第169話 ロマンティックがはじまらない!~後編~
「えぇ、わたしが北方にいた3年前の時点では、そのような兆候はありませんでした。片方だけならば該当する人物もいましたが、それが両方とも揃っているとなれば、何もなしにそんな傑物が現れるとは……」
「よほどのことでもなければ考えられない、か。普通に考えればそうだろうな。俺だって同じ推論に至る」
イリアの言葉を引き継ぎながら俺は同意を返す。
ということは、何かイレギュラー的な要素が発生したということだろうか。
まぁ、こういう時はだいたいそうだ。嫌な予感ほどよく当たる。
「ところで、イリア。えらく冷静に喋っているが、自分の故郷が心配にはなったりはしないのか?」
「……クリス様、ご配慮痛み入りますが、それはあくまでも部族の一員としての立場があればこそのものです。わたしのようにひとたび故郷を離れることになった者はその限りではありません」
イリアの声に感情を抑えているような気配はない。
あくまで共同体の中にいるからこその身内意識があったってことか? なんにせよドライなことだ。
「それに、今更故郷へ戻ったところで、わたしが一族には受け入れられることはないでしょう。外の世界へと出た者は亡き者も同然と扱われますし、ましてや
「なんつーか、世知辛いなぁ……」
「まぁ、そういうものと思うしかないかと」
あまりにも殺伐というか容赦のない獣人の慣習には俺もげんなりしてしまう。
そして、それと同時にイリアが言うようにそんなものなのかなとも感じる部分があった。
ヒト族の場合であっても、コミュニティによっては、その規模やそこへの帰属意識を維持するために、21世紀の日本の感覚では考えられないような慣習を持っているところもある。
ただでさえ北方の厳しい自然環境の中にあっては、コミュニティの存続に不確定要素を投げ込むような存在はいて欲しくないのだろう。
「イリア本人がそう言うならいいんだが。状況がわからないうちから、故郷を救うためとかで勝手に先走ったりしてくれなけりゃ俺は別に構わないよ」
「重ね重ね、ご配慮ありがとうございます」
しかし、気になる事態ではある。
個人的には何が起きたかよりも、それが本当に突発的な要因によるものなのか、あるいは外的要因によるものなのかというところだ。
『大森林』の時のように、魔族が暗躍していたなんて顛末では、結局は人類同士で消耗し合っているだけのひどくマヌケな話になってしまうのだから。
もっとも、そのような要因などなくとも、切羽詰まったところで一向にまとまらないのが今の人類なわけだが。
「ちなみに、すぐに何かが起きそうなレベルだったか?」
「いえ、そこまででは。もしそうであれば、とうの昔に早馬が帝都へ駆けつけているかと。ですが、年明け以降状況が動く可能性は十分に」
「そうか……。いずれにせよご苦労だったな、イリア。暮れはゆっくり休んでくれ」
臨時ボーナスだと革袋に入れた報酬を渡すと、イリアは礼を言ってそれを受け取る。
その瞬間、尻尾の揺れが大きくなった。
顔にはあまり出さないものの、かなり嬉しいようだ。
「はい。ところで、年明けからまた現地に入った方がよろしいでしょうか?」
「そうだな……。年明け早々には、ノルターヘルン方面へ向かう隊商がうちの領地を通る予定だと聞いている。とりあえずはそれと一緒に向かってくれないか。今回はショウジも行かせよう。必要とあらば俺たちも後から追いかける。もちろん、然るべき所へのお伺いは必須だがね」
さすがに怪しいからという理由だけで、いきなり現地へ乗り込んで調査するわけにもいかない。
爵位を得たからには、俺も今までのように気軽に動ける身分でもなくなっているのだ。
……まぁ、俺の思いとは別に、どうも帝室はそのように思っていないフシが多々あるんだが。
「ショウジくんと……? よろしいのですか?」
イリアが危惧しているのは、秘蔵っ子の『勇者』を外に出して大丈夫かということだろう。
それについての心配はあまりしていない。
帝国が『勇者』を抱えているのは既に各国に伝わって久しいが、人相まで大々的に公表したわけでもない上に、写真なんて存在しない世界ではショウジの顔までは正確に伝わっていないのだ。
たしかに、黒髪黒瞳の人間はとんでもなく少ないのでもしかして……とはなるかもしれないが、それでも確信に至るほどのものではない。
ぶっちゃけ、見た目だけで言えばサダマサのほうがよっぽどらしいだろう。
まぁ、それに……要はバレなきゃいいのだ。
「いいさ。たまには二人でゆっくりしてきたらどうだ?」
