第208話 雪原、紅に染め上げて~後編~


 エドアルト自身王族に身を連ねてはいるが、尊崇を得られているのはあくまでも連綿と受け継がれてきた王家の権威であり、自分はその庇護下にいるに過ぎないとを理解している。

 権威を有り難がる者はごまんと存在するが、かといって権力を得ることにしか目がいかぬようでは所詮俗物の域を出ていない。彼がアガフォノフ侯爵に下した評は後者だった。

 それでもこちらに利するよう動いてくれるため使い道はあるが……としきりに語っている侯爵を見やる。


 もう少しばかり時間があれば……とエドアルトは考えずにいられなかった。

 第一王子が余命いくばくもないことから、自動的に自分が玉座に座るだろうという慢心があったのは否定できない。

 まさか待ったがかかるとは思ってもいなかったのだ。


 今回の遠征にしても、妾腹のアレクセイが動いているという情報を得て、取り巻きの貴族たちが慌てて動き出したようなものだ。

 実績作りで王太子となり王位継承権を不動のものとしたいのだろうが、残念ながら軍人として実力のあるものが彼の麾下きかにはいない。

 こんなことになるのであればもっと実力のある貴族――――具体的には、東部や南部方面軍の名だたる将軍たちを取り込んでおくべきだった。


 だが、エドアルトはそれを口に出すわけにはいかなかった。

 誰かに担がれてこそ神輿は神輿となりたり得るのだ。

 担ぐ側が自分から動いてくれる相手に水をさせば、とたんにその神輿はひっくり返りかねない。


「国王陛下の御稜威がこの蛮族の地にまで及んだことを世界にあまねくしろしめし、我がノルターヘルンが人類圏の新たな盟主と――――」


 エドアルトの内心などつゆ知らずしゃべり続けるアガフォノフ侯爵の言葉は、次第に熱がこもり始めていた。

 雪に埋めて冷やしてやるべきかとエドアルドは真剣に考え始める。


 だが、それを遮るように、突如として甲高い音が辺りへと響き渡った。


「なんだ!」


 もはや演説となりかけていた言葉を中断させられ、途端に不機嫌な表情を浮かべたアガフォノフ侯爵が叫ぶ。

 こういうところがいまいち頼りない部分だとエドアルトは思ったが、それもすぐに新たな感情により思考の中に埋没していく。

 彼自身、突如として状況が変わったことに内心で緊張を抱いていたからだ。


 しかも、無意識のうちに腰の剣の柄に手が伸びていた。

 しまったと思いながら、周りに気取られないようにゆっくりと手を離す。


鏑矢かぶらやです! それを受けて敵の部隊がこちらに向けて動き出しました!」


 王族の護衛のため近くに控えていた兵士が、慌てたように走り寄って来て答え、報告によって動揺した人間たちで本陣がにわかに騒がしくなる。


 誰も軍に明確な指示を出せない。

 その現実に、エドアルトは頭を抱えそうになった。


「待ち伏せだとでも言うのか! 山頂を確保しに向かった部隊はどうした! こちらの動きがバレているぞ、早く呼び戻せ!」


「それが……未だ到達した様子はありません……」


 しびれを切らしたエドアルトからの命令に、兵士は困惑した表情を浮かべて言葉に詰まる。

 ちょうどそのタイミングで、1騎の騎士が本陣に駆け込んで来る。


「伝令! 山頂を目指した部隊が敵の伏撃に遭い交戦中! こちらへの救援は向かえないとのことです!」


「別動隊だと……? どこに潜んでいたというのだ! 敵陣に確認された部隊は、昨日の敵と同数であると斥候からの報告があったのだぞ!」


 そりゃ、あらかじめ予備兵力が配置されていたんでしょうよ。


 この期に及んで指示を出すでもなく、ただ怒鳴り散らすだけのアガフォノフ侯爵に対して、伝令の騎士はやけくそ気味にそう口へ出したくなったが、さすがにそれは理性が押し留めた。


