第204話 染まりいく 朝雲を追いかけて


「ちょ、ちょっと待ってくれないか、クリス。僕もノルターヘルン王国の関係者――――というよりも、一応は王族だ。この戦における事の顛末を見届けなくては――――」


 それは、アレスにしてみれば、まったく予期していなかった言葉だったに違いない。

 俺の口から放たれた感情が極力排された声に、血相を変えたアレスが腰を浮かし、慌てて食い下がろうとする。

 素直に引き下がろうとしないのも、自身が王族の血を引くとの意識があるゆえか。


「まぁ、引き下がれない気持ちもわかる。だが、これ以上は言わなくたってわかっているだろう?」


「しかし、だからといってはいそうですかと言うわけにはいかない」


 喋ろうとするのを遮って言葉を返した俺に、アレスはなんとか反論しようと口を開く。

 しかし、咄嗟に適切な言葉が思い浮かばなかったのか、アレスの言葉は精彩を欠いていた。


 つまり、本人も内心ではちゃんとわかっているのだ。ただ、感情の部分で納得ができていないだけで。


 そうであれば、俺もここで手を緩めるわけにはいかない。


「それとも、言葉に出してはっきり言わなきゃわからないか? 今度ばかりは敵の真っただ中に突っ込むことになる。たとえ無理について来ようが、そこで俺たちはお前を守りながら戦うことはできない。そうなるとアレス、お前の腕じゃどうしても足でまといになるんだよ。死ぬだけだ」


 あまり気は進まなかったが、俺はほぼ確実となる予測を告げた。


「そ、それは――――」


 今度こそ言い淀むアレス。


 さすがに、ヘル・スコーピオンとの戦いを目撃したことで自覚は芽生えていたのだろう。こちらの言葉を受けたアレスの顔までが苦渋に満ちたものになる。

 もちろん、脅しも含んでおり、実際にはあんなバケモノレベルの敵は出てこないかもしれないが、それでも獣人軍の本戦力を相手取ろうとするのだ。

 命を失うという意味での危険性は、決して低いものではない。


「そんな顔をするなよ。そりゃ俺だってこんなこと言いたくはないさ。だが、俺たちはこれからノルターヘルン北伐軍とぶつかる獣人軍を相手に斬り込まにゃならない。さすがに今回ばかりは、生きて帰れるかもわからない規模の戦いになる」


「しかし、そうは言うけれど、クリス。今回の派遣軍には君も知っての通り兄も出張って来ている。ここで自分が何もしなかったということは…………」


 尚も納得しかねているのか、なんとか俺の説得を試みようとするアレス。

 とはいえ、政敵となった兄を引き合いに出してくるあたり、正直に言って目の付け所は悪くないと思う。


「あのなぁ、言動を額面通りに受け取るなよ。ありゃ別にやらんでもいいのに、この機会に乗じて無理矢理箔をつけようとしてるだけだ。少なくともまともな王族のやることじゃないし、表舞台に出ていなかったお前が、わざわざ同じ場所まで下りていってやる必要はない」


 いったん突き放した以上、ここでさらにアレスへと追い打ちをかける必要はない。

 少なくとも事態を正確に理解してもらえばいいわけで、なるべく理詰めでいく。そのための言葉を選びながら、俺は会話を切り上げるべく口を開く。


「いずれにせよ、アレス。お前とはここでいったんお別れだ。そちらはそちらで、今やるべきことはやったんだ。王都へ戻って新たな手を打つべきじゃないのか」


 正直なところ、昨日一昨日知り合ったばかりの間柄であるのみならず、王族であることさえ昨晩初めて聞いた俺に言えることは少なく、どうしても無難な言葉になってしまう。

 しかし、身の安全を気遣うような言葉をかけるわけにはいかない。

 それは再びアレスの内にある焦燥感を煽るだけの無思慮な言葉だ。


「新たな手……」


「そうだ、今のお前のやるべき事は何だ、。それを見誤らずに考えろ」


 俺が敢えて呼び名を変えて発した言葉にはっとなるアレス。

 それからしばらく瞑目した後で、何かを振り絞るように小さく息を吐き出した王子は、ゆっくりと目を開いてこちらを向く。


「……わかった。たしかに僕がやるべきことはもうここにはない。だけど、クリス。生きて戻って来てくれ。いくら余所の国の人間とはいえ、せっかく知り合うことのできた『友人』を、僕はこんなことで失いたくないんだ」


