第187話 烈風 雪雲 切り裂いて~前編~


 いつしか、辺りは日が暮れようとしていた。

 雪原を赤く染め上げ、幾多の屍を生み出し、そして今はその残滓の残る戦場を新たな色で紅に染めながら、山向こうへと夕陽が沈んでいく。

 散っていった戦士たちの死を看取るかのように。


「キヤーノ!」


 立ち止まって夕日と戦場跡に向けていた視線を正面に戻すと、俺の背中に投げかけられる声。

 味方が新たに本陣を設営した地点まで戻ったところで、俺はアレスとばったり出くわした。


「アレス……」


 呼ばれたそれがだと理解するのに少しだけ間が空いた。

 適当な偽名なんかつけるもんじゃないな。


 俺が顔を向けると、アレスはこちらを探していたとばかりに小走りでやってくる。

 しばし逡巡したが、話をするのに俺以外はこの場にいない方がいいと判断し、野営のための天幕の準備に行ってもらうことにした。


「聞いたよ。獣人の攻勢を君たちだけで押し返したんだって?」


 ふたりきりになったところでアレスが口を開く。


「……俺たちだけってのはかなり誇張が含まれてるが、まぁ、たまたまだよ。状況が整っていたからだろうな」


 大袈裟に語られてしまうのはどうにも居心地が悪い。


 詳しい話を聞きたそうな様子のアレス。

 本人の鎧などに真新しい戦いの痕跡が特に見られないことから、やはり後方で待機していたらしい。

 こちらの戦果を喜ぶ一方で、若干不満そうな気配が表情に見受けられることから、本当はアレスとしては前線に出たかったのだろう。

 あの状況になるまで、後方待機組に一切の抜け駆けは許されなかったということになる。


 あれから獣人軍との戦闘が一応の終結を見せたところで、ノルターヘルン全軍は戦闘の行われたエリア一帯を制圧。付近に潜む残敵の掃討に移行した。

 俺たちもそれには参加していたが、展開させていたUAVの高高度偵察により付近からはすでに撤退済みであることを把握していたため、適度にサボらせてもらった。


「それにしたって、よくあんな状況で持ちこたえられたものだよ。前線に出ていた傭兵団には結構な被害が出たらしいのに」


 手柄を上げられなかった人間が、手柄を立てた人間に対して手放しに喜ぶことは稀だ。それが傭兵ともなれば尚更である。

 ところが、アレスからは嫉妬の類の感情は一切見受けられなかった。

 人間ができているというか、育ちの良さが抜け切れていないというか……こういうところがあるから、俺はこの男に必要以上に気を許してしまいそうになるのかもしれない。


「まぁ、後から突撃したわけだし、それに乱戦が得意な仲間がいたからだな。俺ひとりじゃ死なないようにするのが精一杯だった。運が良かったのかもしれないな」


 立ち話もなんだと、俺たちは少し歩きながら話すことにした。


 戦場から宿営地に変わった一帯では、両軍の死者を陣地の外へと運び出したり、負傷した傭兵が医者のいる天幕へと運ばれていく光景が繰り広げられている。

 また、もう少し奥の方へと歩いていくと、今度は傭兵団の構成員と思われる若い人間が食事の煮炊きを始めていた。

