第186話 あなたの瞳は冷たすぎるから~後編~
珍しい。サダマサが感情を抑えきれないほどなのか。
「ふーん、俺には理解できないね。あ、お願いだから追っかけたりするなよ?」
残念ながら、俺にはあの白虎の力量まではわからない。
おそらく、サダマサのような境涯にある人間の視点だからこそ見える何かがあるのだろう。そう自分の中で片付けた。
「そう心配するな。ここで追わずとも、またすぐに
俺の視線に気付いたのだろう。小さく笑ったサダマサは刀を鞘に納める。
鍔の鳴る音とともに、溢れ出ている鬼気を強制的に霧散させた。
まるで、それが自身の内に眠る狂気を制御するためのスイッチであるかのように。
決して生き急いでいるわけではない。
ただ常に強者との戦いへの飽くなき渇望をその身に宿しているのだ。
「まぁ、この場で追いかけずとも――――」
言葉とともにサダマサが再び左手を鞘に伸ばす。
ほぼ同時に、俺も妙な気配に気付く。
「向こうから来てくれた」
笑みが浮かぶと同時に、サダマサの右手が掻き消える。
かろうじて抜刀したのだと気付けた程度であった。
金属音が鳴り響き、火花が閃光となって散る。
「やはり、ここがこの攻勢の中心か!」
俺が察知するよりも早く動いたサダマサのすぐ近くには、いつの間に接近していたのか細身の曲刀を持った獣人が現れていた。
しかし、単純な力比べをするつもりは元々なかったのか、サダマサの斬撃にこめられた力を感じ取ると、そのまま絶妙の具合で自身の力を抜いて後方へと下がる力へ変える。
大した応用力だ。
「私の奇襲を防ぐとは、ヒト族にしては勘が鋭い」
地面へと軽やかに着地し、油断なく曲刀を構えつつ、それまで隠していた殺気を遠慮なしに放ちながら叫ぶ襲撃者。
俺たちの目の間に現れたのは、銀色の体毛を持つ狐の獣人だった。
身に流れる狐の血が濃いのか、体毛が身体を覆う割合は多く、身体は二足歩行に進化した狐といった様子である。さらには頭部までが狐のそれであった。
これは……かなり上級者向けの
しかし、本当に獣人軍の構成は複雑なようで、それだけにこの戦いに参加している部族がどれだけ多いかを知らしめてくる。
まさに一大攻勢というわけか。
「雑兵が偶然で回避できるものではないが、引く前の手土産にその首もらい受ける」
とはいえ、よほど奇襲に自信があったのだろう。
唸り声とともに吐き捨てた銀狐の獣人の声には幾ばくかの苛立ちが滲んでいた。
まぁ、この男の言う通りであろう。
おそらく、相手がサダマサだからこそ成功しなかった奇襲だ。
実際、俺が狙われていたら反応できていたかも怪しいと思う。
自分が真っ先に狙われなかったのをこれ幸いと内心で安堵しつつ、俺はサダマサが戦うための妨げとならぬよう後方へと下がりながら自分の立ち位置を調整する。
いつしか横合いまで来ていたショウジも俺のそれに倣う。
「あまりその他大勢と一緒にはされたくないな」
未だ構えをとる気配はなく、ただただつまらなさそうにつぶやくサダマサ。
その声色は、どこか不満げにも感じられる。
しかしながら、その一方で両目に浮かぶのは、相手の力量を見極めようとする剣鬼の眼差し。
「名前も知らぬ相手など、その他大勢と大して変わらぬであろう?」
取るに足らぬ存在と見たか、切って捨てるように
手の中で曲刀の柄を回転させ、逆手に持ち変える。
やはり、速度を活かした戦法をとるつもりだろうか。
しかし、俺の中で疑問が湧く。
浸透突破を図っていた連中の殿を務めるにしては妙だ。
敢えてこちらに突っ込んでくる必要はない。
ここでサダマサを倒せたとしても、その後で生き残れるかは怪しいところだ。
現に、遅まきながらもノルターヘルンの騎兵部隊がこちらへ向けて近付きつつある。
速度に優れる身体能力を持つとはいえ、騎馬の速度と体力による追撃を振り切ってまで逃げ切れるとも思えない。
つまり、この銀色の戦士はこの戦場で死ぬ気なのだ。
そして、そのために敵の戦力を少しでも削り取ろうとしている。
そこでサダマサを真っ先に選んだのは、戦士としての矜持だろうか。
「違いない。だが、墓標に刻む名もないようでは不便だろう? 名乗るまでは待ってやる」
挑発するように小さく笑って返すと、サダマサはゆっくりと刀を正眼に構える。
