第194話 こちら世界の何でも屋~前編~
「さて、落ち着いたところでご説明を願いたいものだね」
焚き火越しに、俺の対面へと腰を下ろしたアレスがゆっくりと口を開く。
その柔和な顔には、心なしか疲労感が滲んでいるようだった。
まぁ、あれだけの刺激的な経験をすれば、こうなるのも無理はない。
「……敵勢力下への偵察を命じられた部隊は、俺たちを除いて壊滅。それもこれも、いきなり襲ってきたあの蠍のせいだよ。辺りに獣人どころか生き物がいないのも含めてな」
いきなりの問いかけではあったが、あらかじめ想定していた俺は焚き火で沸かしておいた湯で淹れた紅茶を啜りつつ軽く受け流す。
抽象的な言葉に対して、こちらから敢えて情報を開示する必要はない。この状況下では当然の判断であろう。
サダマサの神業めいた一撃とベアトリクスのアシストによりチャンスを作り、ヘルファイアの大盤振る舞いで仕留めたヘル・スコーピオン。
ヤツの絶命を確認して早々に現場を離れた俺たちは、生物の気配がなくなった森林地帯をひたすら北へと進んだ。
それは獣人軍との鉢合わせを避けるためであった。
彼らが化物の潜む森へと入って来るかはわからないが、それでも付近の部隊が『謎の爆発』を目撃していた場合、斥候部隊が差し向けられる可能性は十分にあるからだ。
余談だが、ヘル・スコーピオンの外殻を含む素材については、誰かの手に渡ると厄介なので後ほど『レギオン』の回収チームを派遣する予定である。
「それも知りたかったことではあるけど、僕が訊きたいのはそうじゃない」
そして、事態がひと段落ついたところで新たな問題になったのがアレスの存在である。
正直なところ、目的がわからない相手と行動を共にするのはリスクが高い。
突発的な遭遇もヘル・スコーピオンとの戦いによって有耶無耶になっていたが、俺としてはなぜアレスがここにいるのかはっきりさせておきたい部分であったし、当の本人にしてもあんな化物を倒した俺たちに対して訊きたいことはそれこそ山ほどあるだろう。
そんなことを俺が考えていたタイミングで、HQから武装を使い果たした上空の機体を交代させたいという連絡があった。
ちょうどいいかと付近に敵らしきものの気配がないことを確認した俺たちは、夜の闇も迫っていたため、新たに放棄された集落を見付けたのもあり、そこで今晩のキャンプを張ることにした。
そして、なんだかんだとひと息ついたところで、しびれを切らしたアレスが口を開いたというわけだ。
「そう、キヤーノ。君のことだ。なぜ、あんな化物を倒せるような人間が、こんなところで傭兵なんてやっているんだ?」
いきなり核心へと切り込んでくるアレス。その目はかつてない真剣な輝きを宿していた。
……フム、ここで迂遠な言い回しをするのは良くなさそうだ。
それを受けて俺も少しだけ居住まいを正す。
「わかった、答えよう。だが、先にこちらから訊いておきたいことがある。それはアレス、なんでお前がここにいるかだ。偵察部隊に加わっていたなんて話は聞いていない。これはいい。問題はお前ただ1人で来たことだ。これがどれだけ異様かわからないってことはないだろう?」
アレスの目を正面から見つめ、有無を言わせない口調で俺は言葉を返す。
質問に質問を返すという不躾なことにはなったが、こちらが素性を明かすにはそれなりの対価が必要だと言外に言ってみせたのだ。
返答次第では、こちらが開示する情報も変えざるを得なくなる。
「本部からの伝令……って言っても信じてはくれそうにないね」
最初に軽口こそ混ぜたものの、アレスの口調そのものは観念したような響きであった。
もはや、はぐらかしたりするつもりはないのだろう。
「伝令に傭兵は使わないよ。それ以前に、いくら三男坊とはいえ自国の貴族の子弟にやらせるようなことじゃない。……なぁ、準男爵家の出ってのは本当のことなのか?」
今度はこちらが核心に切り込む。
なんにしても、アレスは人間ができすぎていた。
