第172話 ワインレッドの余韻~前編~
「そうか、そんな厄介なヤツが住み着いていたのか。まったく予想していなかったってってわけじゃないが、いざそうなると参っちまうなぁ」
夕食を終えたところで、俺とショウジ、サダマサの3人で食堂にて卓を囲んでいた。
「安心していいと思うぞ。周囲一帯に潜んでいたと思われる個体はすべて狩った。全部で8体だな」
ワインのグラスを傾けながらサダマサは語る。
テーブルには赤ワインのボトルが2本とサラミや生ハムなどの
ちなみに女衆は何をしているかというと……食堂と部屋続きになっている居間で、何やら楽しそうに会話をしている。
帰還したイリアも夕食に同席させたため、その後もイリアの旅の話を肴に歓談に興じているのだ。
尚、ベアトリクスの発案で、今日から年明けの出発まではイリアを屋敷に泊まらせるとのことらしい。
もちろん、俺はふたつ返事で許可を出していた。
館での夕食後数時間は、こうして穏やかに過ごすことが多い。
あらかじめ開始の面子が決まった上で、会話が盛り上がっているようであれば、それがくだらない会話だろうがなんだろうが、そこへ無意味に割り込んだりはしない。
このあたりは阿吽の呼吸じゃないが、そういう暗黙の了解となっていた。
「8体か。並みの冒険者じゃ、討伐に向かわせても返り討ちだろうな」
といっても、この領地にはまだ冒険者ギルドの支部も設置されていない。
申請はしてあるが、おそらくは春先くらいになるだろう。
半ば放置されているのは、俺がなり立ての男爵だからと軽視されているのではなく、この領地には腕利きの冒険者がいるからだ。
そう、第2級冒険者『
実は、帝都で俺が冒険者登録をした頃に、サダマサも登録を済ませてあった。
仕事の選り好みはするものの、確実に依頼――――それも危険度の高いものを完遂するため、あっという間に第2級のミスリルにまで上り詰めていたのだ。
第1級のオリハルコンも間違いなしと言われているが、気分屋なところがあるサダマサがなかなか依頼を受けなかったりする関係で昇級していないのだと聞いたことがある。
今回のスローターウルフの件を報告すれば、貢献度が上がることだろう。
「まぁ、早めに手が打てたのは幸いだな。戦闘力の高いコイツらのような種族に追い立てられる
「そして、最終的にはエサを食べ尽くしたスローターウルフ自身が山から下りてくる、と。……開拓村程度ならそれであっさり壊滅だな」
その光景を想像した俺の口から、ほのかにアルコールの混じった溜め息が漏れる。
士爵位目当てに開拓へ赴き、いつしか行方知れずとなった連中の末路を知ったような気分である。
だが、それもどこかで今も起きているかもしれない光景なのだ。
当然ながら、それなりの場所はとっくの昔に開拓され、今ではどこかの貴族領になっているのだから、成り上がりを目指すとなればリスクを取るしかない。
それでも、近くのエリアを治める貴族の支援を受けられれば開拓難易度は下がるのだが、そんなことができるのはその貴族の身内か、帝国執政府がお墨付きを出したかくらいしか考えられない。
ちなみに、俺は幸運なことに両方を得られているといえた。
それはさておき。
上記のような諸事情により、大半の開拓者はロクな支援もないまま持ち込んだなけなしの資材を使って現地で拠点を作ることになる。
だが、そこは辺境も辺境。
討伐されたこともない上に脅威度の高い魔物がいたり、盗賊がアジトを持っていたりするわけだ。
そして、ここまでの素敵な環境が整っていれば、待ち受ける結末は言わずもがな。
つまり、本来開拓というのはそれほど危険極まりないなものなのだ。
アメリカの西部開拓と比べても難易度設定はベリーハードかエクストリーム。同じ条件で本物の辺境を開拓しろと言われたら、さすがの俺も亡命かクーデターを考えたかもしれない。
そしてこの開拓だが、北部へ向かえば向かうほどに過酷な環境によりベース難易度が上昇していく。
帝国が成立して以降、版図を広げたのは主に南方に関してだ。
それに対して、北方諸国は南下を幾度となく試みている。幾度の戦乱を引き起こしながら。
