第189話 ぬきあし さしあし ちどりあし


「キヤーノ殿、こんな朝早くから呼び出すことになりすまないな。本日より、我が軍は敗走した獣人軍を追撃すべく、さらに北へと向かうわけだが、貴殿らにはそれとは別で偵察を依頼したいのだ」


 夜が明けて間もない内に、天幕を尋ねてきた伝令の兵士に俺は呼び出された。


 眠い目をこすりながらも本陣へと出向いた俺へ、傭兵に接する担当者と思しき騎士から一枚の羊皮紙が差し出される。

 そこに記された内容へと目を通した俺の表情は小さく固まった。

 もちろん、「キヤーノ・ビタ・サンノエッヂ」と名指しで書いてあったからではない。


「……未確認地域の偵察任務? ひとつお訊きしたいのだが、戦場いくさばでそれを命じるということが、だとは認識されているのか?」


 自分でも、声色にはかなり不機嫌な成分を滲ませていたと思う。


 だが、そうもなる。


 十中八九敵が潜んでいるであろう場所に少人数を送り込むとか、相手側偵察部隊との遭遇からの戦闘も考えられるわけで、それこそ超が何個つくかわからないようなとんでもなく危険な任務だ。


 それでいて重要度も高く、はっきり言ってどこの馬の骨かもわからない傭兵にやらせるような仕事じゃないぞと説教を始めたくなる。

 ていうか、ちゃんとした訓練を積んだ正規軍を出せよ、正規軍を。戦争舐めてんのか。


 喉元まで出かかった不満の言葉を飲み込み、俺は無言の圧力を放出して騎士の返事を促す。


「あー、偵察を依頼する地域は我々の進軍予定路の脇にある森林地帯だ。敵主力とぶつかることはまずあるまい」


 ……まるで答えになっていない。


 もしそこに伏兵がいれば、そいつらに死ぬまで追い回されることになるんだけど、それは無視ですかそうですか。

 ……いや、違うな。これはその可能性について

 なにしろ、俺の視線から露骨に目を逸らして言ってのけやがったくらいだ。知らぬということはあるまい。


 いずれにせよ偵察が帰って来なかったらそこに敵がいるとわかる、と。

 実に人命がカネで買えてしまう世界らしいワイルド極まりないやり方だ。


 まぁ、後ろ盾どころか名もない傭兵の扱いなんてこんなものか。

 それに、向こうからすればその分の対価は払うということなのだろう。


 しかし、けして気持ちのよいものではない。

 べつにこの騎士が偵察を発案し人選まで行ったわけではないのだろうが、それでも傭兵との窓口をやっている以上、こちらとしては責めるような視線を向けたくはなる。


「ほ、報酬には十分色を付けよう。前金も幾ばくかは用意する」


 それを高いととるか安いととるかは自分次第、と。


 よもや傭兵相手なら金でどうにかなると思われたのではあるまいな。

 余所の連中は知らないが、俺ならこんなはした金で命は賭けられない。


 だが――――。


「なに、貴殿らだけではなく他にも二つの傭兵団が参加する。小勢だが心配するには及ばん。少なくとも頭目は腕の立つ傭兵として名も通っている」


 騎士がなにやら俺を説得しようとあれこれ喋っているが、すでに俺は半分も聞いていなかった。

 この時、俺が考えていたのは、この依頼を上手く利用できないかというものだ。

 提示されている報酬はともかくとして、考えようによってこの依頼は今の俺たちにとってはまたとないチャンスとなる。


 イリア奪還に向けて、どうやって本隊からなるべく問題にならないよう抜け出ようかと思っていたわけだから、まさしく渡りに船とも言えるわけだ。


 しばらくの間、俺は騎士の説得の言葉を右耳から左耳にスルーさせつつ、悩んだふりをして両腕を組んで瞑目。脳内で計画を練ることにした。


「……わかりました。他でもないおかみからのご依頼とあれば、不肖ながら引き受けさせて頂きましょう」


 考えがまとまったところで、いい加減こちらを説得するための言葉が出なくなったのか、ただただ不安そうにこちらを見る騎士に視線を向け、俺はゆっくりと首を縦に振るのだった。