外に出た準男爵家の三男ということで、最初はそんなものだろうかと勝手に納得していたのだが、よくよく考えれば帝国で見た『迷宮騎士』なんかよりもよっぽどまともな性格である。
そして、それに加えて本人が何故かこちらにとって都合の良い情報を持っているあたりから、俺の中に違和感が生まれていた。
……ぶっちゃけ、旗本の三男坊を名乗り市井に紛れて悪を倒す徳川八代将軍くらい怪しいと。
かつてBGMを使ったことがありながら、そこにすぐ気付かないとは案外俺も抜けているものだ。
一方で、俺の言葉を受けたアレスは視線を焚き火に落とし、少しの間逡巡するように瞑目し、小さく息を吐き出してからゆっくりと口を開いた。
「……そうか、そこまでわかっているのなら正直に明かそう。僕の名は、アレクセイ・クラスノヴァ・ノルターヘルン。ノルターヘルン王国の第三王子だ」
アレスの口から放たれた言葉に、無言で俺たちふたりの会話を見守っていた面々に衝撃が走るのがわかった。
同時にアレスは、胸元から鎖に通されたミスリル製と思われる指輪を取り出して俺へと見せる。
そこにはたしかにノルターヘルン王家の紋章が刻まれていた。
貴族教育を受ける中で何度か俺も見かけたことがあるものだ。
もちろん、これだけで王族であると100%証明するには至らない。
だが、ミスリルで造られている時点で偽造するにはハードルが高すぎるし、仮にそうだとしたら俺ならこんな辺鄙な場所ではなくもっと他のことに使う。
ひとまず、本物であると判断していいだろう。
しかし、そうなると今度は別の問題が発生する。
「あー……。いや、参ったな……。まさか王族だったとはね……」
内心の驚愕を漏らさないように意識したものの、結果的にそれは叶うことなく、行き場を求めた感情が俺の口から言葉へと混じって吐き出された。
いや、まったく予想していなかったわけではない。
いくら傭兵に身をやつしているとはいえ、貴族階級出身の人間が名もない傭兵に近づいてくるなんて普通はないのだから、相手が何者かは多少なりとも警戒することにはなる。
よほどの例外でなければ、同輩意識を持つ奇特な貴族か、それこそ別の意味での
アレスからは後者の気配はしなかったため、いいとこ変わり者の上級貴族関係者かと思っていたが、蓋を開けてみればまさかの王族。
正直、ここまでの大物だとは思っていなかった。
「まぁ、驚くよね。でも、僕は側室の子だからそんなたいした者じゃないよ。あぁ、今さらだし態度を改めたりはしないでくれ。なにしろ今の状況では、そんな肩書きなんて何の役にも立たないからね。呼び方もアレスのままがいい」
せっかく知り合えた相手に気を遣わせたくない――――そんな感情が見えた気がした。
苦笑しながら答えるアレクセイは、初めて会った時と変わらないアレスのままであった。
とりあえずはと、そこから諸々の経緯を聞いていくと、アレクセイ――――アレスがこの北伐軍に潜り込めたのも、自分と懇意にしていた王都の騎士団長に半ば無理矢理に頼み込んでのことだったらしい。
永らく表舞台に出ていないこともあり、アレスの顔を知る存在は王国執政府内部でもほんのひと握りだという。
したがって、北伐軍内部にもアレスがアレクセイであることがわかるであろう人間は、第二王子のユーリがどうかというくらいとのことだ。
よくもまぁそんな場所に王族がひとりきりでいられるものだ。
ミーナたちもそうだったが、俺が思っているよりもこの世界の王族はフットワークが軽いのかもしれない。
あるいは、世界を取り巻く状況がそうせざるを得なくしているのだろうか。なんとも言えない気分になる。
「騙すような真似をしたのは申し訳ないと思っている。けど、それはキヤーノ、君にしたってそうではないかと踏んでいるんだがね……?」
次はそちらの番だと言わんばかりに、素性を明かして若干肩の荷が下りた様子のアレスから俺に向かって言葉が投げかけられた。
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