そこまでの犠牲を払いつつも南下が上手くいっていないのは、それぞれ他に『敵』が存在するからだ。
北西のノルターヘルン王国は獣人、北東諸国は魔族という脅威があるからである。
「でも、なんで死体を全部持って帰ってきたんです? 存在の証明なら別に一体や部位だけでも……」
ほのかに頬を赤く染めたショウジのグラスは先ほどからあまり進んでいなかった。
少しのアルコールでも厳しいのか、あるいは俺とサダマサの好みであるフルボディの口当たりが重いのか、あるいは両方だろうか。
「帝国執政府だろ? あと俺とベアトリクスの実家、それと冒険者ギルドにでも氷漬けにして送り付けてやるのさ。贈り物と言えば聞こえはいいが、半分はこんなところを開拓させやがってという抗議の意味でな」
サダマサの意図を察していた俺が、指折り数えてみせながら解説をする。
まぁ、それぞれの方面に、素材の提供はするからもうちっと優遇しろという催促みたいなものだ。
「なんなら毛皮を剥いで被り物にして出向いてやったらどうだ? 迫力が出るぞ」
グラスの中の赤い液体を揺らしながら、しょうもないことを言うサダマサ。
「そんな世紀末どころか蛮族全開スタイルで行ったら、頭が壊れたと思われるわ!」
それ以前に加工が容易ではない。
侯爵領から引き抜いたドワーフの革職人がいたと思ったが、この年の暮れにスローターウルフ8体を加工しろというのはあまりにも気の毒だ。
そこでリップサービスもこめて、各方面に素材としてくれてやるのだ。目撃例ですら滅多にないモンスターなのだから、それなりの見返りも得られることだろう。
「そうか? 過酷な環境でもこうして元気にやってますって、しっかりアピールできるだろう?」
「過酷な環境で人間性や何かが磨かれるなら、人間はみんな傭兵か冒険者にでもなるべきだな」
グラスを傾けつつ、俺がさもつまらなさそうに言うと、サダマサは「それもそうだな」と小さな苦笑を浮かべた。
空になったグラスへとサダマサによって注がれるワインを眺めつつ、俺は話題を本題へと持っていこうとする。
「ところで、だ。ショウジ……」
少しだけ周囲の――――主に数メートル先で仲睦まじく会話をしている女衆の様子を窺いつつ、俺は身を乗り出してわずかに声をひそめる。
その様子に、ショウジも少し居住まいを正して、わずかに身体をこちらへ近付けてくる。
一方、サダマサは依然として椅子の背もたれに身体を預けていた。
気のせいか、少しだけ眉目が状況を愉しむようなものへと変化している。
まぁ、おおよその察しはついているのだろう。
「最近、イリアとはどうなんだ?」
まわりくどい話し方をしても仕方がないので、俺は単刀直入に切り出すことにした。
日中イリアと話している時は、ショウジのことを朴念仁だなんだと思ったりはしたものの、さすがにそう決め付けるのも酷な話だと思ったのだ。
そもそも、当のショウジがイリアのことをどのように考えているか、それを俺は聞いていない。
たまに抜けているところもあるが、それでもこの世界に来てそれなりの場数を踏んで生き残ってきたショウジは決してアホではない。
であれば、その真意を俺は知っておきたかった。
もちろん、おせっかいなのはわかっているつもりなんだが、どうにも気になってしまったのだ。
世界線こそ微妙に違うようなのだが、仮にも地球出身同士のよしみというか……。
「……どうというのは?」
俺の問いに対して、やや訝しげな顔を浮かべるショウジ。
まぁ、いきなり訊かれればそうもなるだろう。
「わかってるんだろ? あれだけ一緒に行動していて、気付いてないってのは言いっこなしだ」
これで気付いてないとか言うようなら、よく聞こえるように耳の穴、それとよく見えるように目の穴も増やしてやるところだ。
口を開く前の一瞬、ショウジの目だけが様子を窺うように居間の方を向いたことに気付いた。
見たところどういう話かは理解しているらしい。
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