第214話 I Just Keep Burning Love~後編~


「あぁ、もうクソ! こうなったらやるしかないぞ! ……いけるか、ベアトリクス」


 小さく頭を掻きむしって、俺はベアトリクスの方を見る。


 急かすようで気が引けたが、状況が状況だけに配慮しているヒマもない。

 なにしろ、事態ばかりが勝手に進んでいくからだ。

 もし、これでダメだと言った時は、距離を近づけた上で俺がやるしかあるまい。400m以下であれば、俺もこの天候や条件で狙撃を敢行することはできる。


「……わかった、やるわ。ところで、クリス。それをオーダーするからには、“わたしの銃”は積んで来ているのよね?」


 最悪の場合も考えていた中、ベアトリクスから返ってきたのは力強い答えだった。

 小さく瞑目した後で、再び見開かれた翡翠の瞳が俺を捉える。

 そこにあったのは、覚悟を決めた表情。

 目の前にいるベアトリクスは、先ほどまでとは大きく変わっていた。


 ――――あぁ、


 ならば、俺も相棒としての役目をこなそう。


「こんなこともあろうかと、な。注文しといて正解だったぜ」


 ふっと肩の力を抜き、室内の奥にしっかりと固定されたケースを指で示す。


 それを見たベアトリクスはわずかに眉を動かすと、そちらへと歩み寄っていく。

 空を飛ぶ乗り物の中だというのに、それは一切の迷いがない足取りであった。

 彼女が人知れずこなしてきた血の滲むような射撃訓練により、いざひとたび狙撃を行うとなった際には、こうしてスイッチを切り替えるかのように意識そのものを変えるのだ。


 そう、ただ狙撃を成功させる――――それだけのために。


「さすがね、用意周到だわ」


 素っ気なく呟いてベアトリクスがケースから取り出したのは、普段ベアトリクスが使用しているセミオート式の狙撃銃Mk.11 Mod0 Sniper Weapon Systemではなく、イギリスはアキュラシーインターナショナル社製のAXMC――――マルチキャリバー・モジュラーライフル。遠距離精密射撃を可能とさせるボルトアクションライフルだ。


 元々はAW(Arctic Warfare)という、その名の通りの極地戦用に開発された高精度狙撃用ボルトアクションライフルから派生したもので、元となるAWは射撃の精度を高めるためにバレルが他に干渉しないフリーフローティングバレルを採用し、ストレートタイプで「AICS」と呼ばれる一体化アルミ合金製シャーシを持つ、高精度ボルトアクションライフルの基本と新機軸を兼ね備えた銃であった。

 そして、その最新モデルとなるAXMCは、1分程度のパーツの組み換えで3種類の口径の発射を可能とするタイプで、サムホール付きのグリップをピストル化していたりと、各部にかなりの近代改修が施されている。


「これは最後に使った時のまま?」


 そう静かに俺へと尋ねながら、ベアトリクスはライフルを触り、二脚バイポッドを展開。

 そこから頬あてチークピースなど各パーツの微調整が必要かどうか確かめていく。


 10発の精密狙撃用に選別された弾丸が込められたマガジンを装着し、滑るような動きでターニングボルトを引いて弾丸を装填。

 静かな、そして優雅にさえ見える動きで、ベアトリクスはライフルを構え、伏せ撃ちプローンの姿勢を作っていく。


「そうだよ、調整済みのはずだ。銃身バレルは.300ウィンチェスターになってるみたいだけど、そのままでいいのか?」


 スポッターとしての役割を果たすべく、ベアトリクスの横へと並ぶ。


「ええ。最後に触った時に、照準調整ゼロインはウィンチェスター・マグナムで800mに合わせているから」


 今回AXMCに装着しているバレルは、普段から俺やベアトリクスが狙撃に使っている.308ウィンチェスター(7.62×51mmNATO)弾ではなく、より強力で有効射程の長い.300ウィンチェスター・マグナム(7.62×67mm)弾を使用するものになっている。

 有効射程1,000メートルにもおよぶ高威力の弾丸が、飛翔の時を今か今かと待ち望んでいるのだ。


 わずかな隙間から入り込んでくる寒風が、まるで狙撃を邪魔しようとするかのようにベアトリクスの長く美しい金髪を揺らめかせるが、すでに分泌されるアドレナリンを鎮めた本人からはそんなものを意に介した様子はまるで感じられない。


