第175話 暗い昔が邪魔をする~前編~


「いろいろ考えちゃみたけど、やっぱり傭兵としてノルターヘルン軍に加わるしか方法はなさそうだなぁ」


 人数分の寝台を確保しておいた宿の大部屋で、外套を脱いだ俺はその場にいる全員に向けて言葉を放つ。


「ノルターヘルン軍に? クリス、あなたどちらの味方をするつもりなの?」


 今の言葉から意図するところが見えなかったのだろう。疑問とともに訝しげな表情を浮かべるベアトリクス。


 意識してではないのだろうが、どうやら個人の感情よりも帝国貴族としての立場が先行しているようだ。

 帝国にとっては潜在的な宿敵とも言えるノルターヘルン王国。

 そこに利するような行為を口にした俺へと、若干の不理解の色が混ざった視線が注がれている。


「そう結論を急かすなって。別にどっちでもないさ。単純に、獣人軍に俺たちは加われないからな。それだと動けないだろ?」


 ひらひらと手を振って落ち着けよと、俺はベアトリクスにクールダウンを促す。


 そんな態度を受けて、自分が勝手にヒートアップしてしまったことに気付いたのか、ベアトリクスはばつの悪そうな顔となる。

 うーん、ちょっと説明不足だったかな。


「勇気を出して面接に行ってもお祈りされるだろうな」


 空気を換えるように、さらっと軽口を挟んでくるサダマサ。


 いたずらに雰囲気が悪くならないよう、気を遣ってくれたのだろうか。

 ただ、同時に「その方が俺は面白そうだが……」とでも言いたそうな戦闘狂の目が輝いているのを見てしまい、俺はそれを意図的に無視する。

 まともにサダマサと付き合っていたら、はっきり言って命がいくつあっても足りない。


「ジョン・レノンのアレを歌いながら行ってもいいが、オススメはできねぇなぁ。圧迫面接どころかその場で殺し合いだよ」


「ライ麦畑で……どころの話じゃ済まないな」


 俺のくだらないジョークに小さな笑みを浮かべるサダマサ。それは当人が……いや、やめておこう。


「…………話を戻すぞ。俺はこれでもリアリストでありエゴイストでもあるつもりだ。利益に繋がる部分と損する部分、それを天秤にかけた結果、そうすべきと判断を下しただけだから変な狙いはないよ」


 結局、見た目ヒト族の俺たちが友好的な態度で行ったところで、向こうにそんなつもりがさらさらなかった場合、その場で戦闘開始とかになったらシャレにならない。

 ノルターヘルンと獣人たちの関係性を考えれば、子どもでもわかることだろう。

 もちろん、こちらがそれなりに力を出せば蹴散らせるだろうが、それはそれで後々に影響が出てしまう。

 それではマズいのだ。


「じゃあ、本当の狙いは?」


「そうだな……。まぁ、ベストは膠着状態を作り出すことかな。ほぼ間違いなく勝った方が、ウキウキで南下を始めるのは目に見えているからな。特にノルターヘルンが優位な状態で勝つとヤバい」


 この場合のヤバい部分は、帝国がという意味であり、残念ながら惨敗した獣人たちがどうなるかの観点からのコメントではない。


 申し訳ないが、そこを憂慮できるほど獣人という種族全体に思い入れもなければ、俺たち自身に余裕もないのだ。

 中途半端な優しさは偽善以下の結果を生み出し、誰も幸せにはならない。


「そんなの周りの国が黙っているかしらね」


「むしろ、嬉々として一緒になって攻めてくるかもしれんなぁ。ヒト族圏で見たら、『大森林』と同盟関係になった帝国のほとんどひとり勝ち状態だ」


「結果だけ見ればそうかもしれませんねぇ。内情はともかく」


 ミーナが同意する。


「だろ? 鬱陶しく思っている国だって少なからずあるはずだ。焚きつけたらアホなことを考えるヤツが出るくらいにはな。それに、どうせこの一件も、背後じゃ聖堂教会のアホどもが裏で動いているんだろうさ」


 聖堂教会という言葉に、ベアトリクスをはじめとする数人の表情がにわかに硬くなる。


「『勇者』のことといい、教会は帝国おれたちに面子を思いっきり潰されている。それこそ、どれだけ恨まれているかわからないほどにな。意趣返しの機会をずっと狙っていても不思議じゃない」


