第198話 夜明け前から剣呑な~前編~
人類大陸北部を東西に割っているフェンリス山脈の向こう側がにわかに明るくなり、それまで闇に覆われていた視界が次第にクリアへとなっていく。
夜が明ける前触れだ。
陽光よりも先に届く朝の前兆に、純白であるはずの雪は仄かな青味を帯びて俺の目に届く。
黎明の光とでも言うべきだろうか。
その美しさから視線を外し、俺は前方を向く。
次第に遠ざかりつつある薄闇の中に、目的地となる集落の姿が浮かび上がり、さらに目を凝らしていくと槍を持った獣人兵士の巡回する姿が見えてくる。
そのまま観察を続けるが、どうもあらかじめ決められていたと思われるルートを通るだけのようだ。
その上、周囲への警戒も疎かになっている。払暁を控え、気が緩んでいるのだろう。
「……撃て」
首元に向け、口から短く放たれた俺の言葉。
それと同時に、集落の外側を歩いていた獣人の兵士が、突如として力を失ったように地面に倒れる。
望遠魔法である『鷹の目』を駆使して見やれば、その脳天には孔が穿たれ、反対側は内側から吹き飛んだように大きな空洞を曝していた。
雪の大地へと異彩を刻み付けるように、純白を汚し染め上げるぶどう色の内容物が飛び散ったところで、近くにいた新たな歩哨が異変を感じ取ったか足早に駆け寄ってくる。
「次、左、30メートル。片付けろ」
しかし、その二人目の兵士も途中で足をもつれさせ地面に倒れた。
何が起きたかわかっていない様子の中、兵士はすぐに起き上がろうとしたものの、まるで身体の動かし方を忘れたようにじたばたと意味もなく藻掻くだけで、すぐに動きも弱まっていきそのまま動かなくなる。
こちらは首筋から大量の血が流して事切れていた。
「……よし、行くぞ」
付近に気配のあった敵が無力化されたのを見届けた俺は、小さくつぶやいて目標のひときわ大きな建物へと向かってゆっくりと進んでいく。
『了解。こちらも射撃位置を変えるわ』
耳につけたインカムへとベアトリクスからの短い通信が入る。
そう、たった今兵士を無力化してのけたのは、すべてベアトリクスの狙撃によるものだった。
どちらの標的もSR-25を基に開発されたセミオートライフル――――Mk.11 Mod0 Sniper Weapon Systemからの7.62㎜ホローポイント
今頃、隣でミーナがぐぬぬとなっているかもしれない。
「これが、『使徒』の力……」
巡回の歩哨を瞬く間に二人、しかもほぼ音もなく始末してのけた光景を目撃し、育ちの良さそうな顔に似つかわしくない驚愕の表情を貼り付けながらアレスは声を漏らす。
ちなみに、アレスは俺のことを『使徒』と決めてかかっているようだが、俺はそれを否定も肯定もしていない。
『大敵』クリストハルトの情報などとっくの昔に教会経由で各国にバラ撒れているであろうが、敢えて否定しない方が無駄な憶測を呼ぶから都合がいいのだ。
「あぁ、俺のはちょっとばかり特別製でな。羨ましがるからみんなにはナイショだぞ」
引きつったような表情を向けてくるアレスに、俺はウィンクしながら嘯いてみる。
はぐらかすのと同時に、自分の緊張を解すよう遠回しに言っているのだと気付いたアレスは、小さく息を吐き出して表情を引き締め直すと俺の後に続く。その横手にはサダマサ、背後にはショウジがつく。
「俺は兵舎の方を片付けてこよう」
昨夜のうちに決めておいたプランに沿って別行動を開始するサダマサに向けて、俺は親指を立てて了承の返事を送る。
そのまま建物沿いを音を立てずに進み、入口を左右に立って守るふたりの歩哨へと近付いていく。
右手にはサプレッサー装備のHK45T、左手にはタクティカルナイフを握る。
「ステンバーイ……ステンバーイ……ゴー!」
『ファイア』
合図とともに空を鋭く裂く音が響き、俺から見て奥にいた歩哨の頭部が弾けた。