サダマサが雪上での戦闘経験をどれだけ持っているかは知らないが、少なくともここで自分から先に動かないということは、相手に先を譲っての迎撃を考えているのだろうか。
あるいは、先ほどの言葉と合わせての挑発か。
「抜かせっ!!」
少なくとも、銀狐の獣人はそれを怯懦ととったらしい。
たわめた脚をバネとして、雪を虚空に舞い上がらせながらの跳躍。
最大の加速で瞬時に彼我の距離を詰める。
加速の乗った一撃は、右手で握る曲刀の切れ味を最大限まで高める。
疾走から間合いに入るかというところで、狙いすませたように振り下ろされたサダマサの一撃を避けるべく強引に横へと飛んで急激な方向転換。
素早くサダマサの横合いへと回り込み、相手の視界の外から身体全体を低くして再び間合いへの侵入を試みる。
「シャァッ!!」
狙いは大腿部か。
決してサダマサを自分より弱いと決めてかかっているわけではなかった。
雪上での機動力を少しでも奪い、手数を駆使した後にトドメを刺す気でいたのだ。
だが、サダマサもそれを予測していた。
反転した刃が蛇のように跳ね上がり、銀狐の喉元目がけて繰り出される。
狐の顔が笑みの形に歪む。
大腿部を狙って斬撃を放ったにしてはいささか遅い。
「ふっ!」
またしてもサダマサの斬撃を曲刀で受け、宙返りをしつつ後方へ飛び退く。
着地と同時に、左手が翻る。
隠していた短刀を投擲したのだ。
今まででも使う機会はあったハズだが、このタイミングまで温存していたらしい。
つまり、本気で決めにきているということだ。
精確に放たれた短刀は、サダマサの喉元目がけて飛翔するが、その軌道を見切られ刀の鎬部分で弾かれる。
しかし、この投擲はその防御のための体勢を誘うための囮でしかなかった。
本命はこの跳躍からの刺突。
今のサダマサの体勢では、正面からの刺突を阻止するには時間がかかり過ぎる。
「
防御のためにできた隙。
それを突いて、曲刀がサダマサの身体に吸い込まれる光景を銀狐の獣人は想像したに違いない。
だが――――。
「なっ!?」
獣人の口から驚愕が漏れ出る。
サダマサはそれに対応して見せた。
瞬時に右手首の返しだけで刺突の場所に側面を合わせ、下を向いた切っ先近くに左手を運び支えとする。
そんな最低限の動きだけで刺突を防いだのだ。
その動作に要した時間は、わずか一秒にも満たないのではないか。
また、それだけに留まらず、刺突のエネルギーを一身に受け止める刀身への負荷を避けるべく、一歩踏み出た右足を軸に左足を半歩動かしつつ上半身を左に捻り、同時に刺突の勢いまでをも無理矢理受け流してのけた。
なんつー無茶苦茶な動きだ……。
「ガァッ!!」
だが、相手も並みの戦闘スキルの持ち主ではなかった。
瞬時に狙いが逸れた曲刀を手放し、わずかに腰を落としてから左手で新たに抜いていた短刀をサダマサの脇腹を目がけて渾身の力を込めて突き入れてくる。
膂力に頼らないがゆえに、それを補えるだけの手数を増やしているのだ。
まさに勝利を掴むための凄まじい執念の為せる業である。
しかし、すでにサダマサはその動きまでも読んでいた。
短刀を隠し持っていることを先ほど投擲した時点でサダマサに知らしめたことが、ここにきて仇となるとは想像だにしていなかったことだろう。
そもそも、銀狐の獣人は現れた時から不意を突こうとする戦い方を複数回見せていた。
必然的に、二本目以降の短刀の使用をサダマサが警戒していたとしても不思議ではない。
もっとも速度が乗っていた刺突を受け流し終えた時点で、サダマサは次なる不意討ちに備えるべく、速やかに身体全体を後方に向けて下げていたのだ。
そうして、二発目の刺突に先んじて斜めの軌跡を描いて放たれた一撃は、銀狐の獣人の肩口に喰らい付くと短刀を握る左腕を巻き添えとして切断し、静かに右脇腹まで抜けていった。
一拍遅れて身体に走った傷口から噴き出す鮮血により、美しい銀色の体毛と雪原が紅く染め上げられていく。
「み、見事……だ……。し、かか、し、我らは……負け、られぬ、の、だ……。み、南へ……」
血泡を吐きながらサダマサに向けて短く残そうとするも、その言葉は途中で途絶え、銀狐の獣人は静かに雪原へと倒れていった。
最期まで己が名を遺すこともなく。
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