第181話 Run To The Hills~前編~
「こういうの、なんて言うんだっけ。地面が三分に、敵が七分?」
「……少し大げさだな。いいとこ六分だ」
肌を刺すような寒風吹き付ける雪原で、俺とサダマサは眼前に広がる戦場を眺めていた。
ここはノルターヘルン王国最北部。
獣人の支配領域との境という名の、地名もない最前線だ。
その雪原で、ヒト族――――ノルターヘルン王国軍+傭兵軍と獣人軍とが、およそ1㎞ほどの距離で向かい合っていた。
「それにしてもすごい数ね」
傍らに立ったベアトリクスが、吹く風に金色の髪をなびかせながらつぶやくように声を漏らす。
歴史上で万を超える規模の戦いを知っているにもかかわらず、ベアトリクスが今回の数に驚きを示しているのは、実際に戦場に出ること自体が初めてだからであろう。
まぁ、普通に考えて、軍なり騎士団に属しているわけでもない公爵家の令嬢が戦場に出るなんてことはあり得ない。
そう思えば、ベアトリクスもずいぶんと数奇な運命を辿っているものだ。
さて、ベアトリクスが言うように、前方に展開する獣人軍の数は3,500ほど。
対するノルターヘルン軍は傭兵たちをメインとして第1軍が4,800くらいか。
兵力差でおよそ1.4倍。
数の上ではノルターヘルン側に分があるが、獣人の高い身体能力を考えると勝利を得られるだけの差があるとは言い難いところだ。
とはいえ、こちらもあちらもこのエリアに展開しているのは兵力の一部に過ぎない。
互いの共同体の運命を決定づける規模の本格的な決戦が起きるとすれば、まずこの戦いがどうなるかで決まるのだろう。
「観測地点としてはなかなかだな。惜しむらくはこの高地を生かせる武器がほとんどないことか」
そして、そんな戦の始まる前にしか見ることのできない、ある意味壮観とも言える光景を俺たちは丘から眺めている。
この地域には幾つかの小高い丘があり、双方ともに弓兵の配置および戦場を観測するための地点として、自軍の進軍したエリア内の丘を占領している。
また、これから始まる戦いを有利に進める上で、両陣営が優先的に奪取したい場所でもあろう。
まず最初にぶつかるのは最前列。
それから、崩した方が相手側の丘を目指し、そこを拠点に一帯を制圧する……というところか。
もし最初の衝突で傭兵たちが押し切られることになれば、ここもすぐに主戦場となる。
「しかし、予想はしていたが、割と後詰めだな」
横合いからのサダマサの声に、俺は意識を思考の海から引き上げられる。
さも残念そうに言うサダマサだが、俺としては想定の範囲内であった。
実績――――名声があるわけでもない新参の傭兵の扱いなんてこんなものだろう。
「まぁ、実際新人もいいところだし」
そもそも傭兵ですらないんだけどな――――と続く部分は内心で付け加える。
事実、一番槍とでも言うべき最前列には、比較的名の通った中堅どころの傭兵団がいくつか布陣している。
その周りには小さな傭兵団と思われる集団がちらほら。
昨日ティアに昏倒させられた男のいる傭兵団の姿もちらっと見えた。
……よかった、あの後容体が急変して彼岸へ旅立ったヤツはいなかったんだな。
さて、それよりも前方――――第1軍には配置されていない虎の子連中だが……。
「装備のいい連中はだいたい後方か」
後方へ視線を送ると、2㎞ほど後ろに更に3,000ほどの集団――――第2軍が控えていた。
功績を独占すると思われては士気が下がるからか、ここよりもさらに後方でどっしりと構えているようだ。
尚、ノルターヘルン正規軍のみなさんも、現時点では後方でのんびり構えているようです。
……クソ、くたばりやがればいいのに。
そういえば、今朝がたのノルターヘルン側からの配置指示により、国内貴族枠として後方に下げられたのかどうなのかは知らないが、アレスもあの集団の中にいるはずだ。
そして、そちらから特に抜け駆けするような動きが見られないのも、あくまでもこれが緒戦であって、決戦ではないと理解しているからだろう。
少しでも功績を挙げたくて躍起になっている連中に、先陣を譲るのも高名な傭兵の義務なのかもしれない。
いずれにせよ、俺にはよくわからない業界の慣習だ。
「あとは……リトマス紙かねぇ」
能力の低い者や裏切る可能性のあるヤツは、ここで早々に壁役でもして抜け落ちろということだろう。
どこの世界でも現実は非情である。
「あーあ、砲撃できれば一発で決着つくんだがなぁ……」
現状ほとんどやることがないのと、寒さで気が滅入っているのもあるのだろう。
思わずボヤキにも似たつぶやきが口から漏れ出てしまう。
しかし事実として、155㎜自走榴弾砲でも数台『お取り寄せ』して、『レギオン』による砲弾の雨でも降らせてやればどうなるか。
これだけ密度が高いのだ、あっという間に敵は壊滅してくれる。
この世界の用兵思想としては、基本的に密集隊形での進軍である。
そんな人が密集している場所の頭上で、M795榴弾あたりが炸裂すればどのようなことになるか――――現代兵器の知識を持っている人間にとっては明らかだ。
高性能炸薬の炸裂によって、広範囲に飛散する弾殻の破片と衝撃波。これにより、一瞬で死体の山ができあがる。
だが、物事はそう簡単にはいかない。
少なくともここにいる俺は、帝国貴族としてではなく、小国の貴族の三男坊が家を出て傭兵になったという設定である。
帝国へ侵攻してきた敵勢力への攻撃であれば、もしもの時の切り札として使うこともできようものだが、この戦場ではそれすらも避けたいやり方なのだ。
それでも、一応代わりとなる切り札の手配はしてあるが。
「……始まるな」
目を細めたサダマサが小さくつぶやく。
にわかに周囲の空気が変わったような気がした。
それに呼応するようにして鳴り響いた進軍ラッパ。
そして、それを掻き消すほどの獣を思わせる幾多の咆吼が、戦場の空気そのものを震わせ戦いの始まりを告げる。
どちらの陣営からも兵士たちが敵へと向かって動き出すが、やはり獣人たちの方が――――速い。
それと一点、気になる部分があった。
ノルターヘルン側が基本戦術に忠実な密集隊形をとっているのに対して、獣人側は個々が持つ高い機動力を生かすためか、隊ごとにやや分散気味に行動している。
陣形によっては一点突破する能力ではノルターヘルンが勝っているであろうが、どこか脆い箇所を食い破って浸透していこうとした場合には、獣人側の機動力と個々の戦闘能力に軍配が上がるのではないか。
無論、下手に深く踏み込んでしまえば、ノルターヘルン側の密集した兵力によって擦り潰される危険性も秘めているため、ハイリスク・ハイリターンな戦術と言えるが。
だが、今回に限って言えば、少なくともそのやり方は功を奏していると言えた。
最前列で獣人側の突撃からぶつかり合った中央の集団。
そのノルターヘルン側の方からは、血飛沫が上がり、ケンタウロスのような大型獣人によりヒトが吹き飛ばされる光景が目に飛び込んでくる。
あれじゃ騎兵突撃を喰らったのと同じだな。
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