第141話 滅び往く者たち


 黒髪の偉丈夫。

 その幻影から放たれた雷光の如く鋭い斬撃が、自分自身に降り注いだと思われた瞬間、映し出されていた幻影は一瞬にして消え去る。

 ハイエルフの遺産――――交信用発像機テレトーネと呼ばれる水晶球を叩き斬ったのだ。


 なんと凄まじく鋭い斬撃だろうか――――。


 そう内心で呟くリクハルドの背中に、じわりと冷や汗が生じていた。


 あの斬撃に抗することができるだけの剣の心得は自分にはない。

 いや、それ以前に幻影がここまでの錯覚を創り出すことに驚きを禁じ得なかった。いったい、どれほどの研鑽を積めばああもなれるというのか。


「くふ。ふははは。――――面白い。あの男、俺を殺すと言ったか。この茶番劇も


 クリスたちとの会話を終えたリクハルドの口元には、彼らしくない笑みが浮かんでいた。


 普段は、表情をまるで崩さぬことから、『鉄仮面』とすら揶揄されるリクハルドからすれば異様ですらある。

 余人から見ても不思議と感じるであろうが、当の本人からすればさもありなん。

 事実、リクハルドはここ数十年で、もっとも感情が昂るのをその身で感じていた。


 自分に向けて面と向かって殺すと言った人間など、未だかつて存在しただろうか。

 弄された言葉は多々あれど、すべては陰に潜むがごとく意味をなさないものばかり。

 森の民を名乗る者が笑わせてくれる。隠れることばかりに長ける――――そんな連中ばかりだった。


 だが、あの男は違う。

 たしかな『死』の匂いを漂わせ、その感情を余すことなく叩き付けるかのように青銅のゴーレムを倒してのけた。


 そうか。ヤツが、俺の死神か――――。


「やれやれ。人間というのは、まったくもって度し難い。同じ種族間ですら殺し合うのに、時としてそれに相反するような行動もとる。そのくせ、他人を殺しながら自分の死に場所を求めるのだから、まったくもって矛盾してはいないか?」


 降って湧いた予想外の事態を受け、愉悦に口唇を歪ませているリクハルドのもとに、話が終わるのを待っていたのか、暗がりから現れた男と女が近付いて来る。


 女の方は、見てわかる通り銀色の髪に褐色の肌を持つダークエルフ。

 彼女は身なりが整えられていて、『大森林』で見られるダークエルフの大勢よりも幾分か肉付きが良い。

 端からも鍛えられていることがひと目でわかる肉体も、それは決して度重なる過酷な戦いで酷使されたものではなく、敢えて言うのであればエルフの騎士たちにも似た余裕に近いものが感じられる。


 しかし、一方の男には、『大森林』に住まう者とは大きく違う特徴があった。

 浅黒い肌に長い耳、プラチナブロンドの髪とエルフ各種族の特徴を併せ持つ――――どちらかと言えばダークエルフに近い容貌をしているが、その瞳だけが異様なまでに紅い。

 ともすれば針金を思わせる極めて細身の身体を持ちながら、それを補って余りあるアンバランスな鬼気。


「……ラディスラフか」


 それまでの顔を打ち消し、再び岩に刻まれたような鉄面皮へと戻るリクハルド。

 だが、その表情にはわずかな変化が生まれていた。


「それとも面白いものが見れたと言ったほうが喜ぶのか?」


「好きにしろ。個体主義の『魔族』に理解してもらおうなどとは、端から思ってはおらぬ」


 彼を知る者からしても、注意深く見て初めてわかるかどうかの些細な変化。

 しかし、リクハルドは、それこそ数年来の友人に出会ったかのように、その整った顔に苦笑交じりの表情を浮かべていた。


「まぁ、我にはわからぬよ。肉親に対する情が、種族の頂点に立たんとする欲求に勝るなど、理解しようとも思えぬ。我らの常識では到底計り得ぬのだからな。それに、切り札を倒されて喜ぶ者が何処にいるというのだ」


 リクハルドから投げかけられる揶揄に呼応するように、飄々と放たれるラディスラフと呼ばれた魔族の男の言葉。


 それを受けて、ゆっくりと視界の隅を横断するようにリクハルドの後ろへと回ったダークエルフの女から、殺気にも似た気配がラディスラフへと放たれる。


「そう言うな。たしかに、貴様がかけた手間を考えれば笑いごとではなかろう。だが、人間とはかくも愚かなのだ。それこそ、貴様ら魔族が言うようにな。それに、あの程度の玩具も倒せぬようでは障害とはなり足り得まい」


 ラディスラフと呼ばれた魔族の言葉を受けて、リクハルドは背後の壁に半分ほど埋まった鈍い輝きを放つ像を見ながら苦笑の色を一層深める。

 それは一方で、殺気を放っているダークエルフの女を窘めるようでもあった。


「愚かと自覚していながらそれでも止められぬか。非情になりきれなかった時点で、こうなることくらいわかっていただろうに」


 今ならまだ―――と続けようとするラディスラフの言葉を、リクハルドはやんわりと手を掲げて遮る。


「わかっていても止められぬこととてある。だが、これがきっと俺自身の限界なのだ。……さぁ、行け。もうここに用はないのだろう? 魔道兵器群の復活に協力してくれたことは今でも深く感謝している。後は……精々上手くやるさ」