真面目な話はひとまずここで終わりと、俺は声の雰囲気を和らげる。
「あ、遊びに行くわけではないのですが……」
その言葉にイリアの顔がほんのり赤くなるが、何故かそれもすぐに浮かない顔へと変わってしまう。
耳はペタンと倒れ、尻尾も力なく垂れ下がっているではないか。。
ん? この反応はもしかして……。
「……なぁ、イリア。まさかとは思うが、あれだけ一緒に冒険者とかやっていて、ショウジとはなにもないのか?」
「……なにもないんですー!!」
その言葉がトリガーとなったかのように、両手で顔を覆いうわーんと小さく叫ぶイリア。
そこには自尊心を傷つけられた感情も含まれているのか、尻尾の先端がソファの革をぺしぺしと小さく叩いている。
「おぉう……。そりゃまたなんて言ったらいいかわからんが……」
俺の口から出た言葉は、驚愕やら困惑やらが混ざり合わさって意味をなさないものとなった。
案の定、隣ではベアトリクスも俺同様に、信じられないといった表情を浮かべている。
この人生で、つい半年ほど前まで清い身体でいた俺が言うことじゃないのかもしれないが、いくらなんでもなにもなさ過ぎじゃなかろうか。
衝撃の事実に、俺は思わず頭を抱えそうになる。あの朴念仁め……。
「それなりにわたしからもアプローチはしているつもりだったんですけど……。クリス様、わたしはショウジくんからそういう対象として見られていないんでしょうか……」
そんなの本人に聞いてくれと思ったが、まさかここで俺からトドメを刺すようなことを言うわけにもいかない。
先ほどまでとは一転して、完全にしょんぼりモードとなってしまったイリア。
『勇者』と行動を共にしていたせいで、すっかりすり減らしてしまった感情を、うちに来てから表に出すようになったのは喜ばしいことだが、だからと言って俺はべつにこういう感情を見たかったわけじゃあない。
まぁ、色恋沙汰なんてのは、こんな風に一喜一憂するのはよくある光景なのかもしれないが、それでもやはり見ていて何とも言えない気持ちになる。
そう思うのと同時に俺はふと気が付く。
俺自身が、イリアに対して心配を覚えるほどの情をいつしか持っていたことに。
ベアトリクスも俺の内心に気が付いたのか、こちらを見て柔らかな笑みを浮かべていた。
「うーん、さすがにそこまでじゃないと思うんだが……。まさか気付いてないってことも……」
「もしそうなら死刑よ」
鈍感系主人公死すべし、慈悲はない。
さらりと言ってのけるベアトリクスさんに容赦はないようだ。
うーん、21世紀日本の価値観で生きるショウジには、なかなか酷な要求と思わないでもないんだが……。
しかし、まさか『身内』でそんなことになっているとは思わなかった。
いやもうてっきり、とっくの昔にそれくらいまではいっているものと思っていたのだ。
寒さのせいだけではないであろう小さな頭痛を俺は覚える。
「……こりゃ押し倒すしかないな」
かく言う俺も、ティアに押し倒されたクチだからイケるだろ……とは、ちょっと男としてアレなので言わないでおく。
「ふぇっ!?」
一気に迫れと俺が言うと、途端に真っ赤になるイリア。
いきなりの感情の急激な変化によるものか、耳も尻尾もピーンと逆立っている。本来、これくらい感情豊かなのが彼女の地なのだろう。
まぁ、耳と尻尾見てればその時のリアルな感情がわかるから、かえって表情とのギャップが面白くていいと思うけどね。
「そりゃそうだ。押してダメなら蹴り飛ばすしかないだろう。ここで引いても、押してるってことに相手が気付いてなきゃ無意味だぜ? 案ずるより産むが易しって言ったりもするんだからな。あ、産むと言えばちゃんとひに――――」
その瞬間、衝撃とともに俺の視界に綺麗な星が飛んだ。
「もう、バカクリス! なんであなたはちゃんと最後まで真面目に言えないの!」
ベアトリクスが繰り出した鋭い裏拳が、俺の顔面に直撃したのだ。
ちょっと奥さん、ツッコミに容赦なさ過ぎじゃないですかね……。
「いたたたた……。ま、まぁ、アレだ。一線を越えるには、何かしらの切っ掛けが必要だったりするんだよ」
慌てて言い直すが、時すでに遅し。
呆れ返ったベアトリクスからは、冬の大地よりも凍てついた視線が容赦なく注がれている。
「うー……。が、頑張ります……」
俺の下品極まりない冗談まで理解する余裕がなかったのか、辛うじてそう答えたイリアだが、依然として顔は真っ赤なままであった。
鼻筋に残る痛みに顔を顰めながら俺は思う。こりゃ何とも前途多難だなと――――。
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