第146話 さくりさくりと死んでいく~後編~


 この世界から旅立った者たちの眠りを妨げるのみならず、その国ごと時代の潮流に飲み込もうとする男が、祭壇に腰を下ろし、いずれ鳴り響き始めるであろう戦場音楽を奏でるため、その時を待つ指揮者のごとく俺たちを出迎えていた。

 リクハルドの背後に静かに佇み、ハルバードのような長柄の武器を携えたダークエルフの女。彼女もまた、リクハルドに向けて女神像と同じく慈愛の目を向けている。


「兄様……」


 もはや語りかける言葉さえ持たないのか、ヴィルヘルミーナは小さく言葉を漏らすだけだ。


 その視線を真正面から受け止めるは、この叛逆を企てたハイエルフ第三王子リクハルド。

 『大森林』を治めるハイエルフの血に、ほんのわずかでも自身の存在証明を残そうとするかのように、ダークエルフの象徴とも言える銀色の髪が、いずこかの隙間から流れ込む風を受けて小さく棚引く。


 その風に乗って漂う仄かな血の匂いに俺は視線を動かす。


 ……一足先に復讐は遂げたか。


「イェルド大臣……」


 祭壇に通じる階段の下で、壮年のエルフが驚愕と苦悶が混ざった表情のまま、腹部に剣を突き刺したまま事切れていた。

 ヴィルヘルミーナの漏らす言葉が正しければ、イェルドと呼ばれた死体が、このクーデターに加担したエルフの首魁となるのであろう。


「その様子ではエリアスたちは退けられたようだな」


 俺たちがイェルドの死体に視線を向けていることなど、歯牙にもかけぬように振る舞うリクハルド。

 既に目的を遂げた今となっては、何の感慨も引き起こさない存在なのだろう。


「連中は先に旅立っていったよ。そこで死んでいるヤツと同様に、お前が語った甘い理想を妄信したままな」


 こうなるべく用意されたようにも感じる空気の中、俺はリクハルドへと近付いていきながら口を開く。


「心外だな。長年叶えたくて仕方のなかった夢が叶う場所を提供したのだ。いい気分にはさせてやれたはずだが」


 そう嘯くリクハルド。


「夢なんてのはな、寝ている時だけに見るもんだぞ。もしかしたら寝ぼけていたのかもしれないけどな」


「くははは、面白い男だ。……『使徒』を相手にするには、ヤツらでは到底及ばなかったということか。虎の子の『勇者』を表に出さないようにしている真意はわからぬが、ヒトの身でここまで到達できるとは思わなかったぞ」


 既に自身を守ってくれる戦力などないにも等しいながら、リクハルドはその秀麗な貌に余裕すら感じる笑みを浮かべている。

 まるで、忍び寄る破滅すら恐れてなどいないかのように。


 既に死人か――――。


「お前も『勇者』を過大評価しているクチか?」


「過大評価?」


「ああ。世界は『勇者』に頼って回すべきものじゃない。生きている者がいて、死んでいく者がいる。世の中なんてものは、彼らの足搔きと叫びで構成されるものだ。そこに外部の因子など本来は必要ない」


「そうだ。なぜこれほどの種族が人類圏に存在するにもかかわらず、ヒト族が擁する『勇者』などに頼らねばならぬのか。それこそが、この世界の抱える歪みだ。しかも、それを知らぬうちに皆が受け入れてさえいる」


 俺の言葉に同調するように、リクハルドは言葉を発する。


「当たり前のように起きる魔族との戦。それはいい。ヤツらはこの大陸に攻め込まんと常に隙を窺っているのだからな。だが、その戦をヒト族が主体となることをよしとしてきた結果が今の有り様だ。未だに人類は、数千年もかけながら同じこと延々とを繰り返している」


