第153話 Marionette in the Mirror~前編~


 頭部の喪失と同時に、エラ・シェオルの砲身内部に収束されつつあった魔力も制御を失ったのか、さながら真夏の夜空に蛍が舞っていくかのように宙へと浮かんでそのまま霧散。

 それにより、レオパルド2A7+のターボチャージド・ディーゼルエンジンの駆動音こそ、依然としてやかましいほどに鳴り響いているものの、それでも尚、静寂が訪れたと錯覚してしまうような空気が墳墓内を支配する。


 レオパルド2の120㎜滑空砲から迸った爆風と、周囲を暴れ回った衝撃波を防いだおかげで、もはやボロボロになりかけていた魔法障壁を、俺は張りなおすべく一瞬だけ解除。

 すると、まだ少しだけ大気中に残っていたのか――――あるいは、それさえも少しだけ緊張が緩みかけた俺の錯覚なのだろうか、爆風の余韻が一瞬だけ俺の頬を撫でていったような気がした。


 ……この場で考え得る瞬間最高火力は叩き込んだ。

 これでヤツは――――いや、この先を考えるとなんか良からぬフラグ立ちそうで躊躇しちまうが、それでもなんらかのダメージは与えられたはずだ。


「……黒騎士シュヴァルツリッター、次弾を装填しろ。妙な動きがあったら即座に撃て」


『Roger That』


 そんな何とも言い現わせぬ緊張感からか、指でつまんだインカムへと向かって次弾装填を指示する俺の頬を、ゆっくりと汗が一筋、まだ油断をするなとばかりに伝っていく。

 同時に、脳内で分泌されていたアドレナリンなどの効果が切れたのか、全身に残された傷が熱を持ち、さらに悪寒と激痛を俺に容赦なく与えてくる。


「ぐっ……」


「クリスさん……!」


 痛みに呻き、思わず膝をつきそうになる俺を見とがめ、駆け寄ってくるショウジ。

 だが、それを小さく手で制する。


「まだだ……! まだ気を抜くな……!」


 そうして、おそらくその場にいた誰にとっても、異様なまでに長く感じられたであろう数秒が流れる。

 心臓の鼓動が動脈を駆け上がって脳に届く。あぁ、もう少し静かにしてくれ。


 その長い沈黙を最初に破ったのは、他ならぬエラ・シェオルであった。

 なんの前触れもなく、さながら糸の切れた操り人形マリオネットのように、エラ・シェオルの体躯がゆっくりと膝をつくと、そのまま背中から地面に向かって倒れ込んだのだ。


 ……終わったか。これで、やっと……。


 脱出装置的なものが働いたのか、女神像の胎にあたる部分から魔法障壁に包まれた状態で、リクハルドがオリハルコンの内部から外に排出される。

 それは、なぜか母親の胎から子どもが生まれる瞬間のようにも感じられた。


「シュヴァルツリッター、ご苦労だった。機会があればまた頼む」


『了解、ドラグナー。これより帰投するRTB。グッドラック』


 何やら意味深なセリフを残して、レギオンから呼び出されたレオパルド2A7+が魔力へと還るのを見届けつつ、俺はエラ・シェオルの残骸へと目を向ける。


 女神像の管制を司っていた宝珠が、担い手の安全のために最後の魔力を使ったのだろう。

 魔法障壁が切れると同時に、外気へと晒されたリクハルドの姿は血にまみれていた。


「兄様……」


 俺の隣に立っていたヴィルヘルミーナが息を呑む。


 だが、それも無理もない。


 いくらエラ・シェオル自体が純オリハルコン製とはいえ、その機動性を保つために本体を構成する金属の何割かを流体化させていれば、本来の強靭な防御能力は発揮できなくなる。

