第4章~北の国から過ぎ去りし愛の残滓を~

第166話 前略、銀世界より~前編~


 鉛色の空、その下に広がる大地は、降り積もる雪によりすべてが白く染め上げられていた。ともすれば、生物の気配が途絶え静寂のみ湛える死の世界と言ってもいい。


 そんな場所へ、複数の鋭い音が重なって鳴り響く。

 火薬の炸裂音――――“銃声”だ。


「よし、射撃終了。尾栓ブリーチブロックを開いて、薬室チャンバーに弾がこめられていないことを確認しろ! それと、空薬莢の回収を忘れるんじゃないぞ」


「「「イェッサー!!」」」


 生物がいないはずの雪原。その切れ目にある針葉樹の林から複数の声が、立ったままでいる俺へと返ってくる。


 防寒着は着ているものの、ちょっと身じろぎをする際にできるわずかな隙間、そこから入り込もうとする容赦ない寒さに俺は襲われていた。

 指示を出す時に吐く息も注意はしているものの、鼻や口元から漏れるそれは寒さにより白く染まっていく。


 冷えた空気はそれだけでは飽き足らず、俺の気道にまで侵入してこようとする。

 口を可能な限り早く閉じるが、結局はそれを繰り返すわけであまり意味はない。まぁ、生きている以上、呼吸ばかりは止められるはずもない。

 冬という季節の厳しさを、否応なしに痛感させられる瞬間であった。


「総員、傾注! 演習も今日で終了だ。これより撤収準備を整え、領都へ帰還する。……みんな、ご苦労だった」


 努めて平静を保った俺の言葉に、雪原の一部と同化した白装束の兵士たちがゆっくりと立ち上がると同時に、あちこちから安堵というよりも気の緩んだ声が漏れる。

 冬季演習が終了した。


「今年の訓練もこれで終了だ。暮れと年明けはゆっくりと休んで英気を養ってくれ。領都に戻ったら気持ちばかりだが、年越し用の酒を支給したいと思っている」


 俺からのねぎらいの言葉に、兵士たちの間から歓声が漏れ出す。

 それを各部隊の隊長が、怒鳴りつけたりして早々に撤収準備へと移行させる。


 年の瀬もすぐそこまで迫った中で、北方からの侵攻を想定した軍事演習を領軍にて実施していた。

 とは言っても、雪原における集団行動と、試作型の新式銃を使った集団射撃の訓練レベルに過ぎない。

 まだ人数が少ない所領軍では、大規模な軍事行動は不可能なのだ。


 しかし、そうは言っても規模が小さいからと馬鹿にするものではない。

 この世界には、未だ存在しない武器と兵隊の運用方法でもあるのだから。


「いっきしっ!!」


 それにしても寒い。


 足元で軋む雪の音を耳朶に捉えながら、自身を取り巻く環境下に辟易とする。

 冬はこの世界――――中世ほどの文明水準の人間が活動するような時期じゃないと断言できる。

 農民に倣い、家に閉じこもって消費カロリーを抑えながら、暖を取っている方が絶対に賢い。


「ぶぇっくしょいっ!! あー、チクショー!!」


 くしゃみをするたび、鼻がむずむずする感触とともに身体が一層冷えてくる。これでは負の連鎖だ。

 まったくもって、こんなクソ寒い空の下で戦争に備えて訓練などするものじゃない。

 前世でも経験していなかった北海道ばりかそれ以上の銀世界での生活にやられかけた心が悲鳴を上げる。


 とはいえ、こんなことをしなくてはいけないのも、安穏な生活を送るのを世情が許してくれそうにないからだ。


 ここよりも更に北方の山か雪しかないような大地――多分に俺の偏見が含まれているが――で、妙な動きがあるとの報せは既に帝室が掴んでいた。

 本物の商人の中に潜り込ませた間諜からの情報であるから、その確度はかなり高い。


 ヤツらは本物の極寒の地で、無茶して元気に駆けずり回ろうとしている。

 いや、それにも語弊がある。

 正確には、暖かい方面へと南下したくて南下したくて仕方がないのだ。

 それこそ長年の間虎視眈々と狙い、ついにチャンスを見つけて殺気立っているくらいには。


「戦争はすっとイカレたヤツが勝つなんて聞いたことがあるが、常時イカレたヤツなんて病院に閉じ込めておけっつーの」


 鼻を軽くすすって、小声で漏らす。

 既に兵士たちは撤収準備に移っているからよいものの、あまり愚痴を部下に聞こえるように言うものではない。

 人間味のない上官は兵からあまり好かれないが、かと言ってありすぎるのも問題だ。


 そんな俺の思いを打ち消すかのように、兵士達のものとは違うくぐもった銃声が鳴り響く。


 抑音器サプレッサー越しに生み出された7.62mm✕51NATO弾の銃声だ。

 ここでそんな音を発生させるのは俺のほかには一人しかいない。


 音の発生源へと俺が歩みを進めていくと、撤収準備を整えつつある兵士たちを余所に、雪上用に白いテープをあちこちに巻き付け、風景と同じ色合いへと変えたナイツ・アーマメント社製M110Aセミオートマチック・スナイパーライフルを伏せ撃ち姿勢で構える兵士の姿があった。


 白く塗られたフリッツヘルムに防寒用の目出し帽バラクラバ。遠目に見たら、たしかに指揮官などの上位者は他と見分けがつかんだろうなと思う。

 いると知った上で、ある程度の距離まで近付かなければ、わかりにくいことこの上ない。

 言い換えれば、雪上迷彩はしっかりと効果を果たしているわけだ。


「演習は終わりだぞ」


「待って。今……いいところなの。ノッてる状態」


 再び響くサプレッサー越しの銃声。


 ついこの間、婚姻の儀を終え、我が妻となったベアトリクスから戻ってきたのはつれない返事だった。

 目だし帽から覗く碧眼は、M110Aのスコープから微動だにしていない。

 ダメだ、


 終わるまではダメそうだなと肩を竦めて諦めた俺は、どれどれと首から下げた双眼鏡を覗き込んでみる。

 放たれた弾丸は、400m先に設置された人型標的、そのスナイパートライアングルの中心部分からほぼ数cm以内に着弾していた。


 なるほど。たしかに、こりゃスゲェ。


 それからしばらくして、マガジン内部の弾丸20発を撃ち尽くしたところで、ベアトリクスはスコープから目を離し、フリッツヘルムとバラクラバを脱いでこちらを見た。

 それとともにふわりと広がった美しい金色の髪が、雪原にアクセントとして映える。


「ごめんなさい、クリス。待たせちゃって」


「いいさ。そういう時の気分は、俺にもよくわかる」


 そう言って、伏せたままのベアトリクスに手を差し伸べると、ベアトリクスは小さく笑みを浮かべて俺の手を握り返すのだった。

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