 鼻腔を刺激する匂いに、俺も少しばかり空腹を覚え始める。


「言うねぇ。殿しんがりに残った敵の隊長クラスを討ち取ったって話を聞いたけど、アレも?」


「あぁ、うちの仲間だ」


 俺の言葉に、アレスの瞳に興味深げな色が宿る。

 サダマサをこの場に残さなくてよかったと思う。

 この調子で質問攻めを喰らって面倒くさそうに顔を顰めるサダマサの顔が、俺には容易に想像ができた。


「なるほど、さっきのちょっと変わった格好をしていた人だろう? すごい風格だよね、遠い異郷から来た剣士って感じでさ。ところで――――」


 大袈裟にも見える剣士の振舞いをしていたアレスは、宿営地の外れまで来て辺りから人が減ったことを確認するように視線を動かすと急に声を潜める。

 何やら大きな声で話したくはない内容らしいが、なんだかんだと人気がない所まで来ているあたり最初からこれを訊こうと思っていたのだろう。


「途中で起きた爆発。アレは何だったか知らないか?」


 突如として振られた話題に、俺は一瞬言葉に詰まりそうになった。


 なんとか表情を動かして「いきなり何を?」と怪訝なものをアレスに向けることができたのは、この世界に生まれてからの経験がゆえにできた行動であろう。


「いや、なにか見たとかでもいい。あの当時、最前線にいた人間にそれとなく訊いて回っているんだが、誰もわからないみたいなんだ」


 俺の浮かべた表情を、アレスは正しく誤解してくれた。

 その間に次に放つべき言葉を脳内に紡ぎ、俺は慎重に口を開く。


「……あぁ、あの流れを変えた爆発か。いや、悪いが俺にもわからない。俺たちだってあの時は丘の上にいたからな。むしろ誰か味方の魔法士が奥の手を放ったのかと思って、慌てて斬り込みに行ったくらいだぜ?」


 もちろん、俺がやりましたなんて言えるはずもなく、努めて平静を装って答えるに留まった。


「そうか……。獣人が魔法を得意とするなんて話は聞いたことがない。そうなると、アレは味方が放ったものに違いないはずなんだが……」


 内心で幾ばくかの焦りを感じるのと同時に、俺は大した洞察力だとアレスに対して感心していた。


 あの爆発を見ていても、それが誰によるものかまで考えられる余裕があるヤツは少ない。

 後になって思い出すことはあっても、その頃には記憶も幾分か色褪せており、やがてどうでもいいこととして風化していく。

 もちろん、後方で見ていたからでもあるのだろうが、同じくその場にいたであろう第二軍に属していた傭兵や王国の兵士などが動いていないことを考えると、その威力に気付いているのは不思議なことではあるのだが、現時点ではアレスくらいのものらしい。


 しかし、アレを魔法によるものだと思っているのであれば、アレスの疑いが俺たちに及ぶことはないだろう。


「案外、撃ったヤツとその仲間は殺られちまったのかもしれないな。爆発の場所も獣人たちの集団の中だったんだろう? そんな長距離攻撃が可能な魔法なんて、正規軍の魔法士部隊でしか使えないはずだ。いいところ、道連れの自爆だな」


