第148話 Howling of Sword~後編~
「存外にいい反応だな。エルフ相手と同じような速度ではさすがに当たらないか」
一方で、高位魔族に手傷を負わせるという、ヒト族では英雄と呼ばれる者以外にはまず成し遂げられない偉業を達しながらも、淡々とした口ぶりで語るサダマサの手には、いつの間に抜き放たれたのか細身の曲刀が握られていた。
まさか、あの一瞬のうちに、鞘から抜き払い自分めがけて斬り上げたというのか……?
魔族である自分の動体視力で追えなかった驚くべき事実に、ラディスラフの額にわずかながら汗が滲む。
いや、余裕を演じているだけできっと渾身の一撃に違いない。こちらの隙を狙っているだけだ。
ならば、お得意の間合いに入らなければいいだけのこと。
瞬時に自己再生を始め、塞がっていく傷口の熱を感じながら、ラディスラフは反撃のために魔力を練り上げる。
無詠唱による魔法の発動――――人類でもほんの一握り、それこそ当代きってと形容されるような一部の魔法士のみが可能とする技術である。
そして、そこに魔族の持つ膨大な魔力を注ぎ込み、一撃必殺の魔法へと昇華するのだ。
「燃え尽きろ――――!」
発生した業火のごとき強大な火属性の魔法が、サダマサに襲い掛かる。
魔導兵器であるアイアンゴーレムから放たれたそれよりは小さいものの、そこに篭められた魔力は比べものにならないほど強大なものだった。
ラディスラフの魔力操作と共に、高濃度に圧縮された灼熱の火球が、サダマサに向けて高速で飛翔。
押し寄せる火球を前に、サダマサは対抗するべく魔力を練る気配もない。
ヒト族にしては懸命な判断だ。ラディスラフはほくそ笑む。
足搔いたところで、並みの魔法障壁でさえ貫通できるこの魔法を喰らえば、なす術もなく消し炭にしかなるしかない。
そんな表情の動きで、乾いていた頬の血糊がパリパリと音を立てて宙に舞う。
普段であれば、苛立つであろう美しくもなんともない光景。
だが、今訪れようとしているささやかな勝利の前には、もはやどうでも良いことでさえあった。
着弾する火球が一瞬だけ収束し、瞬間的な大爆発を引き起こす――――。
訪れる地獄の業火が荒れ狂う光景。
しかしながら、それが現実になることはなかった。
「……は?」
ラディスラフの口から間抜けな声が漏れ出る。あまりにも想定外――――いや、あり得ない事態が起きていた。
あるのは刀を振り下ろした状態で静止しているサダマサの姿のみ。
それ以外には、何も存在していない。
そう、先ほどまで確かにあったはずの紅蓮の炎さえも、今や欠片も存在してはいなかった。
バカな、あり得ない……。
否定するために叫び出したい感情を懸命に押し殺しつつ、かろうじて冷静さを失わなかったラディスラフの脳が導き出した答えは単純明快なものだった。
着弾寸前に収束を始めた火球を、サダマサの振り下ろした刀の一撃が両断。
そればかりか、火球の中心にある制御部分をピンポイントで破壊して魔素の塵に戻したというものだった。
相反する魔力をぶつけることでの相殺ではない。
だからこそ信じがたいのだ。
たしかに、刀自体は魔力でコーティングしていたかもしれない。鋼すら融解させられる温度の火球を斬って刀身が無事でいられるはずもないのだ。
しかし、それをやってのけるために篭められた魔力量は、少なくとも自分があの魔法に篭めたそれに匹敵することになる。
そんな魔力をヒト族が保有しているなど、ラディスラフには考えられないことであった。
「き……! 貴様、何者だ! 高位魔族の放った極大魔法を、吸収でも無効化でもなく斬り捨てるだと!!」
「ずいぶんと人聞きが悪いな。ただの人間だよ。少しばかり剣が好きなだけのな」
そうおどけるように言って、再び刀を構えるサダマサ。
まるでラディスラフに見せつけるかのように、ゆっくりと八双の構えをとる。
「嘘をつくな! ヒト族が、ヒト族ごときがそんな膨大な魔力を擁しているわけがあるまい! それは……もはや魔族の領域だ!」
本当は何かの間違いだと叫びたかった。
だが、残酷にも周囲の生物の持つ魔力を測定するための術式は正常に作動している。
自分自身の魔力量をコントロールするために使用しているそれは、いつもと同じようにラディスラフの魔力管制を正確に行ってくれていた。
「そりゃ、俺は懐の深い人間だからな。もっと平和に生きなきゃダメだぜ。知らないか? 『汝の隣人を愛せよ、ラブアンドピース』ってな」
もはやこれ以上の問答に付き合う気もないのか、今度はサダマサがラディスラフとの間合いを一気に詰める。
滑るように移動するサダマサの動きは、ラディスラフの目をもってしても正確には追い切れない速度であった。
迎撃のために繰り出す魔法も、全て難なく回避されるか、斬り捨てられてしまっている。
攻撃を諦めて回避行動に移るべく、ラディスラフは反射的に魔力障壁を展開するが、この男相手にその程度では到底安心などできない。
自爆覚悟で、爆裂魔法を発動させるべきか――――?
