第162話 それぞれの『正しさ』~後編~


「……でしょうね。あの国が抱えていた騒乱の種は、我々が思っていた以上に大きかった」


「そうだ。いずれ戦いとなることが早い段階から予想できたからこそ、私は『大森林』への侵攻のための準備をしてきた。それを間違いだとは今でも思っていない。まぁもっとも、『大森林』の内部情勢の変化や、『勇者』の存在、ここまで状況が変わってしまえば、それも詮無い話になってしまったがな」


 そう言って、少しだけ身に纏っていた剣呑な雰囲気を緩和させるクラルヴァイン辺境伯。

 だが、そんなわかりやすいものを真に受けるほど、俺は素直ではない。


「そうでしょうか。もう次の“発火点”を探しているのではありませんか? 所領軍の大部分をかなり北方まで下げたと聞いておりますが」


 俺の探るような目を受けて、クラルヴァイン辺境伯の目に再び剣呑なものと、興味を覚えたようなものの2種類が混ざった光が宿る。


「面白いことを言う小僧だ。それとも、卿の言う発火点とやらが北方にあるとでも言いたげだな」


 怪訝そうな顔をするわけでもなく、依然として実に愉快そうな表情を浮かべてはいるものの、一旦は白を切って見せるクラルヴァイン辺境伯。

 自身の情報を引き出したいのなら、もっと続きを話せということか。この男に、俺の揺さぶりは通じないようだ。


「次に何かあるとすれば、それは限りなく北方となるでしょう。どのような理由があれ、帝国が今までに行われてこなかった異種族との関係を構築したことは事実です。それを受けて、他の列強国が動き出さないとも限りません。それに、ここ最近は静かな聖堂教会の動きも気になります」


 俺に与えられた領地――――ザイドリッツ領は、帝国北西部に位置している。

 アウエンミュラー侯爵領とエンツェンスベルガー公爵領の隙間ともいうべき地帯で、聖堂教会の本部でもある神聖アウレリアス教国やその他列強との国境には比較的近い場所だ。

 何かあった際には、最前線とまではならないにしてもそれなりに重要な地点とはなる。


 実際には、エンツェンスベルガー公爵領の北方にあるいくつかの騎士爵領が、真っ先に侵攻を受ける可能性の高い地域となるわけだが、こちらに十分な軍備が整っていれば、その際に予想される侵攻ルートにおいて、敵軍を横合いから殴りつけることも可能なのだ。


 だからこそ、帝室は滅多に増やさないはずの貴族枠を使ってまで、俺に北方の守りへと参加させようとしているのだろう。

 これは、最悪の場合、聖堂教会をはじめとしたヒト族国家連合とのドンパチさえも視野に入れての動きと見て間違いはない。

 杞憂に終わってくれれば一番だが、それでも実際に警戒させるだけの不安定要素が、今の人類圏には多過ぎるのだ。


「もしもの場合に、帝国は迎え撃つでしょう。例の新兵器の出番もある。そして、辺境伯、あなたは既にその戦いを見据えた動きに移行しているのでは?」


 すでにクラルヴァイン辺境伯が、帝国内で配備が進みつつある火縄銃を自領へと優先的に振り分けるよう根回ししていることを俺は掴んでいた。


「さてな。それにしても、よくあの地を受けたものだ。新興の男爵家でどうするつもりだ? いざ戦となれば、帝国軍に戦力を割く余裕があるとは限らんが」


 まぁ、ぶっちゃけてしまえば俺には『レギオン』がある。

 その際には、速やかに後方を分断させてもらうことになるだろう。


 だが、そんな奥の手を、ここでワザワザ懇切丁寧に喋る必要はない。


「少なくとも猶予は数年あると思っているので、早期開拓を進めることにはなるでしょう。まずはアウエンミュラー侯爵領とエンツェンスベルガー公爵領との交易でしょうか。ここは存分に脛をかじらせてもらいますよ」


