まった瞳を向ける。
「ほぅ、気付いたか。そうだ、この世界のどこにでも魔素は存在している。しかし、それがどれだけ生物に影響を与え得るだけの可能性を秘めているか……」
こちらへと誇示するように、意味ありげな口ぶりで口元を歪ませるラヴァナメル。
それだけでラヴァナメルの身に起きた変化の正体を察することができた。
しかし、もし予想通りであったとしても、そこには大きな疑問が残る。
魔力の扱いに優れるとは言えないはずの獣人が、どうやってこの規模の魔力を有しているかだ。
「……なるほど、受け継いだ『血の器』を活かし、この土地の地脈から噴き出る魔素をその身に浴びたのか。異様に成長したヘル・スコーピオンがいた時点で気が付くべきだったな」
刀の切っ先は下ろすことなく、ラヴァナメルに視線を向けたままのサダマサが口を開いた。
……そういうことか。
サダマサの言葉で俺の中で断片化していた情報が一気につながっていく。
だが、それでは――――。
「地脈からの魔素を浴びた存在だと……?」
驚愕の言葉を口にしながら、一方で俺は確信に至っていた。
『破壊神』が精神世界にて語った言葉。ラヴァナメルに流れるという超常の旧い血。
そして、それらの事実を裏付ける赤く染まった瞳の色。
そう、ラヴァナメルは自らを――――『魔王』に近付けたのだ。
「ひとたびこの世に生まれ落ちれば、力なくして正義・理想を語るには足り得ず。これも俺なりの“意地の通し方”だ」
肉体の変化により、魔獣の凶相となった貌でラヴァナメルが低く嗤う。
それは、もはや笑みというよりは感情の発露にしか見えなかった。
「自らの目的を達成するために手段を択ばない。根性だけは素直に評価するに値するな。こちらとしては迷惑極まりないが」
想像外の存在の登場を受けても、対峙するサダサマの表情が崩れることはない。
むしろ、更なる歓喜を覚えているようにさえ見える。
「余裕に見えるその顔、気に入らんな。ならば、評価ごと態度をあらためてもらう!」
吐き捨てるように言った瞬間、ラヴァナメルの姿が掻き消えた。
先ほどまでよりも更に素早い踏み込みで、ラヴァナメルがサダマサへと迫る。
「ゴアァァァッ!!」
咆吼を上げての踏み込みとともに、ラヴァナメルから放たれた凄まじいまでの斬撃が、雷のようにサダマサへと襲い掛かる。
巨大質量を木剣も同然に振り回す埒外の膂力に、見ているこちらの背筋が凍っていく。
その剣閃の速さは、金属音と宙に散る火花によってかろうじてその痕跡を確認することができる程度で、もはや俺の動体視力では到底追い切れるものではない。
断言できる。
これは、とても俺やショウジが今のレベルで踏み込める領域ではないと――――。
「ちっ――――」
打ち合いの中で、サダマサの舌打ちが聞こえたような気がした。
それは両者の動静を見逃すまいとする意識ゆえの錯覚だったのかもしれないが、続いて判明する事実に俺の体温が低下する。
マズい。
次々に撃ち込まれる剛剣を、サダマサは信じがたいことに刀で受け止めているが、おそらくは武器がもう限界に近い。
その証拠に、剣を受け止める際に発生する金属音へ、徐々に苦鳴のような異音が混ざり始めている。
ラヴァナメルの魔王化により増したスピードと威力のせいで、その苛烈な攻撃に完全に刀身が耐えきれなくなっているのだ。
いや、本来、刀なんかで打ち合えばもっと早い段階で折れているはずなのだが……。
ともあれ、ラヴァナメルもどうもそれに気付いているらしい。
斬撃の重さで圧倒しようとするのではなく、速度を増して手数を稼ぎ、相手の武器に衝撃を与え続けることを優先しているフシがある。
現状、防戦一方となっているが、それは決してサダマサとラヴァナメルの力量差によるものではない。
サダマサが全力を出そうとすると、持っている武器が持ち主の力に耐えられないのだ。
なんとかするべきなのだろうが、戦いについていけない身で下手に援護をするとそれは援護どころか後ろ弾になってしまう可能性すらある。
だから、俺もショウジも動けないでいる。
それが実にもどかしい。
どうするべきか――――。
逸る気持ちで汗が俺の背を濡らす。
無意識のうちに、面制圧の火力に優れたMPS AA-12フルオート・ショットガンを取り出していたが、それでもこの戦いに割り込むことは躊躇われるくらいだ。
判断を迷う中、ついにその時が訪れる。
甲高い金属の悲鳴が断末魔となり、刀身が根元からヘシ折れた……!
折れた刀身が宙を舞い、雪の大地に突き刺さる。
その瞬間、ラヴァナメルの顏が勝利を確信したのか愉悦に歪んだ。
それは、ここで確実に脅威となる存在を殺しておきたいという意思から生じたものであったように思われた。
「なかなかに楽しませてくれたが、これで終わりだっ!」
脳の中が冷えるような感覚。
ここでサダマサを失うわけにはいかない。
俺の握るAA-12の銃口が跳ね上がり、ショウジもまた『神剣』の柄に手が伸び、その右足が一歩を踏み出そうとしていた。
しかし――――俺たちの動きはすぐに止まることとなる。
危機的な状況であることを理解しているはずの当のサダマサが、一切狼狽えてなどいなかったからだ。
そう、自身の脳天をカチ割ろうと迫る大剣を目の前にしながらも――――。
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