「おお、ありがたい……!」


 これによって、騎士の顔が一転して満面の笑みに変わったのは言うまでもない。













それからしばらくして。







「とりあえず野営用の荷物は本陣に預けてきたし、あれならトンズラをカマす気でいるとは思われないだろう」


「未帰還時には敵の部隊と遭遇し全滅……とでも片付けられるわけか。相変わらず抜け目がないな」


 小さく雪の軋む音を立てつつ、どうでもよさそうに会話をしながら歩を進めているのは俺とサダマサ。


 既に偵察を命じられた森林地帯へと足を踏み入れており、ノンキに会話をしているようで周囲にはきちんと警戒の目を向けている。

 また、遭遇戦に備えて腰に刀を佩いてはいるものの、俺の外套の下にはサプレッサーを取り付けたH&K MP7A1 PDWを吊るしており、いつ敵が現れてもいいように備えながら足を進めている。


「まぁ、これでさえいなければ、早々にオサラバできていたんだがな」


 自分でも言葉にトゲがあるなと思いつつ、俺たちの後ろを無言でついてくる面々が雪を踏みしめる足音へと意識を向ける。


 チラリと後ろを振り向くと、ショウジ、ベアトリクス、ミーナ、ティアが固まって歩いていた。

 そして、その左右には、同じように偵察任務を押し付け――――もとい、与えられた二集団に属する傭兵たちが、周囲を警戒するように視線を動かしながら歩を進めているのが目に映る。


 本陣を出る前に自己紹介は受けたが、短い付き合いになると思ったため名前はほとんど覚えていない。

 たしか、それぞれの頭目リーダーの名前が、ミローノヴナとフロルであったと思う。どっちがどっちだったかは割と曖昧である。


「前金分の仕事くらいはしろってことだな。だが、連中もなかなかどうして真面目にやっているじゃないか」


「まぁ、こっちに絡んでこなかっただけでも評価は上がるわな」


 ちなみに、毎度毎度のとして、傭兵たちからちょっかいを受けるかと思っていたのだが、それはついぞ起こらなかった。


 どうやら、傭兵をたった一撃でぶちのめした長身の恐ろしい女がいるとのウワサはそれなりの規模に広まっているようで、何度か遠巻きにこちらを見るようなシーンはあっても、実際に粉をかけてきたりする気配は微塵もなかったのだ。


 それどころか、先頭に立って俺たちが進むこともすんなり受け入れてくれた。

 コレはティアのウワサよりも、昨日の反攻で俺たちの団が槍働きを示したから……だと思いたい。

 まぁ、トラブルにならないで済むのならそれでいい。


「どのみち、もうしばらくは勝手に動くわけにもいくまい。それこそとかでもしない限りはな」


「さらりとコエーこと言うんじゃねぇよ」


 なんでもないことのように放たれたサダマサの言葉に俺の顏がひきつる。

 コイツならやりかねないと思ってしまったのだ。


「そんな顔をするな、冗談だ。物事が予定通りに進まないのはよくある話だ。なんでも物理的に片付ければいいと思っているわけじゃないぞ」


 んなこと言ったって、サダマサが言うと冗談に聞こえないんだよ。


「え? 考えて物喋ってたとか初耳なんだけど」


 意趣返しとばかりにすっとぼけた調子で返してはみたが、俺もサダマサがバカではないことくらいとっくの昔から知っている。

 「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉に圧倒的物理力までくっつけることはあるにしても、基本的な考え方は高等教育を受けた現代人のそれだ。