 アレスを騙しているようで気が引ける思いもあったが、今後俺たちが自由に動くためには情報を引っ掻き回しておく必要があった。

 さらに、そこから素知らぬ振りで話を聞いてみたが、これといった情報は得られていないようだ。

 当時前線にいた傭兵たちに話を聞こうとしたものの、彼らはあの戦いがよほど堪えたのか、ろくに話をしようともせず自分たちのテントへ引っ込んでしまったとのこと。


 まぁ、援軍が来なければ蹂躙されていた戦いだ。

 彼らが受けた損害にしても、今後の傭兵団そのものの存続に関わるレベルなのかもしれない。

 そんな時に、第二軍にいた傭兵の相手をしたくはないのだろう。


「破れかぶれの一撃か……。せめて使用した本人だけでも生き残っていてくれたら、大事な戦力になったかもしれないんだがなぁ」


 割と真剣な様子で嘆くアレス。

 まぁ、戦いを有利にできるだけの手段が手に入ったかもしれないのだ。その気持ちはわからないでもない。


「おいおい、自分のトコにスカウトでもするつもりだったのか? まぁ、なくしたものを嘆いていても戦いには勝てないぜ。明日からの戦い方を考えた方が建設的だよ」


「……そうだね」


 肩を落とし、幾分か気落ちした様子のアレス。


 たしかに、あの破壊力を戦いの中の然るべきタイミングで放つことができれば、戦況を一時的にひっくり返し得る。

 そこに目をつける人間が出ても不思議ではないが、中でもアレスには、貴族の出だからという言葉だけでは説明しにくい、ある種の先進的な戦術眼を持っているようであった。

 しかも、咄嗟の時に真価を発揮してくれる類の。


 こういうヤツを仲間に引き込めたらいいんだがなぁ。


「たしか……アレスは作戦会議には出られるんだろう? もっと騎兵を有効に使えって具申しておいてくれよ。あれじゃ折角の戦力が無駄になっちまってる」


 とはいえ、俺もあまりこの話を続けていたくはなかったので、それとなくアレスを他の話題へと誘導する。

 実際問題、もうちょっと戦い方を何とかしないとこの先勝利を収めることは難しくなるのは事実なのだ。


 ……それならそれで勝手にやるから構わないとか思い始めているけど。


「……やっぱりそう思うかい?」


「あぁ。集めた傭兵に手柄を立てさせなきゃいけないのと、騎兵の出し惜しみをしたくなる気持ちはわかる。たしかに、機動力と個々の戦闘力に優れる獣人を相手にするとなれば突進力の強い騎兵は切り札にもなる。だが、それを相手が平地で戦ってくれている時に使わないのは、悪手以外のなんでもないだろ?」


 本心から思っていることなので意識せずとも呆れたトーンの声が出てしまう。


「うーん、そうなんだけど指揮官がねぇ……」


 俺の言葉に、アレスは困ったような顔を浮かべる。

 なにやら事情を知っているようだ。


「ノルターヘルンの第二王子が出張ってきているっていう話は知っているかい?」


 再び辺りの様子を窺って声を潜めるアレス。結構な事情通であられることでとこれまた感心する。


 しかし、言われてみればたしかに先ほど通って来た中で、ノルターヘルン正規軍が集まっている天幕群の中にひと際物々しい警備に包まれたエリアがあったような気がした。

 貴族のためにしてはやりすぎだと感じたものの、王族がいるのであれば納得もできる。


「……そりゃ初耳だな」


 うへぇ、途端にロクでもない気配がしてきたぞ。


「だろうね。僕もたまたま漏れ聞いた情報だから。まぁ、実態はよくある後継者の箔付けで、どこぞの貴族と一緒にって形だけどね。とはいえ、戦いの勢いが完全に傾くまでは存在を公にするつもりはないらしい」


「なんだ、ずいぶんと弱気だな。仮にも国のトップを狙うんだろう? そんなんでいいのか?」


「元々が派閥争いの一環らしいからね。病弱でもう数年も持たないと言われている第一王子の代わりに、跡目を正式に国王へ認めさせたいのさ。第三王子もいるらしいけど、表舞台にはもう長いこと出ていないみたいだ。それでも、早いところはっきりさせておきたいんだろうね。後から第三王子を擁立する派閥が出ないとも限らないからには」


 うーん、こんなところでノルターヘルンの内部事情が判明するとは。

 もしや俺が思っていた動きとは違うのか?


「なんにしたって、戦わされる連中からしたらいい迷惑だな」


 脳内では分析を続けつつ、俺は吐き捨てるように感想を漏らしたが、帝国という世襲制国家の中に属する俺にもまったく無縁の話というわけではない。

 まぁ、今はあまり考えないようにしたい。気が滅入るだけだ。


「まぁね。それで半ば無理矢理に王を承諾させた時、出された条件がそれらしいよ。獣人側に知られて戦力の一括投入を引き起こしたくはないだろうからね。決死の勢いであの突撃をされたら、旗頭を守り切れるかも危ういだろう」


 第一王子が無理とわかっていながら、未だ第二王子が王太子となっていないということは、何か現王に思惑があるのだろうか?

 いずれにしても、第二王子を推す派閥としては是が非でも成功させたい北伐なのだろう。

 それにしては早々に躓いているようで、他人事ながら大丈夫かと言ってやりたくなるが。


「なるほどね……。こりゃなかなか厳しい戦いになりそうだな。故郷くにに帰りたくなってくるぜ」


 しかし、話を聞けば聞くほどに溜め息が出てくる。

 もちろん本心からのものだ。


 そんな俺の姿を見て、アレスも似たような気持ちなのだろう、小さな苦笑を浮かべる。


「あはは。まぁ、僕が知っているのはこれくらいかな。あ、すまない、キヤーノ。作戦会議の時間が近付いている。今日はこれで失礼するよ。また会おう」


 少し名残惜しい気もしたが、そこで俺とアレスとの会話は終わりとなった。


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