第185話 あなたの瞳は冷たすぎるから~前編~



「げうっ!?」


 呻き声が上がったところで、俺の視線の移動がようやっと事態に追い付く。

 死角から飛びかかろうと寸前まで迫っていた黒豹の獣人の左目には、白羽の矢が深々と突き立っていた。


 見たところ、脳を完全に貫通している。

 思わず何が起きたのかと一瞬混乱しそうになるが、すぐに俺はそれが誰の放ったものであるかに気付く。


「おいおい、なんつーおっかねぇ“狙撃”だよ……」


 なりふり構っていられないと、咄嗟に『お取り寄せ』した強化プラスチック製ライオットシールド。

 その向こう側で起きた出来事に目を遣りつつ、俺は額から冷や汗が滲み出るのを感じながら小さく呻く。


 しかし、すぐに意識を戦闘態勢に戻して周囲へ注意を戻す。


 絶命の痙攣とともに脱力してこちらへ倒れかかってきた死体を撥ねのけ、次の獲物目がけて斬撃を繰り出し、敵前列の動揺を誘ってから一時的に後方へと退る。


『あ、あんな至近距離で……。もし当たったら……』


 今の一部始終を目撃していたのだろう。

 ショウジの口から漏れた驚愕の呻きが、インカム越しに伝わってくる。

 そうだな、俺もびっくりしたよ。


『いいえ、


 静かな――――しかしそれでいて力強い響きを持ったミーナの声が俺の耳朶を打った。

 それと同時に、また動き出そうとしていた獣人の身体に矢が突き立つ。


 華奢なイメージのミーナからはとても想像できない精密極まる射撃だ。

 だが、すぐに納得する。


 エルフの持つ遺伝子に刻まれているのではないかと思うほどに優れた弓の業と、ミーナ自身が得意とするハイエルフの魔法による補助で描く軌道を確固たるものにした矢。

 これらが組み合わさることで、長射程の複合弓をライフル銃並みの精密射撃が可能な存在に昇華させたのだ。

 俺の知らないところで、いったいどれだけの研鑽を積んでいたのか。


「すまない、ミーナ。おかげで助かった」


 おそらくはあのままでもライオットシールドで奇襲を防げただろうが、ここは素直に感謝をしておく。

 インカム越しだからか、いつもよりすんなり言葉が出てくるから不思議だ。


『わたしもライフルならあれくらい……』


 一方で、自分の出番を取られたとばかりに、ぐぬぬと小さく呟くベアトリスの声をインカム越しに耳で捉える。

 やめてくれ、援護はしろと言ったが俺を相手にウィリアム・テルごっこで競い合えとは言っちゃあいない。


「別に張り合わないでもいいが……。まぁ、その時は期待しとくよ。……あとな、援護をする時はなるべく余裕をもって撃ってくれ。そうでなきゃ警告くらいはしてほしい。こういきなりだと、さすがに肝が冷える」


 適度にベアトリクスをフォローしながら、同時に俺はミーナのアシストに苦笑を漏らす。何かの間違いで後ろからズドンとかなったら笑えないからな。


 さて――――。

 もう少し軽口を叩いていたくもなるが、今は目の前の敵に集中しなくてはならない。


 いきなりの狙撃を受け、こちら以外にも警戒が割かれている今が好機だ。

 遠距離からの攻撃により、周囲の獣人軍は浮足立っている。

 一方的に射られることを警戒し、盾を構えた集団が前に出てくるが、ここからはコイツらを崩して切り込まねばならない。


「スタングレネードいくぞ!」


 ライオットシールドを分解し、今度はあらかじめ用意していたM84スタングレネードのピンを抜いて敵の真っ只中へと放り投げる。

 即座に効果範囲から逃れるべく後方へと退きながら、周囲に差し迫った危険がないことを把握した上で、俺は目を閉じて視線を背け耳を塞ぐ。


 轟音。


 指で耳を塞いでいたにもかかわらず、爆発したスタングレネードの大音響が俺の聴覚に響いてくる。

 元々の使用を想定した閉鎖環境ではないながらも、至近距離で180デシベル近い爆音と100万カンデラ以上にもなる閃光を喰らえば無事では済まない。

 ましてや、相手は感覚器官がヒトのそれよりも大きく発達している獣人だ。効果を受ける範囲も勝手に広くなってくれる。


 不意を打たれたことで困惑の悲鳴が上がり、一時的に無力化された獣人たちが、見当識を失調してふらついているのが目に映った。


「今だ、押し返せ!」


 短く叫んで再び距離を詰め、間近な相手に刀身を振り下ろす。

 あくまでも致命傷は狙わない。

 とにかく手数を増やして、相手を負傷させ続ける。


 再び混戦に突入。


「ゴガァァァァァァッ!!」


 すぐ近くへと突出してきた熊獣人の大斧が、空気を震わせる咆吼とともに振り上げられた。

 待て待て、こんなもん直撃したら薪のように割られちまうぞ……!


