第218話 黒の剣風


 続く鋭い軌道を描いてはしる刃が、信じがたいことにラヴァナメルの巨体を弾き飛ばした。

 さすがにこれは予想外の一撃だったらしく、警戒を強めたラヴァナメルは、受けた強引に抑え込むことなくそのまま後方へと下がっていく。


 おいおい、どんだけだよ……。

 それまで刃を交えていただけに、サダマサの膂力りょりょくの異常さがより理解できる。


「遅かったじゃねぇかよ、サダマサ……。もうすこしでまた別の世界に転生するところだったぞ……」


 どちらかというと、無理矢理召喚した戦車による足場の崩壊からの生き埋めが先になったと思うが、アホ扱いされそうなので言わないでおく。


 ともあれ、唇の間から大きな息となって吐き出された俺の言葉には、おそらく隠しようもない安堵の色が混ざっていたことだろう。

 軽口こそ叩いたものの、そこに浮かび上がった感情は紛れもなく本心から出たものであった。


 反対に、邪魔者二人を仕留めるつもりでいたラヴァナメルの顏は不快感に歪んでいた。

 しかし、ここで考えなしに突っ込んでくるようなことはない。新手の登場に警戒を強めているのだ。


「悪いな、ちょっとばかりはしゃぎすぎた」


 前哨戦を終えたばかりだからか、抜けきらない殺気をたたえ凶相を歪ませるサダマサ。

 本人としては場を和ませそうとしたのだろうが完全に失敗していた。凄みを感じさせる笑みにしかなっていなかった。

 事実、ショウジなんかは完全にビビってしまっている。


「その様子じゃずいぶん暴れ回って来たみたいだな」


「まぁ、言っても本命メインディッシュ前の準備運動だがな。お前の方は息が上がっているようだが」


 ……これで、ウォームアップ程度にしか疲れてないのかよ。悪い冗談みたいだな。


 全身からむせ返るような血の臭いを漂わせているにもかかわらず、不思議なことにサダマサの身体に返り血は一切こびりついていなかった。

 さすがに凄まじい数の敵を相手にしてきた上に、ここまで慌てて全力疾走してきたからか、サダマサの額にはわずかに汗がにじみ出ていたが、それがどれだけ異常に過ぎるか考えるのもバカらしい。


「うるせぇ。俺ァ、頭脳労働派なんだ」


「それにしたって、もう少し自力で踏ん張ってもらわないと困る。間に合ったからよかったが、あたり一帯の地形を変えたいのか?」


「……あぁ、やられちまうと大暴れするヤツがいたっけな」


 ちらりと空でホバリングしているハインドへと目を遣る。

 もうひとりの最大戦力であるティアが“尊重”してくれてるのは嬉しいが、逆に言えば失敗できないのである意味ではプレッシャーだ。


「まったく、愛が重いぜ……」


 何度目かの溜め息が出る。


 だが、これで無茶をしてまでどうにか整えようとした状況は成立した。

 手札にある近接戦最強の男の登場が、傾きつつあった流れを変えてくれる。


「ここはいい風が吹いているな」


 温まった身体を冷まそうとするかのように、静かに一歩を踏み出したサダマサが悠然と告げる。

 身体から漏れ出る殺気を纏った魔力の残滓ざんしにより、肩に舞い降りた雪が瞬間的に蒸発していく。

 それのみならず、足元からも湯気が上がっていることからかなりの力を解放しているらしい。


「どうした、大将。ついさっきまでの威勢が見当たらないぞ。ご自慢の軍勢を蹴散らされてショックなのはわかるがな」


 挑むように語りかけるサダマサ。

 対するラヴァナメルの顏には、少なからぬ緊張の色が宿されていた。

 先ほどまでの戦い――――俺たち二人では、ついに引き出すことの出来なかった表情でもある。


「よくも我が軍勢を……」


 怒りと緊張、様々な感情が混ざり合っての反応か、ラヴァナメルの大剣の柄を握る手が大きく軋む。


「ほぅ、獣人の一族に伝わる剣と鎧を持ち出して来たのか……。なるほど、たしかにそれじゃあクリスたちには分が悪いだろうな」


 ラヴァナメルの手元に注がれるサダマサの視線が幾分か鋭いものへと変わる。

 先ほど、ショウジの『神剣』の一撃を易々と受け止めたこともあり、少なくともサダマサが一目を置くだけの業物であることは俺にも理解ができた。


 しかし、同時に気になる。なぜサダマサがそれを知っているのかと。


「フン、俺が覇道を進むために用意された武器だ。本来、魔族と戦うために受け継がれてきたと一族の老いぼれたちは言っていたが、それがこうして人類に対して牙を剥くのだ。これほど皮肉なことはあるまい」


 存在を誇示するかのように剣を大地に突き刺して応えるラヴァナメル。

 その瞳に秘められた憎悪の炎が揺らめく。

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