「――――なっ」


 突然放たれたアレスの言葉。

 それを受けた俺は、先行した安堵もあってすぐに言葉を返すことができなかった。


 そこにあったのは、先程までオルトを相手に見せていた王族アレクセイの顔ではなく、一昨日俺が知り合った傭兵アレスのままの顔であったからだ。


 その瞳には真剣な輝きが宿っていた。

 この王族おとこは、あろうことか本気でこちらの身を案じているのだ。


 もしもこれが演技だというなら、それは俺の見る目がなかったということだろう。


「悪いが、確約はできない」


 俺の突き放すような言葉にアレスの整った顔が曇る。


 ……だから、時々捨てられた子犬みたいな顔をするなって。俺が悪いヤツみたいになるだろ。


「……だが、こっちが身体を張った分の報酬は貰わなくちゃならないからな。王族だろうと俺は遠慮しない。ちゃんと払えるように準備しておくんだぞ?」


 真っ直ぐ向けられた視線に妙な気恥しさを覚え、俺は咄嗟におどけた答えを返すことしかできなかった。

 だが、それでもアレスには十分だったらしい。


「ははっ、クリスは面倒な―――――いや、しっかりしていることだね、本当に」


 こちらの考えは読まれているらしい。

 言いかけたものの、訂正しようとするあたりが微妙に気遣いをされているみたいで胸が痛くなる。


「利益になることを冷静に判断している――――それだけだよ」


 取り繕うようだが、それでも俺は明言しておく。


「それなら、クリスのお言葉に甘えて、僕は王都で待たせてもらうとするよ。……自分が立つべき戦場はそこにあるみたいだからね」


「あぁ、気張れよ。ここが正念場だぞ」


 俺が拳をぐいっと突き出すと、アレスは一瞬何事かわからなかったようだが、すぐに意味を理解したらしく俺の拳に自身のそれを合わせた。


「……そっちこそね」


 言葉とともに、コツンという骨同士が軽くぶつかる音が小さく響く。


 顔を見れば、そこには覚悟を決めた男の顔があった。

 少しだけ成長したような、でも一瞬だけ頑張っているような、なかなか大人になれない男のそれだ。


「しかし、不思議なものだね。君の方が年下のはずなのに、まるで年上と会話をしているような気分だ。兄みたいなものなのかな? もっとも、僕は庶子だから実の兄と触れ合ったこともないんだけどさ」


 気持ちを吐露したことで少しは気持ちが吹っ切れたのだろう。アレスはわずかに表情をほころばせる。


 『使徒』である俺は外見年齢なんてアテにはならないんだが、アレスはいつの間にか俺のことを「クリストハルト」として見てくれているらしい。


 しかし、考えてもみれば王族――――それも庶子ともなると、誰とも関わらず人目を憚るように生きてこねばならなかったのだろう。

 それがこうして人当たりのいい人間に育っただけでも僥倖ではあるが、それでも心の中の寂寥感だけはどうにもならなかったのではないか。


 ともすれば、他人とのこうした会話に飢えていたのかもしれない。

 そんなアレスの頬の緩み方を見ていると、こちらまでなんとなく落ち着いてくる。


「大丈夫大丈夫。今回の一件が上手くいけば、よくも苦労させやがってと好きなだけ兄貴を殴りつけてやれるぞ」


「……いやぁ、そういう肉体派の触れ合い方は求めていないかなぁ……」


 途端にアレスの顔が引きつった。


 あれ? 場を和ませるジョークだというのにこの反応。解せぬ。


「……さて、それじゃあ先に行かせてもらうとするよ。アレス、そっちはもう少し明るくなってから出るといい。族長殿と積もる話もあるだろうしな。乗って来た馬は外に移動させておく」


 そう告げて俺は踵を返し、出口へと向かっていく。

 サダマサが立ち上がり、掃除を終えたショウジもそれに続こうとする。


「あぁ、気を付けて」


 背中に投げかけられた声に、俺は片手を上げて無言で応える。


 そうして建物を出ると、待っていたティアとベアトリクス、ミーナが俺たちを出迎える。


「飛び出してきた曲者は?」


「向こうで冷たくなってるわ」


 ライフルを肩に担いだベアトリクスが言うが、横ではミーナが苦笑していた。

 ……なんとも頼もしいことだ。


「よし、行こう」


 見れば各自が、すでに戦場へ赴く者の顔となっていた。


 そう、はそれぞれの戦場へ向かう。


 だから、今は、背後うしろを振り返らない――――。


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