 だが、不意にその風が向きを変えてベアトリクスへと届かなくなる。


「お身体が冷えてしまうといけませんので」


 相変わらず寒そうにはしているものの、穏やかな笑みを浮かべたミーナが風を操る魔法を発動させていた。

 寒さで指の動きが鈍ることが狙撃に悪影響を与えると、他人の武器のことなのに覚えていたのか。


 背後を見れば、ティアもベアトリクスを静かに見守っている。

 皆が、ベアトリクスの狙撃の成功を祈り、そして確信していた。


「……ありがと、ミーナ」


 スコープから目は外さないものの、少しだけ柔らかさを感じる口調でベアトリクスが返した。


 最後の機銃掃射が終わり、ハインドが対空攻撃に注意しつつ狙撃予定位置へと移動する。

 先ほどまでに比べると、こちらへの攻撃が目に見えて少なくなっている。

 おそらく、地上ではサダマサがここぞとばかりに暴れ回ってくれているのだろう。

 居ても立ってもいられなくなって斬り込んだにしても、サダマサの作り出してくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。


『ウォーヘッド、了解。距離約800くらいの位置で急制動をかけます。5秒後にホバリングに移行予定!』


 パイロットからの報告に、俺は観測手用のレーザーレンジファインダー付きの双眼鏡を覗き込みタイミングを見計らう。

 レンズ越しに浮かび上がる数字が減少し、彼我の距離が縮まっていく。


測距レンジファインド、お願い……!」


 ついにトリガーへと指を這わせたベアトリクスが小さく叫んだ。


「目標、距離、825……820……815メートル。風向風速ウインデージ10時方向左斜めから時速25㎞!」


 滾りそうになる興奮を抑えながら、俺は狙撃のために必要な情報をベアトリクスへと正確に伝えていく。


「ねぇ、クリス」


「なんだ?」


 不意にベアトリクスから投げかけられた言葉に思わず訊き返す。

 ベアトリクスが言葉を発するなんてただごとじゃない。


「成功したら、キスして。身体の火照りを鎮めたいの」


 ……あまりにも唐突な言葉に、俺は一瞬言葉が出てこなかった。

 それが、ベアトリクスなりに緊張をほぐすための冗談だと理解するのに時間がかかったからだ。


「……成功したら、いくらだってしてやるよ! ハインド……止まるぞ! 距離810メートル! 今だ! 撃て!」


発射ファイア……!」


 俺の言葉を受けて、ベアトリクスが


 空を切り裂くローター音とターボシャフトエンジンの音の中でも、たしかなものとなった火薬の燃焼音――――銃声が咆吼となって発生。

 ベアトリクスの構えるAXMCから放たれた7.62×67mmウィンチェスターマグナム・ライフル弾が、雪の舞う戦場の空を飛翔する。


 なにを自身の存在を隠す必要があろうかと誇示するように――――。


 音速を超えて放たれた弾丸は、獣人が持つ優れた反応速度など自分には関係ないとばかりに飛んでいく。

 こちらを睨みつける白い虎の獣人を無視し、こちらが何をするつもりか気が付いている様子のイリアのすぐ近くを通過して、背後にいた女獣人の大腿部へと精確に突き刺さった。

 弾丸に込められていた運動エネルギーがターゲットの体内に解放されながら、血管や筋組織、それに大腿骨を破壊しながら進み、反対側から虚空へと抜けていく光景が脳内で再生される。


 撃たれた狐の獣人は、突然の出来事に理解できない表情を浮かべながらバランスを崩し、よろめいたまま、なすすべもなく地面へと倒れ込んでいった。

 その手に握られていた縄が引かれ、身動きが制限されているイリアも一緒に地面へと倒れ込む。


命中ヒット……!」


 見事な狙撃を成功させた達成感が、ベアトリクスの口から小さな叫びとなって漏れる。

 俺も無意識のうちに、手にガッツポーズを浮かべていた。


「よし、今だ! 突っ込むぞ!」


 レーザーレンジファインダーから目を外した俺は、インカムに向かって怒鳴る。


 いよいよ、うちのわんこを救出に向かうのだ。

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