第173話 ワインレッドの余韻~後編~
「……わかっていますよ。イリアが好意を持ってくれているのは。そして、「だったらどうして?」と思われるのも」
切っ掛けのようなものが必要だったのだろう。
少し無理をするようにグラスに残るワインを一気に飲み干し、ゆっくりと息を吐き出しながら、ショウジは語り出す。
「俺自身、彼女に惹かれている気持ちはあると思います。でも……彼女の気持ちを受け止められる自信がないんです。もしそうなってしまった時に、きっと自分の運命にイリアを巻き込んでしまうことになる。それが怖いんです」
「『勇者』の運命に、か……?」
「ええ。でも、それだけじゃありません。すでに『勇者』という存在に翻弄された彼女の人生を、同じ『勇者』である俺が関わることで、より取り返しのつかない方向へと引き込んでしまうのではないかって思うと……」
ショウジは真剣にそうは言うものの、それはあくまでも結果論に過ぎないと俺は思う。
あの当時、イリアは何らかの事情で戦争奴隷の身分に落ちており、それをたまたま聖堂教会の偉そうなヤツが買ったのだ。
もし、その時点で『勇者』という要因がなかったとしても、一度その身分まで落ちた彼女の奴隷としての待遇が大きく改善されていたとは到底思えない。
もちろん、隷属させられまともとは言えない扱いを受けていた事実はあるが、そこに関してショウジにはなんら責任はない。
しかしながら、ショウジは自分が逃げ出したことがそもそもの原因なのではないかと妙な後ろめたさを覚えているのだろうか。
あるいは、口にこそ出さないがシンヤを含む諸々の事情も絡んでいるからか。
21世紀の日本的で培ったものなのか、あるいはショウジ本人が持つ価値観なのだろうが、それは少し焦点がズレているように感じられる。
「……そんなもん、この世界で誰とくっついたってそうなるぞ」
「だったら余計に――――」
あっさりと返した俺の言葉に、そこを悩んでいたであろうショウジは瞬間的に激昂しそうになる。
しかし、対面に位置する俺の目を見て冷静さを取り戻したか、浮かせかけた腰を元に戻す。
「バカ言うな。お前を好いてくれている人間は、そんなことくらい百も承知だよ」
感情的になりかけたショウジを落ち着かせるように、俺は静かに言い放つ。
「まぁ、私事で恐縮だが、みんなそんなことはわかっているのさ。ティアみたいなヤツはちょっと別だが、ベアトリクスだってミーナだって、この先俺がトチれば死んじまう可能性だってあるんだ」
この世界はお世辞にも優しい場所とはいえない。
しかし、それを一番理解しているのは、他でもなくそこに生きる人間なのだ。
「だがな、みんなそれをわかった上で、俺みたいなイレギュラーにもついてきてくれているんだ。それぞれ、貴族だ王族だ竜だなんて面倒な立場はあるが、そんなことさえ含めた上でこうして一緒にいようとしてくれているんだよ」
もちろん、当のイリアにだって打算的な物がないということはないだろう。
少なくとも、帝国で貴族の庇護下にあるということがどれだけ自分の身の安全を保障してくれるかは、本人が一番よく理解しているはずだ。
しかし、それとショウジに向ける感情は、同時に成立し得るものなのだ。
「だからな、『勇者』がどうだなんて御題目はどうだっていいんだ。もし、どうしても気になるっていうんなら、それこそ庇護者役になってる俺を利用したらいい」
「利用、ですか……?」
「そりゃ俺だって『勇者』であるお前を利用することもあるだろうさ。でも、その代わりに俺は仲間を見捨てることだけはしない。だからな、自分の感情に嘘はつくのだけはやめろ。要はな、ショウジ。結局のところは、お前がイリアをどう思っているか……それだけなんだよ」
「自分が、イリアをどう思っているか……」
俺の言葉にこめられた意味を噛み締めるかのように、ショウジは反芻する。
「いいじゃねぇか。いくら考えたって人間、自分の気持ちはそうそう裏切れないもんだ。自分に嘘をつけるヤツもたまにいるが、そんな小賢しいことをしたって結局は後悔することになる。戸惑うままでも、もっと勝手に恋でもなんでもしたらいい」
そう言ったところで、俺の脳裏にふたりの人間の姿がよぎる。ハイエルフとダークエルフの姿が。
あのふたりは、最後の最後には互いの感情を伝え合うことができたのだろうか。
「まぁ、偉そうなことを言っている俺だって、今度の人生でもロクな死に方ができるとは思っちゃいない。だが、今この時の感情は俺だけのものだ。誰にも邪魔はさせないし、邪魔するヤツはぶっ飛ばす。それで死ぬようならそれまでだし、その方が後悔もないのさ。もっとも、そう簡単に死ぬ気はないけどな」
俺の口から出た決意は、ここにはいない誰かへと向けるような言葉となる。
