第174話 北へ
ひと言で雪国といってしまえば、以前ザイドリッツ男爵領で感じたものと同じように思われるかもしれないが、今いるこの場所へと時折吹く風はそれよりもひどく冷たい。
遥か南方の灼熱の大気が、肌に刺すような感覚を与えてくるように、一定のラインを超えた寒さもまた、そこに生きる者へと痛みにも似た刺激を与えてくる。
それは、生命が持つ本能からの警告だろうか。
ノルターヘルン王国のほぼ最北部の街ティギリ。
獣人が支配する領域との境に最も近く位置するこの街は、俺の体感温度で氷点下15度近くにまで感じられ、もはやヒトが住まうにはギリギリの極寒の地と言っても過言ではない。
これよりも更に北の大地に住む獣人たちは、よくもまぁこんなファッキンコールドな環境で生きていられるものだ。冬毛のモフモフ具合が違うのだろうか。
「こんなクソ寒いってのに、元気だねぇ……」
そして、そんな環境下にもかかわらず、この街は多くの人間で賑わっていた。
もっとも、その賑わいは祭のようなのどかな雰囲気からは程遠く、幾分かピリピリとした空気を内包していた。
戦いが近いからだ――――。
その証拠に、行き交う人々の中には、革鎧やインナーの上に金属鎧に身を包み、腰や背中に剣ないし槍を背負った荒事の匂いを漂わせた男たちがチラホラと見受けられた。
しかしながら、その中にノルターヘルン王国正規兵の姿はほぼ見られないと言っていいほどに少なく、目につく人間の多くは傭兵だと思われる人間ばかりだ。
そんな光景を見て、俺は内心で溜息を吐いてから、おもむろに口を開く。
「なるほどね、まずは兵力を温存しようって腹積もりか。思惑が透けて見えるぜ……」
誰に向けたわけでもなく呟いた俺の声は、白い息となって宙に現れるが、すぐに外気に冷やされて消えてなくなった。
少しばかり彼らに目を向けてみると、装備に幾分か傾いた自己主張が見受けられることもさることながら、やはり職業兵士とは目の据わり方が幾分か違うものに感じられる。
前世で
「それでも、当人らにしたらお祭りみたいなもんか……」
あまり視線を向けていて絡まれでもしたら面倒だと、俺は早々に視線を宙にさまよわせる。
好き好んで他所様の戦いに顔を突っ込んでは、殺し殺されることを日々の糧とする因果な稼業。
地球でも人類最古の職業が、娼婦と傭兵だと言われるだけのことはある。
少しばかり視線のさまよわせ方を変えてみれば、やはり傭兵がいるところにはと、それらしき女たちの存在が見受けられた。
寒いであろうに、なるべく身体の線が出るような衣装に身を包み、ひと目でそうであるとわかる濃いめの化粧を施している。
春の訪れを待てない短気な男たちへと、一足早い“春”を提供するのだろう。
しかし、ここは街の中心部だが……と微妙な違和感を感じると同時に自己解決。
つまり、これさえも含んだ特需なのだ。
そもそも、ここはヒト族最北の地みたいな場所だ。
元々の環境が環境だけに、色街を作ってまで春を売るほどの需要が、こういった時でもなければないのだろう。
時折、誘いかけてくるような視線が俺へと向けられるが、苦しんだ挙句に鼻がぽろりと腐り落ちるのはゴメンなので、なるべく気付かないふりをして通り過ぎる。
抗生物質と『レギオン』で医官を呼び出せば解決する問題だとしても、あまりにもリスクが高すぎるし、そういう目には最初から遭いたくない。
仮に寝物語で得られる娼婦からの情報が本当に必要なら、それこそ
まぁ、もっとも――――。
きしむ音を立てて開く宿のドアをくぐり抜けながら、内心でひとりごちる。
少しばかり顔に出ていたのか、宿屋の店主が怪訝そうな顔を向けてくる。恥ずかしいので、寒さで表情が固まったとでも思ってほしい。
若干の気恥ずかしさを振り払うようにいそいそと階段を上がると、部屋の扉をノックして開ける。
「戻ったぞー」
「おかえりなさい、クリス」
「おかえり、クリス」
「おかえりなさいませ、クリス様」
俺の姿を見てベアトリクスとティア、ミーナから出迎えの言葉がかけられる。
そう、それぞれが冒険者風の衣服に身を包みつつも、その程度では隠しきれない彼女たちの整った容貌。それに加えて、自分へと向けられた笑顔を見れば、そんな気など毛頭起こるはずもないのだから。
さて、そもそも。
なぜ俺たちがこんな人類が試される極寒の地にいるのか。
その理由を語るには、とりあえず数日ほど前にまで遡る必要がある。
師走なんて言葉もこの世界には存在していないのだが、そんな表現を使いたくなるほどのドタバタとした生活をどういうわけか夏から送ることになり、走り回ったまま年の瀬を経て迎えた新年。
なんとも不思議なもので、今度は一転してヒマになった。
こんな真冬の辺境では外に出てもやることがないので、俺たちは館に引きこもって大いに飲んで食ってと楽しんだ。
俺も久々に身内だけということから本気で『お取り寄せ』を駆使して料理を作ったりもしたのはいい思い出だ。
それから数日が過ぎた頃、現実へと強制帰還させられたティアを除く女性陣は、俺が浴室に用意しておいた高性能体脂肪計に乗って悲鳴を上げていたが、死亡遊戯をしたいわけでもない俺は決して茶化したりはしなかった。
ただ粛々と、数日間かけた雪上での
