第188話 烈風 雪雲 切り裂いて~後編~


「……というのが、さっき得た情報だ」


「そう。でも、実態だけを見れば緒戦は辛勝ってところよね。いきなり潰走してたら笑えなかったけど、それさえもあの爆発の混乱で第二軍が押っ取り刀で駆けつけていなかったら、今頃どうなっていたことか」


 湯気の立ちのぼるミルクティーのカップを、手袋越しに両手で抱えていたベアトリクスが、俺の説明を聞き終えて溜め息混じりの言葉を漏らす。

 我が奥方はなかなかに辛辣であられる。


 夜の帳が降りた付近一帯は、未だ戦いの緊張が残るかのように心なしか張りつめた静寂に包まれているように感じられる。

 そんな中、設営した天幕の中で、俺たちは焚き火を囲っていた。


 今は食事を済ませ、ゆったりとしながらも今後の方針を話す時間となっている。

 もっとも、明日も早くから行軍開始となるため、早めに切り上げて眠ることにはなるだろうが。


 ちなみにティアだけは興味はないのか、単純に腹がくちくなって眠くなっただけなのか、既に寝袋にくるまって寝息を立ててしまっていた。

 ホント、このお姫様はいつだってマイペースである。


「まぁ、この先だってどうなるかわかったもんじゃないけどな」


 カロリーを取るのとカフェインをやや薄める目的で作ったカフェオレを口に運び、俺は液体で熱された吐息を漏らしながら答える。


「悲観的ね。でも気持ちはわかるわ」


 敵が退いたからと安心することはできない。

 あくまでも、ここから続く戦いの一発目が終わったに過ぎないず、夜半に襲撃を受ける可能性とてあるのだ。


 一応、夜目の利く獣人による野営地への夜襲を警戒して歩哨を立たせているようだが、まぁ残念ながら味方にはあまり期待はできそうにない。


 これは士気がどうのこうのというよりも、ぶっちゃけ指揮に問題がある。

 いったいどんな考え方をしていやがるのか、歩哨に割いている数が少なすぎるのだ。


 これでは夜襲そのものが起きないことを祈るか、起きたとしても撃退できるよう死ぬ気で戦うしかない。

 まぁ、『レギオン』のUAVが引き続き上空からの警戒監視をしてくれているようなので、俺たちにとってはそれほど心配する必要はないと思う。

 イザという時は緊急回線で警報が来ることになっている。


 そんな便利なものがなく、警戒心のある傭兵団などは寝ずの番を立てて独自に警戒していることだろう。

 彼らの犠牲になる睡眠時間は心中察するに余りある。


「アレでも動かないようなら早々に潰走していたろうよ。そんな戦いに先はない。さっさと単独行動に切り替えて帝国に帰っていたさ」


 戦況の動きすら理解できないようでは、もはや俺たちがテコ入れに奔走したところでどうにもならない。それ以前の問題だ。

 少なくとも、今回の戦いにおいて派遣されたノルターヘルン軍側の初動はお世辞にも褒められないレベルということになる。

 誰が決めたか知らんが、派遣するトップを間違えたな。


「わたくしは早く帝国おうちに帰りたいです。うぅ寒い、ぶるぶる……」


「我慢……は無理か。これで暖をとってくれ」


 俺たちの会話をよそに、毛布にくるまって相変わらず寒そうに震えているミーナへと貼るカイロを数個『お取り寄せ』して渡す。

 さながらミノムシのようになっているミーナだが、身を包むものへ引火するとまずいので焚き火のそばにはあまり近寄れないのだ。


 寒さが苦手にもかかわらず、それに反するようにどんどん北へとシフトしてきているのだから、ミーナにとっては拷問みたいなものだろう。