「親不孝なことだ。いや、孝行か」


 そう言って小さく肩を竦めるクラルヴァイン辺境伯。


「それに、戦力にしてもただ座しているわけではありません。所領となるザイドリッツ領で、ダークエルフの一族をはじめとした各種族を一定数召し抱え、それぞれの得意分野に特化させます。初めからまともな戦力の編成は期待されていませんからね。これくらいはせねばならない。もちろん、陛下のお許しも頂いております」


 この程度のカードなら切った内には入らない。


「ほぅ……。帝都や両隣の領地から募兵はせぬのか」


 俺の領地での政策案に、クラルヴァイン辺境伯は意外そうな表情を浮かべた。


「そちらから兵力を引き抜くのは簡単ですが、当然のように危険も伴いますからね。それに、新規にしてもぽっと出の男爵のところへ真っ先に押しかけるような人間を、すぐに家臣に取立てようとは思いません。彼らに義侠心がないとまでは言いませんが、それでも最低限精査する必要はある。それに、ダークエルフなど異種族がいても構わないという人間でもなければ、いたずらに不和の種を抱えるだけです」


 間接的に、間諜を潜り込ませる気ならそれなりの覚悟をしろと告げておく。


「道理だな。しかし、裏の仕事で名高いダークエルフの一族か。よく向こうが首を縦に振ったな。よもや待遇だけではあるまい」


 感心したような口調。

 その重要性を理解できるということは、おそらく『大森林』の内情について過去から相当なまでに調べていたに違いない。


「そこは陪臣格に一族の者がおりましたので」


 これにはサダマサについてきたシルヴィアが大きく役立ってくれた。

 ダークエルフの中でも、諜報や暗殺などに従事する者の多い一族の族長の娘だったシルヴィアが、一族を説得し帝国へと移住させることになったのだ。

 ちなみに、これはちゃんとハイエルフ王家の許可を得ての行動だ。


 先方の許可が下りてからは、話が進むのも驚くほど早かった。

 故郷を持ちながらも、故郷とは言えないほどの過酷な生活を強いられていた彼らにとって、今の『大森林』はしがみついてまで居ようとする場所ではなかったのだ。

 騙されているのではという不安感もあったことだろう。

 だが、同時に抱く希望とを天秤にかけた結果、現状を捨てさせるに至ったのだ。


「であれば納得だ」


「辺境伯とて、彼らの有用性にはお気付きでしょう? 『大森林』の中でも、特に帰属意識が希薄なダークエルフの一族を使い、あの国の状況を可能な限り探った上で、所領軍の南方への展開によって真綿で首を締めるように微妙な圧力をかけていたあなたであれば」


 再び、俺はクラルヴァイン辺境伯へと揺さぶりをかける。


 人類圏に点在するヒト族国家が、古来より異種族の土地を虎視眈々と狙ってきた歴史を知りながらも、『大森林』への侵攻を計画していたということは、それをある程度正当化できるだけの展開が起こり得ると予測していたからに他ならない。

 つまり、そう確信させるだけの情報を、早いうちから得ていたということになる。


「……そこまで気付いていたか。そして、その問いにはこう答えよう、『無論だ』とな。考えたことがないとは言わぬよ。だが、私にもそれなりの体面というものがある。領内に不和の種を持ち込むわけにはいかぬのだ」


 そこまで言って、クラルヴァイン辺境伯は俺の思惑に気付いたようにこちらを見る。


「なるほど。だからこそ、種族ごとの派閥が構築される前の最初期から食い込ませようというのか。それで? 私にその話をするということは、バルヒェット侯爵のように暗殺でもするつもりか? 『大森林』との同盟により、帝国南部と西域の安定化を成し遂げた今、私のような敵対勢力を消し去る絶好のチャンスなのは間違いないだろう」


 よくもまぁ平然と言ってのけるもんだ。


「何のことを仰っているか、私にはわかりかねますな。ただ、ここであなたに退かれても国軍への影響が大きくなるだけです。帝国が『勇者』の存在を公表した今、表向きでは目立たなくとも聖堂教会の動きは水面下で活発化することでしょう。そこに付け入るような隙を連中に与えるわけにはいかないのですよ」