そして、時を同じくして年明けを告げるように帝都からの隊商が訪れる。
それに合わせ、ショウジとイリアは北方へと旅立っていった。
若者よ頑張れとショウジの背中を叩いてはおいたが、なかなか前途多難そうな雰囲気であった。
まぁ、言うことは言ったつもりだし、そう焦ることでもあるまい。
ここまでは特に特筆するようなことでもなかった。
本格的に状況が動いたのは、それから2週間ほど経ってからのことだ。
降る雪も本格的に深まっていく中、帝都からの早馬がザイドリッツ男爵領に駆け込んで来た。
……もっとも、その半日前に俺はヘルムントからの無線連絡を受けていたが。
『既に知っているかもしれないが、ノルターヘルン王国での動き、あれに進展があった。しかも、予想していたものよりも少し大きい』
無線機越しのヘルムントの声は平静こそ保ってはいたが、その中に隠された緊張の色を俺は聞き逃さなかった。
同時に、我が身へ迫る厄介ごとの匂いを感じ取って内心で溜息を吐く。
「となると、戦ですかね」
『……そのようだ。獣人たちが支配領域を越えて南方へ進軍する動きがあると、ノルターヘルンの王都から虎の子の魔導伝書を使ってきた。さすがにこれはただ事じゃないと、執政府がにわかに慌ただしくなっている』
『大森林』の一件から半年もしないうちにまた動員令が出そうだな。
いや、むしろ『大森林』との同盟によって帝都北部に移動させた中央直轄軍があるから、諸侯への動員令はまだ先か。
「それで、しがない男爵の俺は何をすればよろしいので?」
そうは言ったが、次に言われるであろうことは既にわかっている。
もし「次の戦に備えろ」というだけの用件ならば、こうして無線を使ってのリアルタイムのやり取りなど不要だからだ。
『そう腐るな。クリスには、現地で実際に起きている事態を探ってきて欲しい。どの勢力がどのような動きをしているか、また背後に何かあるか、それらの具体的な情報の速やかな入手だ』
やっぱりそうくるか。
でもね、ぶっちゃけそれが一番難しいんですよ、ヘルムントお父さん。
「そいつは、執政府が潜入させている要員ではできない任務なんですかね?」
なるべく俺が出ずに済むならそれで済ませたい。
国境を越えて活動をするような事態――――それも場所が仮想敵国内となれば、あまりにもリスクが高い。
前回のように、現地に協力者がいる状況ではないのだから、慎重にならざるを得ない。
『発火点となりそうな街は、ノルターヘルンの王都から更に北に行ったところだ。新年早々向かった隊商も、状況が状況だけにそこまで行く許可は取れず、王都で足止めと喰らっている。一部の同行者が先行して現地に向かったという話は受けているがね』
「まぁ、身分を偽装しているんじゃ無理には動けないか。隊商に紛れ込ませるのも良し悪しですな」
……ん、待てよ? 一部同行者が先行ってそれはつまり――――。
その言葉の後半部分を受けて、俺は無線機越しに頭を抱える。
先行した人員の中にショウジとイリアが含まれていると気が付いたからだ。
あぁ、畜生。クソったれ。こりゃどうあっても俺が動くしかないわけだ。
『それだけにあまり時間をかけてはいられない状況でな。事の転がり方次第では帝国も動かねばならない。それに、機動力でいえばクリスは帝国随一だろう?』
機動力もそうですが、『レギオン』のHQを使えば、ある意味ではタイムリーなやり取りでさえも可能です。
でも、俺が生きている間しか使えないので、これが当たり前にならないようにしてもらわないと困るんですけどね。
「……わかりました。現地での情報収集と
『領主になって忙しいのにすまんな、頼む。陛下も期待されている』
……でしょうね。
しかし、こんな風にコキ使われるとわかっていたら、領地なしの年金暮らし貴族にしてくれりゃあ良かったと思う。
どうにもいいように帝国へと縛り付けられてる感がある。
思わず溜息が出そうになるが、ヘルムントに心配はかけたくないのでなんとか堪えることに成功。
「まぁ、こういう能力を持った人間の義務みたいなものでしょう。それではまた」
通信を終了させ、大きく溜息を吐く。
それから少しの間、「あ~」とモヤついた気分を払拭するようにひとしきり呻きながら思考を整理させ、俺は『レギオン』のインカムを取り出す。
「
『こちら、HQ。本日の除雪は完了しています。今は滑走路要員たちが元気に雪合戦中ですね。ご用命はなんでしょうか?』
絹糸のように細く澄んだ女の声が、俺の鼓膜を優しくくすぐってくれる。
俺の設置した『レギオン』で基地のオペレーターを務める疑似人格のものだ。本人が言うには、基地そのものに付随しているらしい。
……しかし、ホントにフリーダムな連中である。
オペレーターからの返答に呆れの混ざった苦笑を浮かべながら、俺は本題へ移るべく口を開く。
「年明け早々で悪いが、なにやら北方がキナ臭くなってきた。至急、UAVと長距離ヘリとクルーの用意をしてくれ。明朝には出なきゃならん」
『了解、待っていました。まさに我々の出番ですね』
オペレーターの凛とした声には、隠しきれない戦いへの歓喜の響きが含まれていた。
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