 なんなら先に領地にヘリで運ぶから帰っていてくれてもいいとは言ったのだが、ミーナは柔らかな笑みを浮かべながらも頑なにそれを拒んだ。

 物好きなヤツだと言いたくもなるが、その強い意志には俺も頭が下がる。


「むー、そこはクリス様が人肌で温めてくれませんのー?」


 ……たまにこうしてキワッキワな発言をしてくるのが難点だが。


 俺の対応に不満そうな顔をしつつも、ちゃっかりこちらへの距離を縮めてきているあたりも実に抜け目がない。


「……ミーナ、話の邪魔をするなら釜茹でにするわよ」


 話の腰を折られたからか、ベアトリクスはジロリとミーナを睨みながら若干不機嫌そうな声を出す。

 その言葉に、ピタリと俺への接近が止まるミーナ。


 それにしても、釜茹でとかベアトリクスはハイエルフ汁でも作る気なのだろうか。

 案外地球――――日本なら商売できるかもしれないな、などとしょーもないことが脳裏をよぎる。


「冗談です、ベアトリクス様もそんなに怒らないでくださいまし」


 ベアトリクスの厳しめな視線から身を守るかのように、より深く毛布にくるまるミーナ。

 毛布とウーシャンカの間からはみ出たエルフ耳がぴょこぴょこと動いている。戯れ半分といったところか。

 ベアトリクスもわかっているのか、それ以上は言わず溜め息だけで済ませる。


「それにしても、結果的に撤退はせずに済みましたが、この先どうするのです? まさかクリス様、最後までこの戦いに付き合うつもりなのですか?」


 ふとそこでミーナの声が真剣味を帯びる。


 見ればベアトリクスやショウジの目も似たような色をしていた。

 少なくとも、一部例外を除くメンバーとしては、明確な俺のスタンスを聞いておきたいのだろう。


「……できればそれは避けたいな。正直、現状では得られるメリットは何もない。となれば、そろそろイリアの奪還を優先したいところだ」


 チラリとショウジの方に視線を向けてすぐに戻す。

 昼間の戦闘を見る限りでも、今は比較的落ち着いているようだが、心底ではずっと気になっていることだろう。

 早めになんとかしてやりたい気持ちはある。


 それに、時間をかければかけるだけ、この地域を取り巻く情勢に巻き込まれるだけだ。

 国境を越えることになる明日以降には、こちらも身の振り方を考えなくてはならないだろう。


「今回は、向こうが流れを見て退いてくれたと言えるかもしれないけれど、ここでわたしたちが水面下で交渉に出向いてどうにかする目はないのかしら? 王国との和平の仲介ではなく、対王国勢力としてね」


「こうして戦いが起きる前なら可能性はあったかもしれない。だが、一度始まればどっちもある程度戦うまでは止まらないだろうな」


「やっぱりそうなるのね……」


「それに、まず第一に窓口がない。そんな状況で俺たちが出向いても戦いになるだけだ。向こうだってあんだけやる気になってるんだから、今は戦争継続が主流派だろう。今回の軍勢を率いているヤツもそっち側と見た方がいいだろうな」


 それでも、せめてイリアがいてくれてたら――――とは思う。


 そうであれば、それを有効利用できたかは別として、ベアトリクスの言うように対王国の勢力になってもらうための渡りをつけるくらいはできたかもしれない。

 少なくとも、その可能性を掘り下げるための時間を稼ぐことくらいはできただろう。


 だが、現実にはイリアはこの地で獣人と思われる勢力に攫われており、その身柄の奪還も含めて、帝国の将来のためにこの戦いの行方を見届けなければならない状況となっている。

