第168話 ロマンティックがはじまらない!~前編~
「ただいまー。いやー、さすがに寒かったなぁ」
「山が近いからかしらね。公爵領よりもずっと寒く感じるわ」
領都――――ザイドブルグにある領主の館へと帰還し、肩から背負ったソフトケースにM110Aセミオートマチック・スナイパーライフルをしまったベアトリクスを連れて玄関をくぐると、居間のほうからぱたぱたと二つの足音が聞こえてくる。
「おかえりなさいませ、クリス様」
「おかえり、クリス。む、少し顔が寒さで赤くなっておるぞ」
それぞれの言葉とともに、美しいが全くタイプの異なるふたりの女性が俺を出迎えた。
金髪に蒼い瞳の華奢なイメージを抱く165cmほどの女と黒髪に金色の眼を持つ170cmを超える長身の肉感的な女。ヴィルヘルミーナとティアだ。
どちらもベアトリクスとの婚姻に時期を合わせる形で、正式に俺の嫁という扱いになっている。
「あー、子どもじゃないんだぞ、ティア」
「ふふふ、妾からすれば些事じゃな」
頬に両手を添えてくるティアに抗議すると、当の本人は笑うだけでやめようとしない。
嫁の席次というかまぁそういう対外的なものに関しては、帝国貴族であるザイドリッツ男爵への嫁入りとなるため、エンツェンスベルガー公爵家令嬢たるベアトリクスが第1夫人に、『大森林』王家ハイエルフ王族であるミーナが第2夫人、最後に帝国よりもかなり東方の島国の貴族階級出身ということでティアが第3夫人となっている。
1度に3人も娶るというのだから、婚姻の儀――――つまり結婚式は、本当に大騒ぎと言ってもいいようなイベントになった。アレからもう半年も経つのかと思ってしまう。
「あれ、サダマサとショウジはどうしたんだ?」
「おふたりは一昨日から西方の森へ魔物討伐に出かけています。今夜には戻るとのことですわ」
ついていた雪は最低限払ったものの、溶けた水分を吸ってにわかに重くなった外套を脱ぐと、ヴィルヘルミーナ――――ミーナの華奢ながらも繊細な造りの手が伸びてきてそれを受け取る。
「そうか、ショウジは付き合わされたんだな。それとありがとう、ミーナ。別にここまで気を遣わないでもいいんだぞ?」
こういうのは本来使用人の仕事だ。
それは本人が一番よくわかっているはずだが、それでもやりたいのだろう。
この館で雇っている使用人たちも後方に控えているが、必要以上に進み出てこないのはその辺を彼女たちが言い含めているからに違いない。
「いえ、数日の演習でお疲れでしょう? これも妻たる者の務めです」
にっこりと柔らかな微笑みを浮かべるミーナ。
それを見て、先を越されたという表情を浮かべているベアトリクスとティア。
まぁ、張り合うのも結構だが、あまり面倒にならん程度にしてほしいなと内心で苦笑する。
第一、こぞって何かしようと動かれても、受け手となる俺の身体は一つしかないから困るのだ。
実際、アウエンミュラー侯爵領にいた頃、寒いと言ったらティアの高火力魔法で燃やされそうになったことがあるからな。
無理をせず、できる範囲でやってくれるだけで構わないのだ。
とはいえ、彼女らも別に点数稼ぎをしているわけではない。そもそも権力への執着さえ薄いのだ。
今はただ環境の変化でこうなっているだけで、もう半年もすればこの環境に慣れて落ち着いてくることだろう。
「そういえば、クリス様。イリアが戻って来ておりますが」
「……そうか、すぐに会う。待つように伝えてくれないか。場所は俺の執務室でいい。あ、紅茶を淹れておいてくれ。砂糖とミルク付きでな」
革の半長靴を脱ぎ、室内履きへと履き替えた俺は、先に着替えを済ませるべく私室へと向かう。
「そうか、やはり北方で動きはあったか……」
「はい」
普段着に着替えた俺は、執務室に場所を移して北方から帰還したイリアの話を聞いていた。
彼女が就いていた仕事の関係上、途切れ途切れにしか会っていなかったため、その変化に俺は今更ながら小さく驚く。
二年前、『勇者』に付き従わされていた時よりも、隷属されられていない分精神的なストレスが緩和されているのか、元々素材が良かったイリアの容姿には更なる磨きがかかっていた。
