第196話 優しい顔してこの子わりとやるもんだねと~前編~


「イヤだ、冗談じゃない―――――と本当なら言いたいところだが、王族が相手となりゃそうもいかないか。とりあえず、話だけは聞かせてもらうよ。返事はそれからだな」


 辛うじて断固拒否という単語を出さずに済んだ言葉ではあったが、そこに含まれた俺のとてもイヤそうな感情を感じ取ったのか、アレスは苦笑を浮かべた上で「助かるよ」とだけ小さく言って口を開く。

 それ以上はこちらの軽口を気にした様子もない。大したイケメンである。


「クリス、君も知っていることだとは思うが、我々ノルターヘルン王国と獣人たちは、過去長きに渡って国境線で小競り合いを繰り広げてきた。しかし、だからといって一切のつながりがないわけじゃないんだ」


 姿勢を直そうと身じろぎした際に、アレスの腰に差した剣が小さく揺れ音を立てた。


 そりゃそうだろう、と俺は腰元から正面に目を戻しながら内心でアレスの言葉に同意する。

 アレスの語る内容は、前世の複雑極まりない世界を知る俺にとっては特段驚くことではなかった。

 とはいえ、それでも事実確認の意味はある。


 いくら両者が定期的な殺し合いやるほどに関係が悪くとも、そこに何のつながりもないということは考えにくい。

 実際、戦争一歩手前までいった『大森林』と帝国の間にも、細々とではあるが交易関係は昔から存在していたのだ。

 それが北方ともなれば、なおのこと不思議ではない。


 この土地がノルターヘルン以上に寒冷な気候であるならば、食糧事情はより厳しいものであると考えられる。

 そこに目をつけたノルターヘルンの商人が儲け話を考えないとは思えないし、ノルターヘルン執政府としても実際に商人がそちらへ出向くのなら、そこから情報を得ることもできる。

 無闇やたらに取り締まったりはせず、むしろ反対に税の優遇と引換にでもすれば、情報提供には比較的簡単に応じるであろう。互いに利が生まれるのだから、そうした方がずっとスムーズである。


 とまぁそんなわけで、国と国どころか種族間同士で対立していても、単純に殺し合うだけの関係ではなかったりするのだ。世はまこと複雑怪奇である。


「ということは、王国には穏健派と交渉できるルートがあるのか?」


 紅茶の杯を口に運びながら俺は尋ねる。


 話しながらチラリと視線だけを横に送ると、無言で見守っていたサダマサの顔に、彼をよく知る者でもなければわからないほどの微妙な変化が生まれていた。

 見た感じ、講和でも成功して獣人軍精鋭との戦いができなくなるのがイヤなのだろう。

 たぶん、俺は死ぬまでサダマサのこの感覚については理解できないと思う。


「あぁ、王家お抱え商人の中にその役目を持つ者がね。当然、第二王子派は知らないことだ。戦の気配が漂い始めた頃から、いつものことだと思って講和の話は持ちかけていたんだよ」


 ん? それって一歩間違えると『プロレス』になりませんかね?

 適当なところまで来たら押し返すから……みたいな。

 昔の日本とかでも似たようなことあったと聞いた記憶がある。土地の利権を争う小規模な戦とか。


「だが、それがどういうことかいつもとは違う流れになったと」


 猛烈に突っ込みたくなる衝動を我慢して俺はアレスに先を促す。


「使者代わりの商人が血相を変えて持ち帰ってきた情報は、大規模な戦になるというものだった。いつもなら、ものの二〜三日で終わるはずのものが、今回ばかりはどうなるかわからなくなってしまった」


 自分がこの場にいる原因ともなったからか悩ましげに語るアレス。

 両者の損害を適切な範囲に収めるためのができなくなってしまったというわけだ。


「毎度毎度、雲の上でのやり取りに巻き込まれる現場の連中は堪ったもんじゃないだろうが、今回のはとんでもなく迷惑だな。嵐が来た程度の話じゃないぞ」


 冗談めかして言ったものの、貴族らしからぬ俺の発言と声色を聞いてアレスの眉が小さく動く。


 一見していると、国境付近に住む国民の生活や命などどうでもいいと言わんばかりのやり方に思えるが、それも結局は取捨選択の結果でしかない。

 より大きな脅威に備えるなら、必然的に北方の守りは薄くせざるを得なくなる。

 そして、その中でよりリスクを低減させるには、相手に勝ちにいくのではなく、適度に獣人側にも『戦利品』を与えておく必要があったのだ。


「そうだ。いつものように略奪を避けるべく集落を離れれば済むというレベルの話ではなくなってしまった」


 アレスの声には忸怩たる思いが滲んでいた。それは戦災に巻き込まれる平民へ向けたものであろう。

 権謀術数渦巻く王宮での後継者争いから身を隠すためとはいえ、市井に紛れて得た経験がそうさせているに違いない。


 だが、現実にはたかが第三王子にできることなど限られている。

 民主主義なんて概念が欠片もない世界では、平民の犠牲程度で済むのであれば国は躊躇なくそれを実行に移す。

 社会階層間の命の重さには断然たる隔たりがあるのだ。


 しかしながら、そんな国を取り巻く状況の変化によって、この第三王子にも王位の目が見えてきたのだろう。

 そう考えると、本人としてはこの国を変える機会を得たに等しく、内心はなんとも複雑な心境であるに違いない。


「まぁ、それもこれも、向こうの主戦派とやらのせいってわけか」


 脇道に逸れそうになる話を修正しようと、俺は話の向きを変える。

 ある意味ではこの状況を生み出した元凶ともいえる存在の話題ともなると、さすがの温厚な性格のアレスも不快感を隠そうとしなかった。


「どうやって獣人の各氏族をまとめ上げたかは知らないが、大規模な兵力が動いているという情報は王宮を駆け巡った。こうなっては父王も隠し通すことができなかったようだ。いきなり攻め込まれてはたまらないし、各方面軍にも伝えておかないともしもの時に支障をきたすからね。そして、それを受けた第二王子派が好機とばかりに動き出したというわけさ」


 当時の様子を思い出したのか、アレスの口から溜め息が漏れる。

 同じ遺伝子を引いている兄に対する感情が漏れ出たらしい。傀儡であるなしは別にして、余計なことをしやがってくらいには思っているのだろう。


「なるほどな。それで? いい加減本題に移りたいんだが、この戦争の背景と俺たちを追いかけてきたのがどう繋がるんだ?」

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