第177話 邪魔するヤツは指先ひとつで~前編~


「次。団の名前を」


「……『竜のあぎと団』で」


 俺が返した言葉を受けて、仏頂面で羊皮紙に必要事項らしきものを書き込んでいたノルターヘルン王国の役人が羽ペンを動かす手を止め、視線を上げてこちらを見る。

 いかにも仕事がかったるくてしょうがないといった感じの顔がそこにはあった。

 ついでに言うと、くたびれた人生まで送っていそうな中年の顏である。割と真剣に目が死んでいた。


 前世の市役所とかで、新聞を逆さまにして居眠りしているのを見かけたことがあるタイプだ。

 とはいえ、せっかく役人になったのに、こんな北の果てで傭兵相手に記録係みたいなことをしていればこんな仏頂面にもなるのかもしれない。


 きっと、家に帰れば年頃の愛娘からは鬱陶しがられ、「お父さんの洗濯物を一緒にしないでよ!」と言われるも、愛情の冷めた妻からは一切同情は向けられず、ひとり枕を濡らしているのだろう。

 完全に俺の脳内ストーリーだが。


「……ご大層な名前だな。歴戦の傭兵には見えないが」


 いったいどんな剛の者か――――そんな思いが、彼の手を止めたのだろう。

 しかしながら、役人の目の前にいたのは、残念ながらどこにでもいそうな金髪碧眼の若い男だったわけで。

 強いて自分からコメントするなら、傭兵を名乗るにはちょっと荒々しさというべきか、そういう顔立ちからは縁遠く見えたのだろう。


 これが歴戦の戦士然とした男ならば、物々しい団の名前にも理解ができたのだろうが、こちらを見据える顔には明らかな失望の色が滲み出ていた。

 どうやら男の心に残っていた最後の子ども心まで、消し飛ばしてしまったようだ。


 悪かったな、屈強な男じゃなくて。


 思わず口を突いて出そうになるが、なんとか堪える。


「……結構。続いて、代表者の名前を」


 しかし、そんな感情さえも長続きさせることなく、すぐに役人は興味を失ったように視線を羊皮紙へと戻す。


「……キヤーノだ。キヤーノ・ビタ・サンノエッヂという」


 後ろでショウジから小さく「ブフォ!」と噴き出す音が聞こえた。あぁ、気付いたのか。


「家名持ちだと? お前――――いや、そちらは貴族の出か?」


 失望の顔から一転。驚愕とともに、先ほどまでのものとはまた別の感情の混ざった表情を浮かべた役人の男が、再びこちらを向く。

 妙に俺の顔に威厳がないことへと納得したような顔をしているが、凄まじい手の平返しである。

 さすがは役人、変わり身も早い。


「……あぁ、小国のだがな。遥か南にあるエモドラーン王国の伯爵家三男だ。もちろん、特別扱いをせよとは言うつもりはない。よろしく頼む」


 態度の激変に釈然としない気持ちはあったものの、できるだけ俺は友好的な物言いを選ぶ。

 バックボーンもない土地でこれからしばらくの間行動せねばならないのだ。下手に敵を作ることは避けたい。特に、体制側には。


 なお、一連のやり取りがどうも腹筋によろしくないらしく、ショウジは肩をぷるぷると震わせながら咳き込んでいた。すこしは元気になっただろうか?