尻尾を含む茶色の毛並みは仄かな艶すら放っており、冬服の上からでもわかるボディラインはなかなかに整っている。
腰に佩いた武器としては、この世界で作られたダガーと、俺が与えた大型の軍用ナイフの2種類。可憐ながらも隙のないイリアの姿は、ベテランの冒険者を思わせる雰囲気を漂わせていた。
隣のソファには、同じく部屋着へと着替えたベアトリクスが静かに腰を下ろしている。
高等学園を卒業後、一旦帝都を離れてエンツェンスベルガー公爵領に戻っていたベアトリクスは、父ユルゲンに付いて領地経営の補佐をしていた関係で、こうして領主として動く際にも俺をサポートしてくれているのだ。
ちなみに、ティアとミーナはこの場にはいない。
ティアは結論だけ後で聞ければよいと、いつものマイペース具合で早々に同席をパスしたのと、ミーナは使用人に混じって夕食の手伝いをしているためだ。
ミーナに関しては仮にも元王族がと思わないでもないが、俺自身たまに料理はすることがあったし、そもそも本人たっての希望とあれば止める理由も存在しなかった。
「そうなると、何らかの対策は打たないといけなくなるか、参ったな……」
溜め息を混じらせながらつぶやき、俺は陶器のカップの中身を啜る。
数日間の演習ですっかり冷えて疲れた身体に、使用人が淹れてくれた砂糖たっぷりのミルクティーが染み渡っていく。
身体の芯から落ち着く味わいに、思わず顔が緩んでいくのが自分自身でわかる。
そして、それは皆も同じようで、それぞれが幸せそうな顔で身体の中をゆっくりと温めていた。
「発火点はノルターヘルン王国です。ですが、それ以上に王国西部にある獣人の支配領域が怪しいようですね。王国が国境線を押し広げようとするのは恒例行事みたいなものなのですが、今回は獣人側が組織立った動きを見せつつあるようです」
気になるワードに、俺の紅茶の杯を傾ける手が止まる。
「……組織立った動き、だって?」
「はい。元々あの地域は、獣人の各種族ごとに支配領域を持っていました。種族によっては、特定の勢力の庇護下に入ることもしばしばありましたが、それでも基本的にはいくつかの規模の大きい勢力、それらが睨み合うような関係だったはずです」
元々、その地域が故郷であるイリアが言うのであれば間違いはあるまい。
実際に、獣人が暮らすのは北方地域で人類が生存可能と思われるギリギリのラインまでであるが、そこに『国』は存在していなかった。
厳しい環境下ではありながらも、南方のヒト族国家からの大規模な侵攻を受けるケースがほとんどなかったため、獣人同士が団結して対処する必要性に迫られなかったからだと考えられている。
しかし、そこに今回変化が現れたというのだ。
「……必然的に、そいつらのトップ同士が手を組んだか、あるいはどっかがすべてを飲み込んだか、となるわけだな。考えられるケースとしてはどっちかな? 想像で構わんよ」
俺の言葉に、イリアは顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。
背後では、ふさふさの尻尾がふわんふわんとゆっくりだが規則的なリズムで揺れていた。
よくよく見れば毛並みが以前と違う。もしかすると冬毛に生え変わったのだろうか?
普段から見慣れているわけでもないため、その変化につい目がいってしまう。
「……もしありうるとすれば、それは後者だと思います。他種族の猛者を圧倒するだけの力と、指揮能力を持っていることが前提となりますが」
こちらの視線に気付いたか、少しだけ恥ずかしそうな顔をするイリア。
さすがに失礼だなと俺も尻尾から視線を逸らす。
逸らした目線の先には、俺の足の甲目がけて落下しようとしていたベアトリクスの足。
俺が目を逸らしたことを確認して、静かに元の位置へと戻っていく。
……おぉう、危ない所だった。
「フーム、こう言っちゃなんだが、ずいぶんと懐疑的な物言いをするんだな」
自分で言っていながら確信がない……。イリアの言葉からはそんな思いが感じられた。
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