 ちょっとばかり常人よりも確信犯的な行動が多い上に、戦闘狂属性と刃物を振り回す才能に生来恵まれているだけで。


 ……十分なまでに異常者の条件を満たしているな。うん、気が付かなかったことにしよう。


「しかし、こんなに人気ひとけもないんじゃあ、ここ死んでも気づかれないで終わりそうだな。骨も返ってこないぜ」


 周囲に敵の気配らしきものは感じられないが、だからといって油断はできない。

 この地の森など、獣人たちにとっては庭のようなものだろう。

 向こうとしても、ノルターヘルンが放つ偵察部隊への警戒くらいはしているはずだ。


 よほどのことがない限り、必ずどこかで遭遇する。


「文字通り死ぬまでこき使われたことになるな。最終的には野犬や魔物のエサになったことにでもされるんだろう」


 そうつぶやくサダマサはどうにも退屈そうで、欠伸を堪えてさえいた。


 まぁ、遺骸の捜索なんて、この世界じゃ兵士だってやってもらえるかわからない。それが傭兵ともなれば言わずもがなだ。

 死して屍拾うものなし。世間の辛さが身に染みる。


 それよりも今はこのすることのない時間が辛い。


「どうだろう、哀れくらいには思ってくれるかな」


「思うだけなら懐も痛まないからな。実にエコノミーだ」


「ヤダねぇ。ケチな男はモテないぜ」


 俺もいい加減、どうでもいい話題で軽口を叩き合うのに飽きてきた。


「……クリス、妙だ」


 不意に、サダマサが声を発するとともに歩調を落とした。


 何事かと思うものの、俺も黙ってそれに倣う。

 同様に、後方でもこちらの動きを受けてか訝しがるような気配が生まれる。


「妙ってなにが?」


「おかしくはないか。


 冬だからではないのかと言いかけるが、すぐに俺は口を噤む。

 そんなことはサダマサ自身がよくわかっているはずだし、それを踏まえた上で言っているのだ。


 たしかに、言われてみれば動物の気配がまるでない。


 雪国には雪国の生物が生息しており、平原部ならともかくとして、森ならばその気配が冬でもそれなりに残っているはずだ。

 それが一切感じられないというのは、はっきり言って異常である。


「……気配がないからと少し油断していたかもしれないな。はっきりはわからないが、


 サダマサが視線を前方に向けたまま、俺に向けて小さく言葉を放つ。

 左手はまだ腰の太刀に伸びてはいないが、警戒感だけは少なからず滲ませている。

 「どうする、このまま進むか?」とこの場の面々を率いる俺に判断を問いかけているわけだ。


「今からここを迂回するってのはちょっと避けたいな。戻って森を回避するのでは時間がかかり過ぎる」


 考えてはみたが、迂回するというのはナシだ。

 それに、怪しいからと言ったところで、さすがに同行者の傭兵たちからの賛同を得られるとは思えない。


 ものは試しと『魔力探知』で周囲を走査してみるが、空気中の魔素と同等以下の反応は完全にノイズとして処理されている。

 サダマサの勘が間違っていないとすれば、付近の空気と同じ程度にまで魔力の放射を抑えていることになる。

 もしかすると冬眠の応用か?


「何かあったのか?」


 警戒を高めつつ様子を探っていると、後ろの傭兵のひとりがこちらへと近付き声を投げかけてくる。

 周囲の異変にはまだ気付いていない様子だ。


「……わからない。だが――――おい、前に出るな!」


 警戒したままでいる俺たちの横を通って前に進もうとする傭兵。

 こちらをチラリと見た顔にはこちらを侮るような色が含まれていた。


「なにをビビっているんだ。手柄を立てた傭兵だって聞いていたわりには――――」


 果たして、引き金になったのは傭兵の発した声だったのか、それともこちらが動きを止めたことでバレたと思ったのか、それは隠れるのを諦めたらしく、急激に気配が膨れ上がってくる。


「……くるぞ!」


 サダマサが警告を放つと同時に、ほんの十数メートル先で降り積もった雪が爆発。


 こんな近くに潜んでいたのか!?


 内心で驚愕を覚える中、地面を覆う雪の下に隠れていたの姿が露わになる。


「なんだこいつは!?」


 とうとう俺の口を突いて驚愕の言葉が叫び声となって出る。

 そんな俺の視界の向こう側に現れたのは、灰色の巨大な蠍であった。


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