第154話 Marionette in the Mirror~後編~


「そうか……。では、さぞや滑稽なことだったろうな。王家のためと言いながら、結局は自分自身の私怨を晴らすための理由付けにしかしていなかったことを……。家族を信じていなかったのは、むしろ俺だったということか」


 なまじ権力の中枢に近い場所にいる相手を殺そうとしたのだ。

 確実に遂げるためには、身内さえ信用することができなかったのではないか。


 あるいは、自分の肉親を奪ったエルフを野放しにしておいた王家が、いずれ自分にも害をなす潜在的な敵にさえ見えていたのかもしれない。

 また、シュルヴェステルをはじめとしたハイエルフたちも、リクハルドを襲った悲劇に負い目を感じて腫物のように扱っていた可能性さえある。


 そんな彼にとって、家族は大事でこそあっても、『自身が守るべき』存在とはついぞならなかったのだ。


 疑心と復讐に取り憑かれ、また自分を愛してくれる存在に飢えたリクハルドにとって、心を許すことのできた唯一の存在は、半分だけ同じ血が流れていて、幼い頃より長い時間を共にしてきたセリーシアしかいなかったのだろう。


 加えて、ハイエルフとエルフの血に抑えようのない憎悪を抱いてしまったリクハルドに、喪われた母と同じ血の流れるダークエルフへと特殊な感情が芽生えていたとしても、それはなんら不思議なことではない。


 それらの感情は、すべてリクハルドが生きてきた中で起きた出来事で形成されたものだからだ。


 たとえば、こうして目の前に起きている出来事も、所詮は数々のパーツが組み合わさってできた積み木のようなものだ。

 たったひとつのパーツが別のものとなるだけで、次に来るパーツもおのずと変わっていき、最終的には組み上がる積み木の形も大きく異なってくる。


 家族から敵意を向けられるなんて、想像するだけで気がどうにかなりそうになる。

 仮に事実はそうでなかったとしても、なんらかの要素でそう思い込んでしまったとしたら、俺はリクハルドのようにならなかったと言えるだろうか?


 そう考えると、目の前のリクハルドが、自分で自分を動かそうとした挙句に糸の絡んでしまった操り人形のように見えてしまう。

 しかも、その顔には自分のそれが――――。


「……お前は国を出るべきだったんだ、リクハルド。自分自身の目で外の世界を見て、何かを感じてからでも決して遅くはなかったはずだ。止まった時間が動き出そうとした転換点に、なぜそれを望んだお前が真逆の動き方しかできなかったんだ」


 幻影を振り払うように、俺は言葉を紡ぐ。

 たとえそれが意味のない言葉であったとしても。


「それができなかったのは……やはり俺もこの森に囚われた古い時代の遺物でしかなかったということかもしれないな……」


 ようやっと答えを得ることができたと言わんばかりに、少しだけ満足げな顔をしてから、ゆっくりと大きく息を吐き出すリクハルド。

 その顔に、復讐のための妄念に憑りつかれたかつてのくらいい面影はもう存在しなかった。


「……ミーナ、愚かな俺の勝手な願いでしかないが、頼まれてくれないか……。俺は『大森林』の闇の一部と共にこのまま終わる……。父上たちに、伝えてくれ……。俺とイェルドという求心力を失った今の過激派なら、潰すのもそう難しいことではないと……」


「兄様……わたしは……」


 涙を流し、言葉がまとまらないのか、まともに返事ができないでいるヴィルヘルミーナ。


「バカ野郎、妹になんか頼むんじゃねぇよ。それは……お前がやるべきだったんだ……」


「あぁ、そうだな……。なぁ、クリストハルト……。重ね重ねで申し訳ないが、最後に頼まれてくれ。この墳墓を、埋めてほしい……。宝珠を失ったとはいえ、このようなオリハルコンの塊は、今のこの国には余計な野心を煽るだけの足枷となりかねない。お前のべる『鋼鉄の竜』を使えば、それもできるだろう……?」


 リクハルドの言葉に俺は無言で頷いた。


 すでに生き延びるつもりが毛頭ないリクハルドを、無理にでも生かし続ける理由は俺にはない。

 自分がこの世界でやらねばならないと思ったことを終わらせてしまった男に、それを終わらせる切っ掛けを作った男ができることは、ただこのまま終わらせてやるだけだ。


「この国の……止まってしまった時を動かすのであれば…………このような場所は不要だ……」


 二の腕に生じる暖かな感触。

 視線を向けると、瞳に溢れそうになる涙を溜めながら俺の袖を掴み、静かに頷くヴィルヘルミーナがいた。

 彼女は、リクハルドを引き留めるための言葉が出そうになる口を小さく噛んで、懸命に感情の暴発を堪えている。

 もうどうしようもないことだと理性ではとうの昔にわかっているのに、それをよしとしない感情が暴れ出さないよう必死で抑えているのだ。


 少しの間だけ逡巡し、俺は小さく息を吐き出してから口を開く。


「……わかった。その役目、俺が引き受けよう」









                  ◆◆◆










「良かったのか、セリーシア……?」


「と、申されますのは?」


「お前まで……俺に、付き合うことなんて、なかったん、だぞ……」


 再び静謐さを取り戻した墳墓の広間。

 祭壇の近くにある魔石の仄かな灯りに照らし出された場所で、セリーシアの腿に頭を預けながら、リクハルドは目を瞑ったまま静かに言葉を漏らした。


 もう目を開けているのさえ辛くなっているのだ。

 同時に、リクハルドの呼吸が段々と弱くなるばかりか、身体までも冷たくなり始めていることにセリーシアは気付いた。

 そして、クリスのかけた鎮痛魔法により痛みこそ抑えられているものの、もうあまり長くはないことにも。


「言ったでしょう。貴方様と一緒でいられるのならば、地獄の果てまでもお供すると」


「……バカな、女だ……」


 セリーシアの返事に溜息交じりの悪態をつくリクハルドだが、そこには言葉通りの感情などは込められていなかった。


「はい。リクハルド様を選んだ女ですから」


 即答だった。

 それは、普段あまり感情を表に出すことのないセリーシア自身でも、少しはよくできたんじゃないかと思う笑み。

 リクハルドが目を開けていたら、浮かべることができなかったかもしれないものだ。

 でも、同時に目の前の人にこそ見てほしかったとも思えるもの。


 やっとふたりで静かに過ごせる時間を得ることができたのに、両目から勝手に溢れ出た涙がこぼれ落ち、真下にあるリクハルドの顔を濡らしていた。


「暖かいな……」


 自身へと降り注ぐセリーシアの涙を受け止めながら、そっと呟くリクハルド。


「なぁ……セリーシア。俺は、あのクリストハルトというヒト族のことを、それほど嫌いではなかったみたいだ……」


 ふと、リクハルドは思う。

 もしこのような形ではない別の出会い方をしていたならば、自分はあの男とどういう関係になれたであろうか――――と。


「目の間に、一緒に死のうという物好きがいるのに、他の人間の――――ましてや殿方の話をするなんて。本当にリクハルド様は最期まで優しくないお方です」


「ははは、許してくれ……。もし……あの『使徒』のように……『次』の人生があるのなら……。セリーシア、今度は……いや、今度も……俺と共に歩んでくれるか……?」


 突然放たれたリクハルドからの言葉に驚き、涙で霞んでいた視界を腕で拭うと、そこには最後の力を使って目を開け、セリーシアを正面から見つめるの瞳があった。


「はい……。きっと……。そして、どこまでも――――」


 今度こそ、ちゃんと笑うことができた。

 それも、愛しい人の前で。


 そのセリーシアの笑みにつられるように、リクハルドもまた小さく笑みを浮かべる。



 『大森林』の空に、一筋の風が吹いた。




 そして、それからほどなくして、生み出された業火の如き爆炎と爆風が墳墓内のすべてを飲み込んだ。

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