第161話 それぞれの『正しさ』~前編~


 ヴィルヘルミーナ――――いや、ミーナの不意打ち嫁入り騒動からさらに1週間。


 両国首脳間の会談により、今までほぼ鎖国状態にあった『大森林』と帝国の通商条約および不可侵条約の締結がなされることとなる。

 さすがに一連の事件の影響もあって、幾分かは帝国に有利な条件にはなったが、それでも『大森林』国王自らの訪問により、帝国側がやや譲歩する形となった。

 ここで下手に強気に出て、せっかく沈静化した事態が悪化するのを避けたかったのだ。


 尚、このようなヒト族国家と異種族国家との国家間条約の締結は、魔族との大戦が起きた際に『勇者』を独占的に擁していた教会からの“協力要請”しか行われてこなかったため、人類圏では史上初の事例である。

 これがどのような影響を世界に及ぼすかは読み切れない部分もあるが、少なくとも俺が予想した通り、『大森林』は北方からの帝国の侵攻を気にせずに済み、また帝国は南方からの魔族侵攻に備えた防波堤が一部ながら構築できたことになる。


 余談だが、『大森林』よりも更に西方の山脈地帯には、ドワーフ国家――――アウエンミュラー侯爵領で働くドワーフたちの故郷――――も存在するようだが、こちらは今後の二国間で構成される連絡会での方針決定に委ねられることになるはずだ。


 もっとも、ドワーフとエルフは古来より死ぬほど仲が悪いとされるため、国交を開くのも相当に難しいと思われるが、鉱物資源の確保を考えた場合、そうも言ってはいられなくなる可能性は高い。

 いずれ俺の能力で何らかの形で偵察などをする必要もあるだろうが、とりあえず現状は静観でいいだろう。


 さて、ここでもう少しばかり、話の範囲を自分の周りにまで狭める。


 結局、ミーナはあの後『大森林』の使節団とともに、一度故郷へと帰還していた。

 さすがに、俺からの色好い返事も得られていない状態で、着の身着のまま押しかけるような真似をするつもりはミーナにもなかったらしく、正式に降嫁するのは俺とベアトリクスの婚姻がなされる冬以降となる。


 随分と気長な話と思わなくもないが、さすがに嫁の序列は守るつもりのようで、ここで王族の強権発動なんぞした日には、横槍も同然の嫁入りとなり、要らぬ反感を買いかねないとわかっているのだろう。

 少なくとも、そこらへんはちゃんと空気を読んでくれるわけだ。

 まぁ、あまりにも先が長いのと早めにヒト族の国での暮らしに慣れるため、実際に住む場所は早々に帝国に移すということだ。

 おそらく、俺に与えられる領地へとみんなと共に連れて行くことになるだろう。


 とりあえず、いきなり居候を始めたりして、うちの女性陣との顔合わせで修羅場BURNになるようなこともなく、準備期間兼冷却期間(主に女性陣の)を設けることができたのは個人的にはとてもありがたかった。


 それでも、いきなりの話にわーわー言ってきた各人のご機嫌取りに、俺が相当な労力を割くことになったのは言うまでもない。




「はぁ……。さすがに叙爵されてから忙し過ぎだっつーの……」


 疲労からのボヤきが口を突いて出る。

 本当に、叙爵されてからの毎日が忙しくて敵わない。


 今日も今日とて、男爵領となる土地を拝領する手続きや、領主としてやることなどの説明を、俺は宰相であるノイラート侯爵に呼び出されてマンツーマンで受けていた。

 それらがつい先ほど終わって、俺は連日の疲労でふらふらしそうになるものの、何とか見苦しくない程度に姿勢を整えて『千年宮』の中を歩いていた。


 さすがに登城するともなれば、それなりの服装に身を包まねばならない。

 叙爵式典などに参列するような貴族のガチガチの礼装ではなかったものの、それなりに窮屈な恰好に身を包んでいたのも、疲労を蓄積するひとつの要因となっていた。


 早く屋敷に戻って休もうと少しだけ歩調を上げて、俺は元来た通路を進んでいく。

 そうして帝宮の奥、つまりこの国の中枢部に用事のある貴族のために設けられた控室まで戻って来ると、そこには見知った――――といっても、一方的に知っているだけで会話などしたことはない顔があった。


