第176話 暗い昔が邪魔をする~後編~


「少しは落ち着いたか? ……ショウジ」


「……はい」


 返事こそ返ってきたものの、部屋のベッドに腰を下したままのショウジの声は暗い。

 依然として項垂れてはいるが、こっちに着いたばかりのいつ泣き出すかわからないような憔悴しきった顔よりはずっとマシだ。


 そんなショウジの姿を見て、俺は内心で思考の糸を張り巡らせる。


 散々面倒事だなんだとぶーぶー言っていたものの、結果からすれば俺たちがこちらに来たのは正解だった。


 そう、


 あくまでもショウジから聞いた範囲ではあるが、潜入調査中に突然襲われたらしい。


 寒冷地であることからフードとマントで耳と尻尾は隠せるため、ノルターヘルン内を移動している際は問題にならなかったものの、やはり居心地の悪さがあったのかイリアは早々に獣人の領域へと赴き潜入を試みたようだ。


 いくらノルターヘルンと獣人たちが敵対していても、そこを掻い潜って商売をしたがる人間はどちらの陣営にも少なからず存在する。

 それゆえの油断もあったのだろう。

 実際、深部へと向かわなければ、ヒト族というだけで危害を加えられるようなことはないと俺も聞き及んでいたから、前もって止めることもしていなかった。


 そこでまさかの奇襲を受けたのだ。

 ショウジも随伴していたものの、殺害目的ではない獣人の身体能力を活かした一撃離脱戦法だからこそ、ショウジとイリアだけでは対応しきれなかったのだろう。

 夜の闇に紛れて襲い掛かった集団は、瞬く間にショウジの動きを止め、イリアだけを連れ去っていった。

 しかも、ともにいたショウジを仕留めようとすることもなく、そのまま撤退していったというのだから、どれだけの手練れであったことか。


 そして、翌朝現地へ到着した俺たちと、一晩を経てひどい有り様になったショウジは合流を果たしたというわけだ。


 かなりざっくりだったが、取り乱していたショウジをサダマサが物理的に落ち着かせ、それでしばらく強引に休ませるというハプニングも発生している。


 事態は与り知らない所でどんどん動いている。それどころか不確定要素まで飛び込んできやがった。


 物事が大きく動く局面では、イレギュラーはつきものだ。

 自分が盤面を操る位置に立つことなど神ならぬ身では到底不可能なのだから、冷静に趨勢を見極めなければ翻弄されて終わってしまう。

 しかし、それでも全体がどのように動いているか、それを幾分かでも把握しておけば、ここぞのタイミングで手札を切ることはできる。


 さて、それらを踏まえた上でどうしたものかと、小さく――――ショウジに聞こえないように溜息を吐き、まずは目先の問題を解決させるべく、少し考えをまとめてから口を開く。


「心配するな――――なんて無責任なことを言うつもりはない。だが、そう悲観する要素も少ないと思うぞ」


 俺の言葉に、弾かれたように上げられたショウジの顏がこちらを向く。

 瞳に若干の期待の色が混ざっているが、目の下には大きなクマができている。なんつーひどい顔だ。

 少しは回復したかと目配せをすると、ベアトリクスがショウジにお茶の陶杯を渡す。


「イリアが故郷を出たのは3年以上も前だ。本人の言葉をそのまま信じるなら、単純に故郷を出るために戦に加わって戦争奴隷落ちしたことになる。古巣でなにかしでかしたわけでもないだろうし、そうなれば、攫われたにしても旧知の何者かの仕業と見るべきだ」


 3年以上経っても殺したいような凄絶な関係であれば別だが、そうであればむしろ帝国の方にまでイリアの行方を追って来ていることだろう。

 たしかに、獣人は人類の住む大陸の北方を支配圏としているが、ヒト族の勢力圏内に暮らす者が皆無というわけではない。


 《大森林》に嫌気のさしたダークエルフがいるのと同様に、その優れた身体能力を武器に傭兵として人類圏を渡り歩いている者さえいるのだ。

 もっとも、よっぽど成功しない限りは人並みの扱いはなかなか受けられないらしく、故郷を出た獣人は名の通った獣人の傭兵団に所属できないと悲惨とも聞くが。

 そう考えると、ヒト族の冒険者という存在は、設立時に意図していたかどうかわからないが、社会的弱者のためのセーフティーネットの側面を持っているのだなと実感できる。


 いずれにしても怨恨の線は低い。

 もしそうであるなら、その場で殺害に及んでいても不思議ではないはずだ。


「ではなぜ――――」


「そりゃ俺にもわからんよ。ただ、今言った要素から、すぐに殺されるような可能性は低いと思う」


 余計なことは言いたくないから口には出さないが、先に挙げた要素から導き出されるのは――――昔の男かそれに類する何かだろうか。


 イリア自身で言っていたが、彼女の一族の中では婚姻をしていない状態の場合、処女でなければ低く扱われるらしい。

 犬系獣人なのにお前らユニコーンか!と思うが、氏族だなんだと繋がりを考えた場合、ヒト族国家の貴族と同じで純潔を重んじるのだろう。

 DNA鑑定なんて遥か未来の話で、生まれてくる子どもが誰のかわからない世界ともなれば、その辺りにシビアになるのも頷ける。


 つまり、そんな要素があるにもかかわらず固執するとすれば、必然的に犯人は一族の人間ではない、もしくは一族主流派の仕業ではないということになる。

 あとは大穴で状況が変わったか、だろうか。


 ……いずれにしても不明な点が多すぎる。


 しかし、それも無理はない。なにしろ俺たちは、イリアが故郷でどういう立ち位置にいたかも知らないのだから。

 戦争奴隷に落ちて色々とあった身の上だ。イリア本人が望むとも思えないし、あまり過去には触れないようにしていたのだ。

 まさかこうなるなんて思ってもいなかったからな。


 ただひとつわかるのは、前を向いて今を生きようとする人間イリアを、過去は放っておいてはくれなかったということだ。


「もっと情報が必要だ。あとは獣人のエリアへ侵攻できるだけの身分もな。ノルターヘルンの穴熊どもに利するようで気に入らないが、こればかりは致し方ない。ホントは隠密行動で潜入できれば一番いいんだが、あいにくとココは“アウェー”過ぎる」


「それで傭兵として参加するわけなのですね」


 ふぅふぅと冷ましながらお茶を口にしていたミーナが口を開く。

 寒がりで猫舌とかどんだけ可愛らしい要素を持っているんだ、このハイエルフ娘は。


「そうだ。だからいつまでもしょぼくれているヒマはないぞ、ショウジ」


「え?」


 俺の言葉を受けたショウジから視線が向けられる。

 戸惑いを浮かべた顔だ。

 なるほど、今さっきの言葉では、あくまでもノルターヘルンと獣人との戦いを優先していると思っていたのだろう。


 俺はショウジに手を指し伸ばす。


「イリアが攫われた? なら、俺たちがイリアを奪還すれば済む話だ。いいか、これだけは忘れるなよ? お前が、自分の手で、イリアを取り戻すんだ。どこの誰だか知らないが、受けた借りは万倍にして返してやれ」


 俺の真っすぐに向けた視線を、ショウジは正面から受け止める。


 これでも戻って来ないようならどうしてくれようかと思っていたが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。

 そこにはもう、先ほどのまでの心の折れかけた青年の姿はなく、不安を抱きながらも漆黒の瞳の奥に静かな闘志の炎を燃やしている戦士の姿があった。


「……はい!」


 差し伸ばした手を強く握り返しながら、ショウジは決意のこめられた言葉とともにゆっくりと立ち上がるのだった。


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