「……そのために、私に『大森林』との交易の仲介権を与えようと動いたわけか」


 まぁ、普通はおかしいわな。

 将来的に公爵を継ぐ予定の人間が功績を上げたにもかかわらず、その親族にさえも交易の優先権が与えられないというのは。

 ましてや、それが敵対勢力とも言える貴族派のトップに与えられるのだから、不審に思わないわけがない。


「あなたは聖堂教会のように、現実の見えないヒト族至上主義者ではない。種族でしか優位性を主張できないような、人間と動物との違いさえ大してわからない連中とは違ってね。とはいえ、合法的に領土の拡張を狙う程度には野心家だ。そんな人間が、この魅力に気付かないはずがない」


「フン、借りには思わんぞ」


「それで結構です。これで少なくとも、南方はあなたが守護してくれるといってもいい。余計なちょっかいを受けないためにも、常に盤石の体制でいて頂かなくては困りますから」


 少なくとも帝室に敬意を払っていない面従腹背の人間ではないとわかっているからこそ、敢えてこれだけの大きなエサをぶら下げたのだ。

 ともすれば梟雄とも言える男だけにリスクは伴うが、その危険性を承知で利用しようとしなければいけない情勢に世界は突入しつつある。


 さて、用件は済んだ。

 俺はゆっくりと椅子から立ち上がり、失礼にならない程度に会釈をして踵を返す。


「ザイドリッツ卿」


 そんな俺の背中に、クラルヴァイン辺境伯からの声が投げかけられる。


「『勇者』の存在は、この世界の在り方を大きく変えた。魔族に対抗し得るだけの力――――たしかにこれは人類の希望でもある。だが、それは同時にあり得ない力を個人が持っていることでもある。その危険性は理解しているのだな?」


 それは、『勇者』に限りなく近い位置にいる俺への問いかけなのだろう。

 俺は静かに背後へと振り向き、クラルヴァイン辺境伯の顔を正面から見据える。


「無論です。『勇者』としての素質と、その個人が善人であるかどうかは無関係だ。善人がその力を正しく使えばいいですが、その『正しさ』という概念も個人の尺度に委ねられる曖昧な存在です。そして、それ以上に『勇者』に頼らざるを得ない我々人類は弱い。歴史にこそ残されていませんが、この世界に『勇者』の系譜が残されていないことがそれを証明しています」


 魔族の脅威を退けた後に『勇者』が存在することは、新たな混乱を引き起こすだけでしかない。

 単身で魔族を討ち払い、世界を救った『勇者』が今度は新たに魔族と同じ立ち位置にくるのだ。

 だからこそ、聖堂教会はその血をこの世界に残させなかった。

 それがどのような手段を用いてなされたのか、俺は想像したくもない。


「そうだ。大きな力を持った人間が、いったいどれだけ正気を保っていられるのか。また、邪悪でないかの保証さえもない。私は数年前に現れた『勇者』の片割れの話を聞いて思ったよ。あのようなこの世界に何の責任も持たない個人に、世界の命運を委ねてもいいものかとね。あるいは、我々人類が彼らにとって滅ぼすべき対象まぞくとならないのか、と」


 クラルヴァイン辺境伯の問いは、俺がかつて抱いた思いでもあった。

 だが、今なら俺はそれにひとつの答えを出すことができる。


「過去に、彼らを導ける人間がいなかったのでしょう。我々の先祖は、この世界の一切合切をあのような少年たちに押し付けた。子どもに高位攻撃魔法の力を与えれば、何かが気に入らないというだけでその力を行使しかねない。そんな当たり前のことからも目を背けて。そしてなによりも、その力を律する役割を果たす人間を、人類は育ててこなかった」


「であれば、なおさら対応が必要ではないのか」


 おそらく、クラルヴァイン辺境伯も俺が『使徒』だとなんとなく気付いている。

 つまり、前の『勇者シンヤ』を殺したように、俺にショウジをいつでも始末できるようにしておけと言いたいのだろう。


 それを踏まえた上で、俺はこの世界で生きていく覚悟とともに言葉を紡ぐ。


「今帝国が擁している『勇者』と、今後現れるであろう『勇者』。彼らにそうさせないために、私がいるのです。それに辺境伯。それは、いずれ人類全体でなさねばならない課題なのですよ」

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