「クラルヴァイン辺境伯……」


 俺の言葉に、アルトゥール・フォン・クラルヴァイン辺境伯の鷹のように鋭い鳶色の瞳がこちらを向く。

 この動作だけで、部屋の空気の中に圧力にも似た成分が添加される。他に誰かがいなくて幸いであった。

 左目付近に縦に走る刃物によるであろう傷と、巌のように深く刻まれた――――しかし老齢によるものだけではない皺が、高位貴族の中では異様とすら呼べるほどの覇気にも似た雰囲気を形成していた。


 異様なのはそれだけではない。

 この人物を形容するにあたり、特筆すべきはその肉体にある。

 クラルヴァイン辺境伯の年齢は、ほぼ白髪が過半数に変わりつつある灰色と白の入り混じった頭髪が示すように、50代も半ばにさしかかろうとしているにもかかわらず、そこらの冒険者よりもよほど強靭な肉体をしている。

 おそらく、魔法士としての才能はなくとも、人よりも数段優れた魔力保有量により肉体の老化が抑制されているのだろう。

 貴族の中にも――――というよりも、貴族という特殊な血統を持つがゆえに、稀にこういう武が形となったような人間は生まれてくるのだった。


 しかし、その辺りのちょっと人並外れた部分への自覚は当人にもあるのだろう。辺境伯という侯爵と同等の爵位から見れば、かなり装飾を控えめにした服装に身を包んでいた。


 さて、こうして鉢合わせとなったからには、知らぬ存ぜぬで無視するわけにもいかない。

 挨拶程度は交わしておくべきだろう。


「アウエンミュラー卿のところの小倅こせがれ――――いや、クリストハルト・アウエンミュラー・フォン・ザイドリッツ男爵と呼ぶべきか?」


「どちらでもご随意に」


 気は進まないながらも近付いていくと、早速、陛下により叙爵された俺の新たな名前で呼んでくるクラルヴァイン辺境伯。

 実際、帝国貴族の爵位に叙されることで皇帝陛下の臣下であり同僚――――当然ながら上下関係はあれど――――となったわけなので、この呼び方こそが正しい。


「フン、卿も呼び出されたクチか。それでどうした、声をかけるとは。よもや私を笑いたくなったか?」


 この男の言葉を額面通りにというか、そこに何も含まれていないものとして受け取るわけにはいかない。

 特に、言葉の最後の部分をワザワザ口に出すということは、こちらが勘付いていることに彼もまた気が付いているのだから。


「はて、挨拶代わりにそう言われるのはいささか心外ですな」


「白々しいな。こうして登城する時間などを微妙に調整したのだろう? 『大森林』との会談も終わり、国内の情勢が動き出した今なら私が登城するタイミングもわかるであろうしな」


 依然として圧力こそ放出されているものの、クラルヴァイン辺境伯の目に敵意といったものはこもっていない。

 とりあえず返事に困った俺は、ややわざとらしいものの肩を竦めて見せる。


 すると、クラルヴァイン辺境伯は突然放出していた圧力を緩め、目の前の椅子へと視線を送る。

 あぁ、「座れ」ということか。


 別に反抗する理由もないので、俺は素直に対面の椅子へと静かに腰を下ろす。


 辺境伯の圧力が弱まったのと新たな客人である俺が席についたことで、この控えの間の裏手にある部屋から侍女が出てきて紅茶を置くと、俺たちに向けて恭しく一礼をしてから静かに奥へと引っ込んでいった。


 ……というか、間近に会ってみてわかったことだが、このおっさん

 現代兵器はともかくとして、殴り合いや剣戟などでやり合ったら、今の俺の技量では勝てないかもしれないほどに。

 それくらい、身に秘めた圧力と魔力保有量がハンパじゃないことに気付かされる。

 紅茶で唇を湿らせてはいる最中、知らずのうちに俺の背中にはじんわりと汗が滲んでいた。

 さすがに、この夏の暑さと紅茶のせい……じゃあなさそうだ。


「今回の『大森林』との同盟の件、よもや成功させるとはな。あの状態から盤面をひっくり返すとは思わなんだぞ。さすがに私も戦争以外にありえぬと踏んでいたのだが」


 悪巧みをしていると見せておいて、実際のところは戦争したくてうずうずしていたんじゃなかろうか。

 ベアトリクスの件などを見ても頭は結構回る御仁のようだが、それ以上に鍛え上げた肉体を動かしたくて仕方がないのだろう。


 うーん、もしかして脳筋要素を持ってませんかね、このおじさん。

 たぶんけんを握って転がすよりも、けんを握って振り回している方が本来は性に合っているとかそういうタイプなんだろう。

 そう思うと、少しだけ俺の内心での緊張も緩和される。


「その様子では、所領軍への動員を無駄にさせてしまいましたか」


「まぁな。また我が家の財務担当に小言を言われることになった。だが、それは卿の実家とて同じであろう」


 その口調の割には、大して気にした様子は見受けられない。冗談のつもりなのだろう。


「そうなりますね。不肖の息子で身の至らなさばかりを痛感します」


「よくもぬけぬけと申すわ。アウエンミュラー卿にしていみれば、長兄よりもよほど自慢できる息子であろう」


 俺の返しが気に入ったのだろうか、少しだけオーバーリアクション気味に声を大きくするクラルヴァイン辺境伯。

 しかし、その表情は言葉とは裏腹に笑いの形を浮かべていた。


「そのようなことは。厄介ごとしか持ち込まないので、成人間際だというのに気苦労をかけさせるばかりですよ」


「まぁ、そうであろうな。しかし、子どもというのはそうすることも役目のひとつだ。手のかからないことが幸福とは限らん。我が家もそうであれば少しは――――話が逸れたな」


 辺境伯の家庭事情は知らないが、まぁ、わざわざボヤくということはあまり芳しくはないのだろう。

 名家だなんだと積み上げてきた功績や歴史なども、たったひとりのボンクラが生まれることで1代もあればぶっ潰せるのだから無常なものだ。

 そして、それは歴史が幾度なく証明していることでもある。


「『大森林』の件は、見事にこちらの思惑を外してくれた。卿には敢えて言うまでもないことだとは思うが、私は今まで幾度も謀略と呼ぶべき策を張り巡らせてきた」


 クラルヴァイン辺境伯は淡々と述べる。


 公爵家令嬢ベアトリクスの暗殺未遂、貴族派と教会の結託による『勇者』の帝国内部への浸透工作、果ては『大森林』への侵攻などを言っているのだろう。まぁ、2番目のヤツは、どうも功を焦った人間によって思惑を外されたようではあるが。

 とはいえ、少なくとも上記の動きだけで、俺にはこの男と事を構えるだけの十分な理由があった。


 だが、それはあくまでも過去の話であって、現時点ではそれに匹敵するだけの明確な理由がなかった。

 はなはだ不本意ではあるが、責任のある立場となった以上、個人の感情だけでいたずらに周りを巻き込むような真似をするわけにはいかない。

 それに、この男を排除するのは、あまりにも帝国に与える影響が大きすぎる。それを本人もわかっているから、こうして泰然自若としているのだ。

 まったく、食えない男だ。


「帝国が人類圏での確固たる地位を得るには、領土を拡張するしかない。教会から漏れ聞こえる神託の通り、いずれ魔族との大戦が起きるとしても、今のままでは聖堂教会の圧力を撥ね除けられるだけの力はこの国にはないからだ。いざ大戦となれば、あの連中は平気でヒト族各国を疲弊させる。魔族と戦うためだけではなく、各種族を従属させるためにもな」


 幾度となく繰り返してきたこの世界の歴史を語るクラルヴァイン辺境伯。

 この御仁の言う通り、そうやって教会は『勇者』の召喚により、自らの力を必要以上に消耗させることなく、戦後に疲弊した各国の領主などを抱き込んでいくことで、自分たちの立場を確実な歩みで盤石なものとしてきた。


「今回の『大森林』との同盟も、南方情勢を考えれば決して悪い話ではなかった。だが、かねてより内情を探らせていた中では、あの国にはあまりにも不安定な要素がありすぎた。仮に当初の予定通り、第1次使節団により条約の締結がなされたとしても、『大森林』の反ヒト族勢力の蜂起により戦争の起こる可能性は高いままであったことだろう」


 ――――やはり、独自に探っていたか。


 感情だけで動いているようには思えなかったが、『大森林』への侵攻を匂わせるような発言をするだけの材料を早いうちから持っていたということになる。


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