 誠に不本意ではあるがここにいる者たちの性格を知っていたため、下手な発言をして勘気を蒙りたくなかったのだ。

 今現在危機に陥っていることに変わりはないが、それでも運良く生き残られた後でロクな目に遭わないと脳内で警告が出ていた。


「とにかく前方からの敵を迎え撃て! 兵力を分散しているのなら、本隊を先に片付けて山の部隊も蹴散らすのだ! ここが我らの戦いの舞台ぞ!」


 士気を崩壊させてはならないとエドアルトが叫ぶ。彼の方がずっと指揮官に向いているようだ。


 だが、いくらなんでも遅かった。

 全軍に指示を出す間もなく、凄まじい勢いでノルターヘルン軍へと迫る獣人の軍勢が先頭に衝突。

 巨大質量の衝撃により、空中高く跳ね上がられる歩兵たち。

 それは、まるで騎馬の全力突撃を喰らったような光景であった。


 一切無駄がないを通り越して、明確な殺意を持った生物の全力突進の威力は凄まじいの一言に尽きる。

 当たり前だ――――その光景を目の当たりにした兵士は、宙高く吹き飛ばされながら薄れていく意識の中でそう思った。

 相手は人馬一体どころか、本当にヒトと馬が融合したような姿をしている――――ケンタウロスだったのだから。


「クソッ!! ケンタウロスどもが重装騎兵の真似事をするだと!? そも、あの鎧は我が国で作ったものではないのか!!」


「お、おそらくどこかの商人が横流しを企んだようです!」


「そうかもしれんが、あれほどの部隊に仕上げるには軍の中から流した者でもいなければ無理だぞ!」


 驚愕の混乱からか幕僚たちが口々に叫ぶが、それは戦場においてまるで意味をなさないものであった。


 そうこうしている間にも、後方の混乱など知らぬと言わんばかりに突撃を続ける重騎兵の猛攻に晒される最前列の歩兵集団。

 激突で士気を挫かれているせいか、反撃の勢いも弱く、ケンタウロスたちにより振るわれる槍や大剣によって次々に歩兵が討ち取られていく。

 既に潰走寸前だ。


 だが、そこへ後方から駆け付けたノルターヘルンの騎兵部隊が突っ込んでいく。

 再び激突する騎馬同士。

 それにより、一時的に歩兵が勢いを取り戻す。

 剣戟と怒号が飛び交う中、衝撃でよろめいた重装ケンタウロス目がけて果敢に死への一歩を恐れずに踏み込んだ者達が、メイスなどの打撃系武器を叩きつけて鉄に身を包んだ異形の騎兵を地に這わせていく。


「騎兵部隊が接敵! 敵を食い止めています!」


「いいぞ、そのまま一気に押し返せ! 連中は機動力の高いケンタウロスの使い方を間違えている! 采配ミスだ!」


 前線指揮官が叫んだことで、周囲の兵士たちに勢いがつく。

 あわや壊走寸前のところから、奇跡的に息を吹き返したかに見えたノルターヘルン軍。


 しかし――――。


「矢が来るぞー!! 盾を出し――――ギャッ!!」


 警戒を促す叫びも最後まで言うことができずに悲鳴へと変わる。

 駆けつけた騎兵と連携してノルターヘルン軍が反撃に転じようとしたところに、今度は獣人軍の後方から一斉に放たれた矢が雨あられと降り注いだのだ。


「なっ!? ヤツら味方ごと……」


 呻くような声が漏れる。

 だが、すぐにそれが誤りであることに気付かされた。

 矢の降り注ぐ中にいるケンタウロスたちの動きが微塵も衰えていなかったからだ。


 これこそが、敢えて機動力を殺し短距離走者にさせたケンタウロスの重装騎兵を投入した意味だったのだ。

 空から降り注ぐ矢の前には金属鎧でさえ、フルプレートでなければ矢傷を負ってしまう。

 ならば、いっそのこと矢を通さないようにしてしまえば、敵にだけ損害を強いることができるというわけだ。


 後続との連携が取れていなければかえって各個撃破されてしまいかねない危険な戦法であったが、予期せぬ攻撃と伏撃を喰らったノルターヘルン軍は再び混乱の渦に叩きこまれる。


「いぎゃっ!」

「ひ、膝に矢が……」


 いったいどれほどの祈りが天に届いたことだろうか。

 祈りへの対価といわんばかりの放物線を描いて空から降り注いだ矢は容赦なくノルターヘルン軍の兵たちに突き刺さっていく。


 戦場では個人の強さなどタカが知れている。

 ただその場所にいたというだけで、どれだけ剣や槍や魔法に優れていようが戦果を上げることもなく死んでいくのだ。


 そして、戦いはそれだけに飽き足らず、その場にあるすべてをも飲み込もうとする。


「敵襲だー!!」


 新たな声が上がる。

 それはノルターヘルン軍の後方――――まさに本陣の側面であった。


 白い毛皮に覆われた獣人たちによる伏撃であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る