第203話 For The Young and Wild~後編~



「そうですか、イリアはそのようなことになっていたのですか……。この地を飛び出していながら、つい先日戻って来ていたという話を聞いた時は何故今頃になってと思ったものですが」


 何かに思いを馳せるように、オルトは静かに瞑目する。

 浮かんだ表情は平静さを保っているように見えたが、よく見れば仄かに安堵の気配が覗いていた。


「心配だったかな?」


「いえ、一族の掟を捨ててこの村を離れた以上、イリアはもう存在しない身です」


 ……素直じゃないことだ。

 父親の顔を隠したままで言葉を返すオルトに、俺は嘆息しそうになる。


 だが、族長の立場としてはそう言わざるを得ないのだろう。


 どうにも不満そうな空気がショウジの方から漂ってくるが、それでも口を挟んだりするつもりはないらしい。

 あくまでもオルトとの話をスムーズに進めるために『勇者』という言葉を使ったに過ぎず、自分の出番ではないと理解しているからだろう。


「だが、どうもそのイリアに執着のあるヤツがいるようだな。これはどういうことだ?」


「それは……」


 オルトの表情が変わる。

 軽くカマをかけたつもりだったが、ビンゴだったらしい。


 昨年末にイリアから得ていた事前情報により、彼女をオルトの一族に対しての人質とするには価値を発揮しないと、俺はとうの昔に承知済みであった。

 そう考えれば、それとは別の何か――――まぁ、何者かの個人的な感情なりなんなりが介在しているということになる。


「少し話が脇道に逸れるかもしれませんが、この大地には、『守護獣ヴェヒター』と呼ばれる存在がいるのです」


「『守護獣ヴェヒター』?」


「私も族長を名乗っていながら実際に目にしたことはないのですが、遥か昔からこの北の大地に住み、星の行方を見守るとされる存在です」


 一瞬、ティアの顔が脳裏に浮かんだが、アレはちょっと見守るとかとは無縁な感じだな。


 ……って、そんなピンポイントじゃなくて、引き合いに出したいのは《神魔竜》という種族だ。

 よもやそういう存在が、この世界には他にもいるということなのだろうか。


「『白銀の猛虎』と呼ばれるその存在は、この地で遥か昔から我が種族の間で語られ続けてきましたが、永らく歴史の表舞台には姿を現してはおりませんでした。しかし、その血を引くのではないかと目される存在が、この地に現れたのです」


「……まさかとは思うが、それは白い虎の獣人か?」


 それまで黙って話を聞くだけに徹していたサダマサが、思い出したように声を発した。

 それを聞いて、俺も昨日の戦いで目撃した獣人の姿が脳裏に浮かぶ。

 おいおい、まさか総大将みずからが斬り込んできていたということか? 士気を鼓舞するためだとしてもあまりに武張り過ぎだ。


「ええ、よくご存じで。ラヴァナメルという虎の獣人です。元々、彼の者は特段武に優れていたというわけでもなかったのですが、一族では見られない白い虎ということで、仲間内のでの扱いは良くなかったようですが」


 オルトの物言いは若干回りくどく感じられた。


「ソイツにいったい何があったか、獣人全体を糾合するほどの力を得たと」


「ええ、それはもうひどい手の平返しでした。滑稽だったと言ってもいい。もっとも、そう我々が言っていられたのも、事態が獣人すべてに波及するまででしたが」


 俺の言葉に、オルトは他の一族への不快感を隠そうともせずに頷く。


 いったいどのような状況であったのだろうか。

 周りの獣人たちは、自分たちより優れた力を持たないくせに、自分たちにとって神格化された存在である『守護獣』に似た外見を有することになった、そのラヴァナメルとやらが許せなかったのだろうか。


 そのようになったことを、俺は納得こそできないが少なからず理解ならできる。


 そう、他人を攻撃するのはとても簡単だ。

 自分ないしは自分たちと違うところを見つければ良いだけなのだから。


 肌の色が違う、民族が違う、言葉が違う、文化が違う――――たったこれだけのことで人間は他人を殺したり、国さえも滅ぼすことができる。

 他者を、『自分とは違う異物』として排除しようとするのだ。

 ともすれば、それは無意識下での防衛本能かもしれない。

 自分と同じでないということが、潜在意識下での脅威として映るのだろうか。


 さて、そのような境遇にあった人間が超常の力を得て一族どころか種族全体を動かし、またある一族からはいないものと扱われた個人を攫っていくのは、果たしてどのような目的からか……。

 どうにも愉快な想像とはいかなくなる。


「……こりゃあ、遠回しな種族全体への復讐だろうな。獣人を新天地に導くための南進に見せてはいるが、はっきり言って地獄への行進をさせているだけだ」


「でしょうな。ですが、一度ついた勢いというものはそう簡単には止まりません。たとえそれが過ちであるとしても」


「それで、おたくては内患扱いにされていたわけか」


 俺の問いに、オルトは黙して答えなかった。


 俺の脳裏にダークエルフの血を引いたハイエルフ、リクハルドの顔が思い起こされる。

 彼の場合は、自身の運命を種族内部の問題に翻弄されたことへのせめてもの抵抗だったが、今回の一件も根幹には似たようなものがあるのではないか。

 つまり、人類圏のあちこちでこのような種族内部に存在していた火種が燻り始め、それが長い年月を経て表面化してきているのだ。


 ここを魔族に本格的に衝かれたら、戦う前から人類圏は戦乱で崩壊する。

 『大森林』の時は、背後で暗躍していたラディスラフの企みを防いでおり、そのやり方が有効であると結論が向こうで出ているかは怪しいが、今回の一件が知れ渡ればそれこそどうなるかわかったものではない。


 これ以上、人類圏の火種を増やされてはたまらない。


「……やるしかないか」


 俺は今日のうちに、この一件すべてにケリをつけることを決意する。


「なぁ、族長。ひとつ訊きたい。現在、ノルターヘルンと戦闘を行っている獣人たちの軍だが、?」


「そ――――それは、どういう意味で仰られているのか?」


 あまりに唐突だったためか、いったい何を言っているんだコイツはという目で見られる。

 それを実際の言葉に出さないで済んだのはオルトの人生経験によるものだろう。


「別で偵察を依頼している仲間から魔信が届いている。本日中には双方の軍がぶつかり合う可能性が高いとな。場所的にもそれが決戦になるだろう。そうなると、どちらかの軍が途中で敗走でもしない限りは、壊滅的な被害にまで発展する可能性は高い。もちろん、勝った方も無事では済まないだろうがな」


「……壊滅して困るかどうかと問われれば、場合によりけりですな。下手に勝ってしまって、本気になったノルターヘルン側から逆侵攻を受ける方が、我らにとっての被害は大きくなりましょう」


「勝った場合も負けた場合も結局相手次第ってわけか。まぁ、そうなったら後は責任者の裁量次第だろうな。そうだろ?」


 そこんとこどうなんだよとアレスを見遣ると、当人としては今まさに抱えている問題だけに苦笑を浮かべるしかないようだった。


「もちろん、悪いようにはしないつもりだよ。少なくとも、そのために僕はここまで来ているんだから。さぁ、クリス。これから決戦になるなら、どうやって敵の本陣に斬り込むかを――――」


「いや、悪いがここまでだ、アレス。ここから先、お前を連れて行くことはできない」


 俺の言葉にアレスの表情が固まった。

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