一瞬、いちかばちかでそう考えたラディスラフだったが、確実なダメージを狙うのであれば超至近距離で放たねばならない。
しかし、こんな場所で自分が死にかねないようなことは……と、なまじ危機的な状況に陥ったことがないため、このような事態にあってもラディスラフはリスクを負うことを躊躇ってしまった。
あるいは、それすらも魔族がヒト族と比べて遥かに長い寿命を持ちながら、結局は他の生物と同様に死の恐怖からは逃れられぬ定めを持つからであろうか。
それは、剣鬼を相手とするには絶望的なまでに致命的な隙となる。
「お前、今迷ったな?」
間近で発せられるサダマサの声に、己の失策を悟ったラディスラフの顔から瞬時に血の気が引いていく。
ほんの一刹那、判断を迷っているうちに、サダマサの剣が届く間合いまで近付かせることを許してしまっていた。
「しゃ、灼熱――――」
だが、魔法を発動させるには遅すぎた。現に回避行動をとってしまっている。
そこへ疾る一筋の剣閃。
一瞬の遅れにより、ラディスラフは左足を膝の上の部分で斬り飛ばされていた。
「ぐおっ!!」
飛び退くつもりが足を切断されたことでバランスを崩し、受け身も取れずに地面へと倒れ込むラディスラフ。
その一方で、心臓の鼓動に合わせて切断面から噴き出ていた大量の血液もすぐに止まり、早くも傷口が蠢動を開始し再生を始めている。
さすがは魔族の生命力だな、とサダマサは久し振りに見る魔族の生命力に内心で感心していた。
だが、それでもすぐに元通り……というわけにはいかない。そんなことを可能とするのは、『魔王』と呼ばれる魔族の支配階級のみだ。
「戦いを愉しんでいられるほどヒマじゃない……と言いたいところだが、あっちは信頼できるヤツに任せているからな。さぁ、聞かせてもらおうか。なんならゆっくり喋ってくれても構わんよ」
血払いをして、ラディスラフに歩み寄りながら悠然と刀を構えるサダマサ。
「……ぐっ、私を倒したところで、今さらこの流れは止まらんぞ。『勇者』の喪失のみならず帝国上級貴族の子弟までも死んだとなれば、いかに帝国とて黙ってはいられまい!」
「『勇者』? あいにくと、そんなものは別に切り札でもなんでもない。それとな、俺たちの大将を勝手に殺してくれるなよ。あいつは窮地だって切り抜ける男だぞ」
「くく、くくく。はぁーはっはっは! 強がっても無駄だ。いいか、あの『死の女神』は……そんな生易しいものじゃない。ハイエルフしか操れない制約がなければ、奪取を考えたほどに厄介なシロモノだ。お前のような切り札がこちら側に来たのは完全な悪手だ……! 今頃は『勇者』ともども皆ご――――ぐぎゅぃ!!」
笑い声を上げるラディスラフの顔面を、
足裏に伝わってきた鈍い感触から、ラディスラフの鼻骨が衝撃で砕けたのがわかった。
苦鳴を上げて鼻血を撒き散らしながら激痛にのたうち回るラディスラフを無視して、サダマサはその潰れかけた鼻先に刀の切っ先を突きつける。
「……あまり人間を舐めるなよ? アイツは俺が見込んだ男だ。この程度の状況くらい簡単に引っくり返してのける。それに――――あいにくだが、戦争の方向性を決めるネタは確保できた。いや、逃げ出されるのが一番厄介だったからな」
「まひゃか――――」
潰れた鼻を手で押さえながらも、そこに至ってサダマサの真の目的を理解したラディスラフは、目を剥いて愕然とした表情を浮かべる。
たかがヒト族ひとり、どうにでもなる――――そんな自らの慢心が、ここにきて長年の計画を水泡に帰さんとしていると気が付いたからだ。
「メッセンジャーは出せないが、いずれは直接会って伝えてやる。『魔王』が小賢しい真似をするなとな」
絶望の表情を浮かべたラディスラフに対してサダマサは小さく笑うと、そのまま大上段に振り上げられた刀をラディスラフへと振り下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます