第160話 胸の熱さが哀し過ぎて~後編~
「しかし、頭が痛くなるな……」
俺の脳内にいくつかの顔がよぎった。
だからといって、さすがにこの状況下で他の女の名前を出すほど俺は無粋でもない。
たしかに、傍から見れば一夫多妻ってヤツだ。ハーレムって言葉を使ったっていい。
しかし、だからと言って、それが喜ばしいことだとは限らない。
この世界の貴族として3人は珍しい数じゃないんだろうが、あいにく俺は素直に喜べるほど脳天気じゃないし、そもそもそんなに器用じゃない。
それより、現実問題として婚姻を控えているベアトリクスや、その後に名乗りを上げる気満々のティア、そして肉親ではあるが彼女たちによく懐いているイゾルデのことを考えると気が重くなる。
どいつもこいつも癖のある人間ばかりだ。
特にベアトリクスあたりは、普段こそ外見にそぐわぬ大人しさではあるが、時としてその内に秘めた感情を表に出してくることがある。
また、以前のようにヘソを曲げられて、宥めすかさねばならないと考えると、どうにも気が滅入ってくるのだ。
まぁ、そこもかわいいといえばかわいいんだけどさ。
「クリス様のご迷惑となるのは承知の上です。ですが――――」
「いや、待て。べつに迷惑と言うつもりは――――」
ヴィルヘルミーナの言葉を遮るように発した俺の言葉は、最後までは続かなかった。
いや、続けられなかった。
見てしまったからだ。ヴィルヘルミーナの手がほんのわずかではあるが震えているのを――――。
その根底にあるのは、拒絶されることへの不安だろう。
そもそも、一連の事件からまだ半月ほどしか経っていない。
過激派からは命を狙われ、またその戦いの中で異母兄とはいえリクハルドを喪い、あまつさえその最期の時に立ち合っていた。
その瞬間にいなかったシュルヴェステルでさえ、実子を喪ったことで内心に抱えた苦悩は計り知れないものだったのだ。
ましてや間近で見たヴィルヘルミーナが、心に何の傷も負っていないとは到底考えられない。
ところが、そんな傷も真新しいうちに、今度は異種族のところへ嫁がねばならないとなれば、いかに政略結婚が王族としての義務とわかっていても、不安などの入り混じった感情を抑えきれるはずもないのだ。
そんなヴィルヘルミーナの感情の揺らぎを、俺は見なかったことにはできなかった。
事実、俺は既に一度気付かぬフリをしている。
ならば――――。
「……エレオノーラさん、来客にもかかわらず家人が出払っていてお茶もご用意しておりません。申し訳ないですが俺は無作法なものでして、ちょっと手伝っていただけませんか?」
「えっ? ……あぁ、そうですね。かしこまりました。こう見えても心得なら多少はありますので」
そんな時、まるでタイミングを計ったかのように、突然ショウジが口を開いた。
それを受け、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたエレオノーラだったが、すぐになにかを察したのか静かにショウジのあとに続いて部屋から出て行った。
そうか、アレはショウジにも見えていたのだ。
あー、気を遣わせちまったな。……いや、どちらかというと背中を押されたのかもしれない。
となれば、俺もこのまま知らん振りとはいかなくなる。
「……手ェ、震えているぞ」
「……見なかったことにはしてくれないのですね。意地悪なクリス様。あさましいとお思いでしょう? こうして殿方に無理難題を突きつけたばかりか、もっと困らせるような真似をする女を」
ふっと自嘲するように笑うヴィルヘルミーナ。こちらを見つめる蒼の瞳が小さく揺れる。
「そう思えれば、もうちょっと楽に生きられるのかもしれないけどなぁ。まぁ、我ながら難儀な性格をしていると思うよ。……それで? 本当のところはなんなんだ。何の理由もなしに、わざわざ俺を選びはしないだろう?」
核心へと切り込もうとする俺の言葉に、ドレスの布地をぎゅっと握りしめるヴィルヘルミーナ。
そこで彼女の手の震えはようやく止まった。