飛び散った内容物が建物の壁へと付着し、血液と脳漿の混合液がグロテスクなアートを作り上げる。
その瞬間にはすでに俺は動き出していた。
HK45Tをホルスターへと素早く戻しながら、手前にいた歩哨の首が無残な死を遂げた同僚の方を向いたところで、背後から口元に手を回し首元にナイフを勢いよく突き立てる。
刃が体内に侵入していく不快な感触を覚えるも、手にこめた力は緩めない。
「…………!? ……ゴ……ギ……!!」
突然のことにパニックを起こして暴れようとする兵士を魔力で強化した筋力で押さえつけ、足を払って踏ん張りをきかなくさせる。
そのまま悲鳴を上げさせないようにしながら、ナイフをひねって傷口を広げさせ、身体から流れ出る血液とともに力が抜けるのを待つ。
数秒の後に兵士の身体からふっと力が抜け、それと同時にこちらへと体重がかかってきた。
身体能力に優れた種族の獣人じゃなくて助かった。
表情には出さないものの、俺は内心で安堵の溜め息を漏らす。
「……大した手並みだよ。暗殺者ギルドの人間だって戦場じゃこうはいかない」
「そうかい。だが、ひと息つくのはまだ早いぞ」
刀身に付着した血糊を死体となった兵士の服で拭い、俺はアレスに素っ気なく返しながらナイフを鞘へ戻す。それから空いた右手に再度HK45Tを握ってローレディーに構える。
身体を壁に預けながら左手でゆっくりと扉を開き、中から攻撃がないことを確認して内部を覗く。
「クリア。これより突入する。引き続き監視を頼む。武器を持って出てくるヤツがいたら始末しろ」
『了解。気を付けてね』
不意打ちに警戒しつつ建物の内部へと侵入したものの、そこに敵らしき存在の気配は感じられなかった。
やはり、この集落の監視に割いている兵力がこちらの想定以上に少ないのだ。
単純に戦力を集中するためか、それとも電撃的な勝利さえ収めれば丸く収まると踏んでいるのだろうか。
想像を巡らせる中、ふと奥から人の気配がするのを捉え、俺たちはその方向へと進んでいく。
こちらに気付いた様子はない。……あるいは気付いた上で、か。
少なくとも、この調子ではいきなり攻撃を受けるようなことはないだろう。
警戒だけは緩めずに気配のする部屋に入ると、そこには泰然と座りながらこちらを見据える一人の壮年の獣人の姿があった。
茶色の毛髪に犬を思わせる形の耳。尾は胴体部に隠れて見えないが、その特徴に俺は軽い
「朝早くから物騒な気配を漂わせる。こんな北の辺境にまで物盗りをしに来た手合いかね?」
こちらに向けて放たれた男の言葉に、咎めるような響きこそあるものの敵意は含まれていないと気付き、俺は構えていたHK45Tをゆっくりと下に向けた。
この建物の入口に立っていた歩哨を無力化したことを承知の上で言っているのだ。
「いや、通りすがりの平和の使者だよ。おっかなそうな連中がそこかしこにいたものでね」
肩をすくめて嘯く俺の言葉に、男の眉がわずかに動く。
眉をひそめたのではなく、こちらが織り交ぜた諧謔を面白がる感じだ。
「……お父さま、どうかされたのですか?」
普段と違う家の空気を感じ取ったのか、不安に近いものを滲ませた声とともに部屋の奥から少女が現れる。
「……ッ!」
目に飛び込んできたその姿に、俺は声を上げそうになった。
なぜなら、そこにいた少女の顏が、俺たちが探すイリアにそっくりであったからだ。
本人ではないと断定できたのは、イリアに比べると年齢が若干低めであると気付いたためである。
「……イリア!?」
俺に代わって上げられたショウジの声。
そのままショウジが前に出ようとすると、イリアの顔をした少女が驚いて男の後ろに隠れてしまう。
いきなり見知らぬ、しかもヒト族の男が近付いてきそうになれば当然の反応だった。
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