 しかも、かなりの確率でイリアの奪還=相手との交渉ができなくなるというルート付きで。


 うーん、考えるだけで頭が痛くなってくる。


「それに、今回は俺自身オフィシャルな立場じゃないからな。本国の了承も得ずに勝手なことはできない」


 続く俺の言葉に、そうだったという表情になるベアトリクス。

 ついついここまで来てしまっているが、今回にしてもノルターヘルンの様子を探るように言われているだけで、戦争に参加しろとは一言も言われていないのだ。


 時々、なんでこんなあちこちで外交官僚でもないのに、こんなことしなくちゃならないのかと思うことがある。


「立ち塞がる敵を片っ端から叩いていけば、そのうち解決すると思うぞ」


 ブラックのコーヒーを飲んでいたサダマサがしれっと答える。


「はいはい、戦いたいだけの歩く銃刀法違反は黙ってどうぞ」


 なにその『みんな死ねば平和になる』みたいな土台ごと吹っ飛ばす考え方。

 思えば中学校くらいの時、クラスに一人くらいそんなこと言うリアル中二病患者がいたもんだ。

 今なら冷静に言える。それは平和なんじゃなくて「なにも残っていない」だけだと。


「そりゃみんな吹っ飛ばして終わりならそれでいい。だが、『レギオン』の大盤振る舞いで獣人軍を空爆でもしてみろ。それがなんであれ、ノルターヘルンは大喜びで北進を開始。獣人軍は倒されて、戦力を温存したノルターヘルン軍は調子に乗る。というよりも勝利を演出した連中の勢いを押さえられなくなる。そして好機とばかりに今度は南進を開始。捕虜を先頭に立たせて帝国との戦争だ」


「うーん、結局は相手に利するだけ、か」


 論外ねと続けるベアトリクス。

 しかも、そこで節約させてやった戦力と将来的に戦わねばならんのだ。こんなにアホな話もあるまい。


「それも同じようにふっ飛ばせばいいかもしれないが、次に戦場となる場所は各国の国境近く。イヤでも注目が集まる場所だ。『勇者』がどうなるかもわからない中で、さらに魔族との大戦を考えたら不必要にこっちの手の内を晒したくない。あと、せっかく備蓄した兵器はともかく、燃料・弾薬類の補充に時間がかかる」


 せっかく『レギオン』を手に入れたにも関わらず俺が大きく動けないのは、現代戦が非常に魔力コストがかかるということもあるが、それ以上にこの世界が実に微妙なバランスの上に成り立っているからにほかならない。

 それこそ、何かを切っ掛けにたちまちあちこちから火の手が上がるほどの。


 加えて、そのバランスにしても、ここにきて急速に崩れつつある。

 『大森林』の件などを見れば俺が崩したと言えるかもしれないが、それも長年堰き止められていたものがたまたま同じタイミングで溢れ出し始めた結果だと見ている。

 しかも、本荒れはこれからだ。

 そんな状況下で、新たな混乱を呼び寄せる安易な真似だけは避けたかった。


「でもまぁ、正直なところ、思ったよりもノルターヘルン側が本気じゃないとわかったのは収穫かもしれないな。少なくとも派閥争いしか考えていないヤツくらいだろうよ、本気で北伐が可能だと妄想しているのは」


「本気じゃない? 根拠はあるんですか?」


 ミーナがもっともな疑問を挟んでくる。

 まぁ、俺もアレスと話していてわかった部分でもあるから説明はしておくべきだろう。


「軍の動きだな。仮に第二王子が軍事的にまったくの無能でも、本気でこの遠征を成功させるつもりなら、それを完璧に補佐できる実力を持った将軍のひとりくらいはつけるだろ? 少なくともそれが見られないということは、北伐と銘打っているこの戦いもノルターヘルンの総意ではないってことになる」


 あるいは単純に事態を重く見ていないだけかもしれないが、いずれにしてもノルターヘルン主力軍が向くべき場所は他にあると現状では判断しているはずだ。

 事実、送り込まれている騎兵部隊が、俺の想定に対してあまりに少なすぎる。


 もしも俺の考えている通りの状況であるなら、ここからはノルターヘルン内部にいるのではなく、別で動きながら獣人軍の勢いを削ぐことで、俺たちの狙いである獣人とノルターヘルン間の膠着状態へと持ち込める可能性が出てくる。

 戦い自体を止めるには決定打となる要素が足りないが、これは同時に、イリア奪還に向けて行動を起こせるということでもある。ここで動かない手はない。


「……そうだな、当然タイミングを窺うことになるだろうが、そろそろ行動を起こそうと思う。おそらく勝負は明日になるな」


 決断を下す俺の言葉に、各々がやっと解放されるという安堵の溜息を吐くのと同時に、いよいよかという顔を浮かべるのだった。

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