それを確認するように間を置いてから、ヴィルヘルミーナは俺の顔を正面から見据え、ゆっくりと口を開く。
「肉親が――――子が親を、あるいは親が子を、血を分けた家族同士が殺し合わねばならない、そんな世の中をなくす流れを作るためです。仲間と家族を守るためならば、死さえも厭わず戦うクリス様なら、わかっていただけると思っております」
そうか、と俺は気付く。
ヴィルヘルミーナは今、大きな岐路に立っているのだ。
数百年の時を越えて動き出した世界の流れ――――同時に肉親を奪っていった流れの中へと、自分自身の身さえを投じようとしている。
その原動力は『傷』だ。
肉親を喪ったことで心に負った『傷』。
それが今のヴィルヘルミーナを突き動かしているのだ。
だが――――その『傷』もいつかは塞がる。
どれだけ強い痛みをもたらす傷であっても、時がすべてのものを風化させていくように、彼女の傷もいつしか塞がって、あるいは塞がらなくともその痛みは消えてしまう。
そうなってしまうことをヴィルヘルミーナは恐れているのだ。一過性の感情として消えて去ってしまうことを。
そして、その傷がいつの日にか風化したとしても、自らの歩みを止めてしまわぬよう、自分自身で新たな理由を作ろうとしている。
そこまではわかる。賞賛に値すると言ってもいい。
しかし、なんでその理由に俺を選ぶのかね?
…………なんて直接訊くわけにもいかない。それはさすがにルール違反だ。
だから、想像の範囲で考えると、要はそういうことなのだろう。
どこでそうなったか俺にはとんとわからないが、ヴィルヘルミーナは俺に好意と呼ぶべき感情を抱いている。
そして、それに俺が気付いていると知った上で、こうして直接それを伝えに来ているのだ。自分自身含め断れない状況まで作り上げて。
それを怯懦ととるか。
俺はとらない。実に有効な手段ですらある。
だが、敢えて言おう。
クソ面倒なことしやがって!――――と。
……これだから地位があって中途半端に頭が回るヤツはイヤなんだ。なんでこんな意味があるんだかないんだかわからない腹の探り合いを、夏の昼間っからしなくちゃならないんだよ。
これほどまでに大胆にして迂遠なことをするわりに、その実ひどく感情的で情熱的な動機だ。むしろ女性らしいと言ってもいい。
ままよ! と肚を決める。
「悪いが…………」
ゆっくりと吐き出し始めた俺の言葉に、ヴィルヘルミーナの肩がビクっと小さく震えた。
「俺はとんでもないトラブル体質でな。一緒にいたら、きっと忙しない日々になるぞ。それでもいいんだな?」
「……えっ?」
一瞬、何を言われたかわからないという表情を浮かべているヴィルヘルミーナ。
「まぁ、その、なんだ。……こうなっちまったら、もう一蓮托生ってヤツだ。あまり気の利いた言葉も言えず悪いとは思うが、よろしくたのむよ、ヴィルヘルミーナ」
俺が答えを告げたその瞬間、ヴィルヘルミーナは反射的に両手を口元へ持っていった。
理解したのだ。言葉の意味を。
「ミーナと……」
ヴィルヘルミーナは少しだけ赤くなった目で俺を見る。
それを見て、不覚にも俺は鼓動が一瞬だけ高くなってしまった。
「……うん?」
「ミーナとお呼びください、クリス様」
……ただでさえなんか小っ恥ずかしい感じなのに、さらにハードル上げるのやめてくれないかな?
だが、ここで逃げるわけにもいかない。
泳ぎ出しそうになる目を必死で制御し、小さく息を吐き出してから俺はゆっくりと口を開く。
「……あぁ、わかった。あらためて言おう。これからよろしくたのむ、ミーナ」
「ええ、不束者ではございますが……幾久しくよろしくお願い致します、クリス様」
一切作ったものの含まれていない柔らかな笑みを浮かべた後で、深く頭を下げるヴィルヘルミーナ――――いや、ミーナ。
その雪のような肌にほんの少しだけ差した赤みが、窓から入ってくる夏の日差しの中でさえ輝きを放っているよう見えた。
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