第179話 袖振り合うも他生の縁~前編~



「あ、そういえば名前を言い忘れていた。俺――――いや、僕の名前はアレス。アレス・グレイウッドだ。今はフリーの傭兵をやっている」


 エールの注がれたジョッキを傾け中身を嚥下したところで、男――――アレスは口を拭いながら小さく微笑む。

 一人称を言い直したのは、舐められないよう傭兵用に『俺』を使っているだけで、『僕』が素のものなのだろう。


 あれから場を酒場へと移した俺たち――――といっても俺とベアトリクスだけだが――――は、約束通りアレスに酒を奢っていた。

 あまりケチ臭い対応をしたくなかったのもあるが、現地での情報収集に丁度いいと思ったからだ。


 なお、ティアとミーナとショウジは先に宿へ戻ってもらっている。

 寒いから帰りたいと言われたのもあるが、あまり大人数で行って無駄に目立つのを避けたのが大きい。

 加えて、ショウジに関してはまだ完全復帰とはいかないため、誰か近くにいてくれる人間が必要と判断したためでもある。


「飲む前に自己紹介しろよ……。俺はキヤーノ。キヤーノ・ビタ・サンノエッヂ。こちらは妻のベアトリーチェだ」


 そんな適当さに呆れつつ、俺も自己紹介を終えたところで、アレスに倣ってジョッキを傾けエールを口に含む。

 あまり質がいいとは言えないが、随分と濃厚に感じる味わいだ。

 材料が帝国のものと違うのもあるだろうが、それ以外でもアルコールが強めになるように作っているのかもしれない。

 値段は安いが、それなりによい気分で酔える酒だ。


「ははは、すまないね。酒には目がないんだ」


 指摘された気恥ずかしさを誤魔化すかのように笑いながら、アレスはツマミの塩漬け肉とキャベツの酢漬けにフォークを伸ばす。

 俺も酒が好きなだけにアレスのことを他人には感じないが、かと言って出会ったばかりの人間相手に、あまり自分からぺらぺらと素性を喋るつもりはない。

 ま、もう少し様子を見てからだな。


「見たところ、いいところの出っぽいのにな」


 少しからかうように、アレスに水を向けてみる。


「……まぁ、弱小準男爵家の三男なんてこんなもんさ。スペアの次男どころか、穀潰し扱いされるようなね。それがイヤで家を出て、傭兵として北東諸国を転戦してきたけど、身についたのは戦場でなんとか生き延びるための術と、ちょっとした世渡りのやり方くらいかな」


 意外にも素直に応じるアレス。

 この様子なら、もう少し聞いてみても大丈夫だろうか。


「そういえば、出身はどこなんだ?」


「あぁ、この国さ」


 肩を竦めながら、あまり面白くはないといった声の調子で口を開くアレス。


 一方の俺は、予期せぬ答えを受けて一瞬固まりそうになってしまう。

 辛うじてジョッキを口に当てることで、動揺が表に出ないようにはできた。

 照明が暗めにされていることから顔に出ていても気付かれにくいとは思うが、背中に冷や汗が滲み出そうになる。

 とりあえず、アルコールを胃に流し込んで時間を稼ぎ、息を落ち着けてからゆっくりと口を開く。


「わざわざ地元の戦にか? かえってやりにくそうなもんだが……」


 やや危なかったが、一瞬ノルターヘルンが送り込んだ潜入調査役かと思ったのだ。


 しかし、それならあそこで俺たちを止めに入る必要はない。

 ティアを制止するべく割って入ったことにより、少なくともあの場にいた傭兵たちからアレスは顔を覚えられてしまったことになる。

 もしも潜入役なら、なるべく目立たぬようにしておくのが定石というものだ。


 ……まぁ、その逆で俺をピンポイントで狙っていたら、近づくためのチャンスに使われたことになるのだが。


 ダメだ、一度疑い出すとキリがない。


「祖国の命運がかかっているとなればね」


「そりゃご立派なことで」


 一度気持ちをリセットする意味合いもこめて、俺は肩の力を抜く。

 こちらからあまり踏み込むような発言をせず、なるべく相手から情報を引き出す方向にシフトさせることにした。


「あまり茶化さないでくれよ。そういうおたくも貴族の出だろう? 装飾は控えめだけど、装備はまだ真新しいし、質だっていいものだ。新品でそれらを揃えるのは、名うての傭兵団でもなければ無理だと思うけども……」


 鋭いアレスの指摘に、俺は言葉を失っ――――たように見せた。


 そう、見る者が見ればわかるよう、わざとそうしているのである。

 わざわざ冒険者のものとは違う偽名まで用意しているのもそのためだ。


「よく見ているもんだ」


「商売柄、人を見抜けないと変な戦に巻き込まれたりするからね。ついでに言えば、出身も悪くないんじゃない? 奥方の血筋もなかなか良さそうに思われるし」


 おそらく爵位のことを言っているのだろう。

 実際、こちらの中身は侯爵家の次男と公爵家の長女なのだから大した洞察力とも言える。


「……ホント、よく見ているもんだ」


 内心をそのまま言葉にするわけにはいかないので、俺は誤魔化すように苦笑する。


「妙に立ち振る舞いが良かったからね。ああいう連中の中ではかなり目立つ。冒険者生活では抜けなかったのかい?」


 ほんの少し揶揄するような響きを感じる。疑われているわけではなさそうだが、少し引っかかる。


「まだ経験が浅くてね。まぁ、おっしゃる通り彼女はさる高貴な血筋の出でだよ。いずれにしたって俺にはもったいないくらいの嫁だがね」


 自然な笑みを浮かべながら、隣に腰を下ろしてちびちびと慣れない口当たりのエールを口に運んでいたベアトリクスの肩に俺はそっと手を伸ばす。


「いててて……」


 真っ赤になったベアトリクスに手の甲をつねられた。


「あまり互いに詮索するのはよそうか。しかし羨ましいことだよ、そんな素敵な相手を伴侶にできるってのは」


 アレスが話題を変えようとする。

 ちょっとこちらに踏み込みすぎたと思ったのだろう。


「そっちこそ、傭兵やるには勿体ない色男じゃないか。いい相手はいないのか?」


「なかなかこういう稼業をやっていると、ね。いっそのこと帝国にでも行って冒険者に鞍替えしようかと思ったりもするよ」


「あぁ、じゃあまだ童――――」


「ち、ちちち、違うよ!?」


 冗談のつもりだったのに、そんな思いっきり狼狽えるなよ。まるで俺が悪いみたいじゃないか。

 ベアトリクスからも「あまりいじめたらかわいそうよ……」みたいな目を向けられるし。


「……まぁ、そういうことにしておこうか。ところで、酒飲み話ついでにこの付近の情勢を教えてくれないか? 南の方で冒険者と傭兵をやっていた足で流れてきたから、この国の情勢にあまり詳しくはなくて。儲け話とは思ったものの、さすがにもう少し事情くらいは知っておきたい」


「あぁ、そうなんだね。なら、こうして奢ってもらってることだし、僕の知っていることでよければ話そう」


 話すための勢いをつけるかのように、アレスはエールを大きく呷る。

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