「ちっ、家も継げない貴族のガキかよ。女を侍らせて傭兵たぁいいご身分だなァ、おい」


「英雄ごっこがしたけりゃ冒険者にでもなった方がいいんじゃねぇか、兄ちゃんよォ」


 ……言い出したそばから、トラブルの気配がするんですが。


 盛大に溜め息を吐きたくなるのを堪えながら、俺はゆっくりと視線と向ける。

 閑散期の街の役場を借りている関係で、溜まっていられるだけのスペースがあったのだろう。

 そこには、口々に下品なジョークを飛ばしながら、これまた下品にこちらを見て笑っている傭兵たちの姿があった。


 俺たちと同じく登録を済ませに来ていたのだろうが、どうせロクに話を聞く気もないのだから、終わったならリーダーだけ残してさっさと帰って酒なり女なりに興じてろと思う。


「姉ちゃんたちもそんなヒョロっちいガキよりも、俺たちと一緒の方がいい思いできるぞ、はははは!」


 背後に控えていたベアトリクスとティア、それにミーナたちにも男たちから声がかけられる。


 どちらかというと、本命はこちらか。

 まぁ、これだけ美しい女性が揃っていること自体、彼らにとっては千載一遇の機会にも思えるのだろう。


「ちげぇねぇ。そんなヒヨッコにはねぇ大人の魅力を教えてやるよ」


 身を包む装備が経年劣化したものでないのなら、傭兵としてそれなりに経験は積んでいるのだろうが、それでもいかんせん腕利きのようには思えなかった。


 どうも、俺たちは彼らの暇潰しのネタに選ばれたらしい。

 こんなしょうもないジョークを飛ばしているのも、彼らにとってみれば数少ない娯楽なわけだ。

 根無し草の傭兵として戦地を転々としているのでは段々と心も荒んでくる。

 そんな中で、アホな冗談を飛ばすことで心の平静を保っているのだろう。


 ……もっとも、気持ちが理解できるからといって腹が立たないわけではない。


 というか、クソムカツく上に、ここでいいように舐められていては今後に支障が出る。


 の真似をしながら、諸先輩方に身体をフルに使った“挨拶”をしてやろうかと思ったところで、俺の脇を通って男たちに向かう影。

 ティアだった。


「なんだぁ、姉ちゃん。晩酌へのお誘いか? いいぜ、ちゃんとベッドまで優しく持ち帰ってやるよ」


「はぁ……。臭いだけではのぅて随分とよく回る口としておるなぁ、下郎は」


 下卑た笑みに返されたのは、まるでゴミでも見るようなティアの目だった。

 視線を向けてみれば、ベアトリクスもミーナも同じような目を傭兵たちに向けている。

 この極寒の地にあっても、尚冷たいと感じる絶対零度の瞳であった。


「あ? なんだ、おめ――――」


「黙っておれ」


 瞬間、幾分かの殺気を解放して相手を硬直させたティアのデコピンが、何かを言おうと間合いに侵入してきた男の顎に向かって放たれる。


「てべっ!?」


 べちんという音とともに、デコピンを受けた男の頭部を起点として、身体が受け止めきれなかった衝撃により空中で数回転する。

 間違いなく、頭蓋の内部ではその数倍の揺れを脳がダイレクトに受けていることだろう。


 あっという間のできごとにより、男は間の抜けた悲鳴を上げて回転しながら崩れ落ちるように床に倒れこむ。

 音を立てて地面へとひっくり返った男は、最後に頭を打ったのか白目を剥いて完全に気絶していた。


 ……これ、後で死んだりしないよな?


「なぁっ!?」


 突然の出来事に、場の空気は一瞬にして凍りつく。


 一撃という手際もさることながら、それをやってのけたのが戦い慣れているようには見えないひとりの女という信じがたい事実。

 あまりの衝撃に、男の仲間と思われる傭兵たちからは、いきり立って襲いかかって来る気配さえ感じられない。

 本来なら、潰された面子のためにポーズでも怒る姿勢を見せたことであろう。


 しかし、多かれ少なかれ戦場をくぐり抜けてきたが故にわかってしまうのだ。


 静かな殺気を放っているこの女が、どれほど危険な存在であるか――――。


 とはいえ、これはちょっとマズい……。


 ティアへの畏怖の感情が傭兵たちの顔へ浮かぶのと同時に、彼らの内心に渦巻く葛藤も見て取れた。

 命を危険に曝してでも自分たちの面子を守るべきどうかといったものだ。


「……近くに寄っていろ」


 後方に控えている三人へ、俺は手短に指示を出す。


 よくない流れだ。

 これならまだ乱闘が始まった方がよかったかもしれない。

 ヘタをすれば、ヤケを起こして刃傷沙汰にまで発展しかねない状況となりつつある。

 もしそうなれば、こちらもに出なければならなくなる。


 目立ちすぎるからとサダマサを連れては来なかったが、かえってそのせいで舐められる隙を作ってしまったようだ。


 ほのかに流れ始めた剣呑な雰囲気の中で、カチリと小さな金属音がしたのを俺の耳が捉えた。

 ベアトリクスの外套の下からだろう。護身用に持たせた拳銃の安全装置を外した音だった。


 ベアトリクスも、場の空気が危険なレベルに変わったのを感じ取っているのだ。

 そして、それに呼応するように、ショウジは無言で腰を落とし、ミーナはいつでも魔法を放てるよう周囲の魔素を集めつつある。

 かくいう俺も、既に外套の下に吊るしたH&K MP7A1 個人防衛火器PDW銃把グリップへと手を伸ばしていた。


 最悪、全てがパァになる覚悟を決めねばならない。


 ……あれ? なるならなるでべつにいい気がしてきたぞ?


「まだ、我があるじ様に文句のある者がおるのであれば――――」


「そのくらいにしといてくれないかな、お嬢さん。そう怒ったら、せっかくの美人が台無しだ」


 今にも激発しかねない緊張を破ったのは、横合いからやや遠慮がちに投げかけられた第三者からの声であった。

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