「おおおおおおっ!!」


 このまったく可愛げのないくま太郎を、俺は最優先殲滅対象として認識。

 地面を強く蹴り、喉を震わせながら魔力を注ぎ込んで刀をフルスイングの勢いで一閃させる。


 トチれば死ぬ……!


 脳内から分泌されるイケナイ物質の感覚を覚えつつ、跳躍しながら渾身の力で振り抜いた刀身は、肘の関節めがけて蛇のごとく喰らいつく。

 さらに魔力を解放させて刃を半ば無理矢理に進ませ、強靭な毛皮ごと骨まで切断し太い腕を切断。


「ギャッ!!」


 腕が切断されたことで制御を失った大斧は後方へと飛んでいき、持ち上げる際に付与された運動エネルギーと空中で得た重力加速で威力を増幅させたまま、味方の頭上へと落ちて悲鳴とともに仲間を無慈悲に押し潰す。


「クリス、あまり殺しすぎるな。相手側も


 俺のすぐ横合いまで滑るようにやってきたサダマサが、俺の代わりに熊を斬り捨てながら言葉を放つ。

 それと同時に、スタングレネードの効果が切れて感覚が回復したのか、こちらへと躍りかかってきたワーウルフを、流れるように薙いだ一刀で斬り捨てる。


 無論、それだけでは終わらない。


 翻る刀身。

 続けて上段からの雷光のごとき神速の振り下ろしが、防御のために掲げた両手剣の刀身を金属音と一瞬の火花を生み出しつつ両断。

 勢いをそのままに、一切の慈悲を持たない白刃は、持ち主である犬獣人の左腕を斬り落としながら、心臓までを一息でかち割る。

 呆然としたまま犬獣人は地面に崩れ落ちた。


 殺し過ぎるなとは言うが、どう見てもサダマサの方が鮮やな手際で殺している。

 ……まぁ、指摘するだけ無駄だ。


「サダマサにしちゃ、意外な反応だな」


 瞬く間に、敵の反攻を退けたものの、そこから追撃に移る気配のないサダマサに俺は皮肉交じりの言葉を投げる。


「ここは俺が踊るための戦場ではないからな。まだ早いのさ」


 その言葉の奥に秘められた狂気の胎動を感じ取り、俺は溜息をつきたくなる。


「まったく、我慢できる戦闘狂ってか。見境なく振る舞わない分、余計にタチが悪いぜ」


「心外だな。きちんと状況判断能力が備わっていると言ってくれ。それに――――」


「それに?」


「見ろ、騎兵隊のおでましだ」


 サダマサが言うや否や、俺の耳に地響きにも似た音が飛び込んでくる。

 馬蹄が地面を蹴る音だ。


「……ようやっとかよ。映画ならもっといいタイミングで来るんだがな」


 振り向けば後方に雪が煙となって舞っていた。

 今更ながらにこちらへと向かってくるノルターヘルンの騎兵たちを見ながら、俺は言葉を漏らす。

 現実は映画フィクションのようにはいってくれないのだ。


「…………?」


 はて、一瞬騎馬隊の中にアレスの姿が見えたような……。


「だが、これでこの戦いは終わりだ。見ろ、さすがに連中も撤退に移り始めた。猪武者の蛮勇に見えて、あれで指揮官はなかなか決断が早い」


 サダマサの言葉に、俺は意識を引き戻される。

 続くように、ひときわ大きな咆吼が突如として鳴り響き、それを受けてか浸透突破を図ろうとしていた集団が次第に向きを変えて動き始めた。


 何ごとかと目を凝らすと、遠くに巨躯を誇る白い虎の後ろ姿が見える。

 白虎の獣人とは聞いたことがない。突然変異種だろうか。


「あいつか」


 状況の変化を感じ取ったのか、周囲の獣人たちも俺たちへの警戒は緩めてはいないもののゆっくりと転進を開始していた。

 まるで波が引いていくようである。いい動きだ。


「あぁ。


 本当ならばすぐにでもそこへ向かいたいのだろう。

 わずかに目を細めて遠くを見やるサダマサの声からは、好敵手に足る存在を見つけた歓喜の色が滲み出ていた。


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