「なに、要は死ななければいい。簡単なことだ」
「自然の摂理にまでケンカ売るのはやめてくれませんかね、サダマサ先生」
サダマサの無茶な発言に軽口を返しつつ、これで話は終わりだと、俺はグラスに残るワインの中身を飲み干す。
ちょうど用意していたボトルの中身も終わったところだ。
ここでもう1本出すようでは、今度はあまり美味くない酒になることだろう。
今夜はもう、グラスの中や、それぞれの舌に残るワインレッドの余韻だけで十分なのだ。
「……まぁ、今ここで結論を出せってわけじゃない。年明けからの北国旅行でゆっくり考えてきな。寒さで人肌恋しくなるついでにな」
「最後にふざけないと死んじゃう病気なんですか、クリスさんは」
「そういう性分なんだよ。でもな、手を出さないのが大切にしていることだと思っているならそれは大間違いだぞ」
立ち上がりながら、冗談とも本気ともつかない言葉を放り込む。
それを受けて、ショウジは呆れたように、だが少しだけ楽になったような表情で、小さく溜め息を漏らすのだった。
「ねぇ、さっきはショウジと何を話していたの?」
夕食後の時間も終わり、寝室でベッドに横になった俺へと、左隣で上体を起こしていたベアトリクスが尋ねてくる。
ちなみに、寝間着なんて余所の人間に見せるものではないので、これは俺が『お取り寄せ』した比較的保温性の高いものとなっている。
先ほど湯浴みを終えたばかりのベアトリクスの肌は、ほのかに上気していた。
その柔肌とまだ少し水分を含んだ美しい金色の髪が、枕元のテーブルライトの灯りの反射で妙に色っぽく感じられる。
「男同士の内緒話さ」
「……そういうことにしておいてあげる」
ウィンクしながら嘯くと、ベアトリクスは溜息交じりの言葉を返してくるが、それ以上問い詰めようとする気配はなかった。
元より、素直に喋るとは思っていなかったのだろう。聞いてみただけって感じか。
あまりつれないのもなんだし、少しだけ喋ってあげようか。
まぁ、俺がこう反応することさえも織り込み済みなんだろうけど。
「そうだな……。俺なりに言えることを言ったって感じかな。あとは本人が結論を出すだろうよ」
「そう。でも、これで吹っ切ったらいろいろ大変なことになりそうね」
俺の説明に、ベアトリクスは少しだけ満足したような声色になる。
聞きたかった言葉を聞くことができたのだろう。
「……? べつにイリアとならくっつけばいいじゃないか。そりゃ対外的には従者としての扱いにはなるだろうが」
不思議そうに返した俺の言葉に、ベアトリクスの顔が気の毒そうなものへと変わる。
なんだ、何があるっていうんだ。
「気付いていないの? イゾルデもショウジのこと好きよ? たぶんだけど」
「なんだって!?」
ベアトリクスの言葉に、思わず身体を起こす。
「そりゃ『勇者』の伝説なんかを読んだりしている年頃の女の子に、ショウジみたいな存在は毒――――ううん、言い方が悪いわね。憧れ的なものを抱いても仕方がないと思うわよ? いくらクリスのことが大好きでも血縁だし、年が近い異性で、教養もあるし物腰も結構柔らかいわよね。『勇者』じゃなくたって、そこらの貴族の子弟なんかよりよっぽど魅力的なのよ?」
それが数年も間近にいたら……そういう風にもなるってか。
「知らなかった、そんなの……」
どうも俺の目が曇りまくっていたらしい。
いや、そういう視点でショウジを見ていなかったのだ。
うむむ、本当だとしたらどうしよう。俺がショウジに「義兄さん」と呼ばれるってことなのか?
え、マジで? いやいや、落ち着け。素数を数えようにもそれはもう落ち着くための行為じゃなくて目的変わってるし……。
「まぁ、さすがにイゾルデに関してはまだショウジも気付いていないみたいだし、それは追々考えればいいわよ。ねぇ、それよりクリス……」
俺を狼狽させて満足したのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて近づいてくるベアトリクス。
その瞳が少しだけ潤んでいるのは、気のせいではあるまい。
口にこそしていないが、それに続く言葉が何かくらいわかっている。
そりゃ数日間の演習でずっと山の中で周りには兵士たち。色々と制約があったわけだ。
当然、俺もまぁそれなりにアレなわけで、ベアトリクスに合わせるように顔を近づけていく――――途中でふとそれが止まった。
「どうしたの、クリス?」
こちらの動きにベアトリクスは怪訝な顔をする。
「いや、結構な量のワインを飲んだから、息が酒臭くないかなって……」
「乙女か!」
もうっ、と少しだけ機嫌を損ねたような顔をしたベアトリクスに俺は押し倒された。
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