「それで? その歪みとやらを森の民が魔導兵器で糾そうと――――世界に問いかけるとでも言うのか? それが新たな争いの種を人類圏にもたらすだけと知っていながら」


「そのようなことは百も承知の上だ。だが、今の『大森林』にはそれすら叶わぬだろう。自ら閉ざした環境で生きていながら、ダークエルフを迫害することでしか自尊心を保てぬ種族のどこに高貴さがある? そして、それに目を瞑る王族もまた内患を育てているだけだ。エルフ有力氏族は自分たちの保身しか考えておらぬ。いかに『大森林』がこの先長く続くことができたとしても、このままではただの延命処置にしか過ぎないのだ。いつしか薄れていくハイエルフの血が、あのエルフどもを必ずや今以上に増長させる! 我が母を暗殺したようにな! であれば! 今この時に! 種族の存亡をかけてでも天にでも問うしかあるまいっ!!」


 抑えきれなくなった感情の波が、リクハルドの口を通して溢れ出る。


「なぜそうもお前が動く必要がある。復讐にしては手が込み過ぎている。時代の流れを勘案したとしても、性急すぎることくらいわかるだろうが」


。もしここで俺が膝を折れば、情の人である父上は『大森林』が滅びる危険性を承知の上で俺を許し、あるいはダークエルフにも幾ばくかの地位を与えていただけるかもしれん」


 まぁ、最強硬派の大臣も死んでしまったことだしな。


 過激派が目立たないように使っていたことが却って功を奏したか、クーデターに加担したダークエルフについては公にはされていないし、シュルヴェステル王も問題にはしていなかった。


 だが、わからない。

 もしもリクハルドがダークエルフの地位を高めたいのであれば、彼自身が王族として動けば良いだけだ。

 反対派から暗殺される危険性はあるかもしれないが、それで事は足りるだろう。


「であればなぜ!! わたしたちは兄様と――――」


 俺の思考をヴィルヘルミーナの叫びが掻き消す。


 このままでは殺し合わねばならない。それも血を分けた肉親同士が。

 既に分水嶺を越え、言葉で止めることは無理とわかっていながら、叫ばずにはいられないヴィルヘルミーナ。


「……ミーナ、時代は我らが思う遥か先を求めている。『大森林』が真に生き延びることを考えるのであれば、保守派エルフたちに見せる情こそ真っ先に捨て去らねばならん。それを父上は、旧弊にしがみ付きながら世情を一顧だにせぬエルフに対し、過分としかいいようのない情を見せる。まつりごとに身を置く人間に、そんな惰弱さなどあってはならぬのだ。さぁ、問答は終わりだ。あとは戦いの行方が決めればいい」


 リクハルドの握る、薄闇の中でさえ燦然と輝くパールブルーの宝玉が、その声に応じるようにひと際大きな光を放つ。


 させるか――――!


 即座にHK417をリクハルドに向けて発砲。


 だが、突如として発生した宝玉から展開した魔力障壁が、音速を超えて飛翔した7.62㎜弾を受け止める。


 1㎞先の人間さえ殺傷力を持つ弾丸が止められるという、出来の悪い冗談のような光景の中、依然として発光を続ける宝玉の蒼い光を受け、背後の女神像がゆっくりと動き出す。


「まさか、コイツが――――」


 神話に謳われる美貌を歪ませながら、徐々に形態を変え、そのままゆっくりとリクハルドの身体を包み込むように覆い、その内部へと取り込んでいく。


 コイツがゴーレムだと? まさか奥の手はゴーレムなどではなく、初めからこの女神像ただひとつだったということか!


「エラ・シェオル。神話の時代に謳われた死者の国の女神だ。『使徒』クリストハルト、何故そうもこの歪んだ世界で敢えて生き足搔こうとする。滅びこそが新たなるモノを生み出し、死に逝く者にこそ美しさは宿る。ならば、貴様も歴史の動く瞬間の中、死の女神のかいなに抱かれ息絶えるがいい」


 再び元の女神の姿に戻った像の中から――――しかし明瞭に響くリクハルドの声が、『大森林』における最後の戦いが始まったことを告げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る