 また、それを補うために魔法障壁が働いていたとしても、主力戦車の装弾筒付翼安定徹甲弾の直撃によって、内部にまで伝導した衝撃波をまともに喰らうことになったのだ。

 むしろ、主力戦車を相手にして外傷がこれだけで済んでいるのは、ある種奇跡と言ってもいい。

 本来であれば、人間としての原形を留めているかどうかも怪しいのだから。


 しかし、ほんの少しでもタイミングを違えていれば、同じような姿を晒していたのは俺の方だったに違いない。


「よぅ……。やっと、出てきたな……色男ロメオ


 ショウジに肩を借り、俺は無事な方の右手にホルスターから抜いたHK45Tを持って、倒れているリクハルドへと近付いていく。

 さすがに、俺も治癒魔法をかけたものの、それは失った血液を完全に取り戻したことにはならず、身体に力が入らない。

 それ以上に、戦闘の終了によって緊張が解けたことで、先ほど感じていた激痛がより激しいものとなっていた。

 少しでも気を抜けば、途端に意識を持っていかれそうになる。


「俺の負けか……。よもや――――ごほっ!!」


「……あぁ、お前の負けだ」


 僅差だけどな……と小さく付け加える俺の方へ、血に染まりつつも尚秀麗と思わせるハイエルフの顔を向けて、激しく咳込み血を吐き出すリクハルド。

 完全に内臓――――特に肝臓あたりをひどくやられているのだろう。ひどく顔色が悪い。

 口から吐き出した血の色も鮮血の赤ではなく黒っぽい色をしており、これでは応急処置を施さねばあと15分と持つまい。


「リクハルド様!」


 いつの間に意識を取り戻していたのか、セリーシアと呼ばれていた女ダークエルフが駆け寄ってくる。

 戦車砲の衝撃波が墳墓内を荒れ狂ったもかかわらず、よく無事でいられたものだ。

 その姿を見て、ショウジが反射的に『神剣』へと手を伸ばしかけたが、セリーシアが手に何も武器を持っていたなかったため、俺がやんわりとそれを押し止める。

 この期に及んで、彼女ひとりが俺たちと戦おうとしたところで、もはやどうにもなるまい。


「……治癒魔法は要るか?」


「……いや……不要だ……」


 セリーシアにそっと上体を抱えられた中で、荒い呼吸を繰り返しながらも、俺の問いかけに目を瞑って小さく首を振るリクハルド。

 それを見たヴィルヘルミーナとセリーシアが何かを言おうとしたが、リクハルドの死が迫った者の顔にしてはひどく穏やかなそれを見て、思い止まったのがわかった。


「生死をかけた戦いで負けた者が……相手に情けをかけられ、のうのうと生きながらえるつもりはない……」


 わかるだろう?という目で俺を見るリクハルド。

 その限りなく紫に近い蒼の瞳が、俺に何かを告げていた。


「お前、最初から――――」


 そこで、俺は得心に至る。

 リクハルドは最初から死ぬつもりだったのだ、と。


 ……いや、それもまた語弊がある。


 このクーデターが上手くいったとしても、帝国との戦争における『大森林』軍の勝率はそう高くないと踏んでいたはずだ。

 よしんばそれに勝利したとして、その後に起きるであろう聖堂教会を中心としたヒト族連合軍との戦いの中では、あのエラ・シェオルを使ったとしても大軍を相手に生き残れる保証がないことくらい、とうの昔に気付いていたことだろう。


 つまり、リクハルドは


 許可を取ることはせずに鎮痛魔法を発動させると、リクハルドの荒い呼吸が少しだけ落ち着く。

 これで、会話だけならば事切れる直前まで可能なはずだ。


「……そうだ。俺には止めることができなかった……。俺は……この国が憎い……。母を奪ったこの国が、な。だが……同時に血を分けた家族が、いる国でもある。それでも、俺には止めることができなかった……」


 和らいだ痛みにより喋り方が少しだけ滑らかになる中、自嘲するように小さく笑みを浮かべるリクハルド。


「なぁ、クリストハルト……。お前はどうして戦えた? 元々この世界の人間ではない『使徒』が、なぜこの歪んだ世界のために戦える?」


 なじるわけでもなく、それはリクハルド本心からの問いであった。


「……戦いの前、なぜ生き足掻くのかと訊いたな」


「あぁ……」


「それは、。俺は、別に望んでこの世界に転生してきたわけじゃない。だが、そんな俺に対して、それを承知の上で愛情を向けてくれる家族がいた。だから、俺はどんなに見苦しくなろうが、どんな誹りを受けようが、彼らを守るために生き足掻こうと決めたんだ」


 だが、そう自分自身では言いながらも、その時、俺の脳裏にあるひとつの可能性がよぎっていた。


 では、もしオスヴィンを殺した時に、俺が家族たちから異端者あるいは『バケモノ』として扱われていたら、今頃俺はどうなっていたであろうか? と――――。


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