 俺の口を突いて出たものは、溜息交じりの言葉となった。


 現状、帝国の対抗馬となり得る国は限られている。それも確実に勝てるかどうかわからないラインの国が多い。

 だからこそ、それだけの国力を持った国を作り上げたいのだろう。

 そこでターゲットとなるのが異種族であり、その槍玉候補に上げられた気の毒な連中が、今回の獣人たちとなると俺は見ている。


 もっとも、どういうわけか獣人連中も、ノルターヘルンの侵攻に対抗すべく動き出そうとしているようだが。


「程度にもよるが、募集している傭兵を使い潰して、北方を平定したノルターヘルン正規軍なら帝国と会戦の一発程度は普通に交えられる。それに教会が他の諸国含めて何か理由でもでっち上げて援軍を出せば、ちょっとよろしくないことになるだろうな」


 ここにきて、人類圏で大きな戦を起こすのは避けたいところだ。

 魔族が暗躍していることを帝国や『大森林』は身をもって思い知っているが、余所の国にも同じだけの危機意識があるとは考えにくい。

 魔族にしてみれば、勝手に種族内部で殺し合ってくれるほどありがたいことはないだろう。

 最悪のパターンと言ってもいい。


「なるほど。捕虜となった獣人の兵力を盾にして南下されでもしたら、国境線に近い帝国の領地が大打撃を受けますわね。小規模な領地では、到底太刀打ちもできないでしょうね」


 小さくなったミーナが毛布を身体に巻きつけながら応じる。

 比較的南方の生まれだからか寒いのは苦手らしく、厚手の灰色のコートに手袋、赤い星の中に槌と鎌の意匠までつけたロシア帽ウシャンカを被ったミーナが、白い顔を寒さでわずかに赤く染めながら震える声で言葉を漏らしたのだ。

 白い素肌に青い目のスレンダー美女エルフが、懐かしのUSSRスタイルに身を包んでいるのを見ると眼福である。


 しかし、部屋の中でさえこんな格好をしているのだから、どれだけ寒がりなのか。

 胸――――もとい、脂肪が少な目なのも関係あるのだろうか。

 あとで保温性の高いインナーあたりを『お取り寄せ』してやらねば、外に出たら凍り付いてしまうかもしれない。

 ウォッカでも飲ませてやれば一気に温まるかもしれないが、ミーナに酒を飲ませるとロクなことにならないので、できることならやめておきたい。


 同じようなことを考えていたのか、携帯用のミニガスコンロで沸かしていたお湯で淹れた緑茶の陶杯をミーナへと手渡すベアトリクス。


「そうだな。だから、流れ的には獣人がやや優勢くらいで膠着して欲しい」


 人類という大きな視点で見れば、対魔族戦力が減ることになるのだから損失とも言える。

 だが、目先の敵を倒すことを最優先としているヤツらは、そういう風には考えてくれないらしい。

 それどころか、最終的には一大勢力となって魔族と戦えば帳尻も合うくらいに考えていても俺は驚かない。


 だからこそ、人類は負けずともこれまで勝利できなかったんだろう。

 つくづく国同士の関係に、種族というどうしようもない要素まで加わっているこの世界に対して、俺は転生して何度目か数える気力も湧かないがうんざりしてしまう。


「帝国と『大森林』みたいな関係には持ち込めぬのかのぅ。仲介するという手もあろう?」


 ちゃっかり、早々に自分の分のお茶を確保していたティアが疑問を発する。

 思い付きという感じで、本当はあまり関心もなさそうである。


 ちなみに、さすがに今回ばかりは目立つことこの上ない着物姿ではなく、ベアトリクスと同じように革鎧を身に纏った冒険者スタイルに近い格好となっていた。

 胸当て部分を押し上げる豊満なボディが目に毒である。


 そんなティアの相変わらずのマイペースっぷりに溜息を吐きそうになると、タイミングよく横合いから陶杯が差し出される。

 ベアトリクスからであった。


 礼を言ってから受け取り、俺は静かに口をつける。

 やや熱めではあったが、ひとしきり喋って乾いた喉に染み渡っていき、遅れて身体の奥が温まり始める。


「……それは無理だろうな。しょっちゅう互いに殺り合ってるし、そもそも心に余裕を持てないくらいにこの土地は生物が生きるためには環境が厳しい。帝国と『大森林』の比じゃないぜ」


 金持ち喧嘩せずと言うように、地球でも近代化を果たし貧困から遠のいたエリアでは果てなき領土的野心を持った国は別として、戦争のリスクはかなり低下したように思う。

 しかし、逆に言えばそれなりの水準まで国全体が豊かにならなければ、そのような考え方すら現れないということになる。

 どちらかがどちらかを殲滅するまで続く憎しみの連鎖が、既にこの地ではでき上がってしまっているのだ。


「それに、退くこともできなくなっちまったしな……」


 俺の言葉の意味するところを察した面々の間を沈黙が支配する。

 そして、遠慮がちにではあるが、その原因へと皆が目を向ける。

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