 それ以上は無用とばかり――――ラディスラフに言葉を続けさせぬよう、リクハルドはここで話を切り上げる。

 まるで、未練そのものを断ち切ろうとするかのように。


「ふん、やはり理解できぬよ。我ら魔族の思惑に乗りながら、尚そのようなセリフが吐けるなど」


「それでいい。理解できるようなら、とうの昔に人類と魔族の争いなどなくなっている。万年続くこの連鎖に、知らずの内に囚われた者は多い。現に我々もそのひとつなのだ。わかっていようと歩むしかない道があるがゆえに。そして、それは貴様の主とて例外ではあるまい」


「ハイエルフごときが面白いことを言う。……だが、主にはそのまま伝えよう」


 別れの言葉に代えてそう言うと、ラディスラフはゆっくりと踵を返し、再び暗がりへ向かうように歩いて行き、そのままこの場から姿を消した。





「リクハルト様……」


 ラディスラフが立ち去ったのを確認した後。

 背後から音を立てず、静かにそしてゆっくりとリクハルドの傍らまで進み出てくるダークエルフの女。


「悪いな、セリーシア。俺のせいで、『大森林』が滅び去るやもしれん」


「それは――――」


「ひとりの男がやって来る。『勇者』ではないようだが、覇者の目を持つ類だ。あの男は間違いなく強い。俺の目を以ってしても、流れが分からなくなってきた。よもや、あのような男がヒト族の中に存在するとはな。……だが、挑まれたからには応えねばならん」


 言葉の上だけを浚えば、その言葉は悲壮なものにも聞こえよう。


 だが、静謐に包まれた空間を渡るリクハルドの声色は、強い喜色に満ちていた。

 本来であれば、跳ね返ってきた障害物などただただ煩わしいだけのはずだ。

 にもかかわらず、何故か彼は異様なまでの高揚感を覚えている。


「左様でございますか。ですが、形ある物はみな滅びるものです。古代ハイエルフの栄華とて、今はこの聖地に残される遺物のみ。永遠に栄えるものなど、なにひとつありません。我らもそのひとつになっただけでしょう」


 しかし、ダークエルフの女は事もなさげにリクハルドの言葉に対して答える。


「お前は、シュルヴェステル王に好意的なものだと思っていたが」


「ええ。ですが、お慕い申し上げる主人に勝るものなどございませぬ。主人が滅びると申されるのであれば、御心のままにするのも従者の忠義の形だと思っておりますので」


 意外そうなリクハルドの言葉に、ダークエルフの女――――リクハルドに数十年に渡り仕えた従者であるセリーシアは、偏屈極まりない主人への意趣返しとばかりにさも心外だと言わんばかりの表情を作って答える。


「……お前も俺になど付き合わず、ダークエルフの集落でもうしばらく静かに生きていれば、日の目を見ることとて叶ったかもしれんのだぞ?」


 真意がわかっていながら敢えて返したリクハルドの言葉。

 それを受けたセリーシアは小さく頭を振ると、主人に向けて今度こそと淡い微笑を浮かべる。


「たしかに、そんな未来も悪くないかもしれません。ですが、わたしの生きる意味は、リクハルド様に救っていただいた時から御身と共に在ろうとする――――ただそれだけなのです。であれば、どちらを選ぶかなんて、それこそ論ずるに値しましょうや?」


 そっと身体をリクハルドに寄せるセリーシア。


 初めての出来事であった。

 しかし、リクハルドはそれに驚くこともなければ、拒絶したりもしない。

 もはや、この場には二人しかいないのだから。


 初めて互いに出逢ったその時から、絶えず訪れればいいのにと思っていた刹那は、こんな時になってようやく訪れた。もはや笑うしかなかった。


「我が身に流れる血を呪ったことは数知れぬ。だが、俺は王や兄たち――――『家族』を恨んでなど微塵もいない」


「…………」


 何故かとセリーシアが問うことはない。


「だからこそ、だ。ヒト族であろうがなんであろうが、ひとたび『大森林』が他種族と共に生きることを選んだのであれば、国内に血を流すことさえ厭わずしてまつりごとを進めねばならん。それをこの期に及んで厭うことは、必ずや将来に大きな禍根を残す」


 握りしめる拳が、リクハルドの内心に荒れ狂う嵐を代弁するかの如く軋む音を立てる。

 いつしか爪が掌の皮を突き破り、滲み出た血が洞窟の地面に滴の如く零れ落ちた。


「身内への情が、結果的に国の未来を奪いかねん惰弱さ。俺がこの身に受け継いだハイエルフの血は、そんな怯懦に塗れたものではない。いや、そんなモノのために、平和を願った母が犠牲になっていいはずがないのだ」


「生き急ぐ者の理屈ですね。ですが、それでこそ絶えず心に獣を飼っていたリクハルド様です。我々はただただ急き過ぎた。それでよいのではないでしょうか」


 血を滲ませるリクハルドの拳に、そっと手を添えるセリーシア。


「わたしにはあなた様の心の傷を癒すすべも魔法もございません。ですが、この流れ出る血潮は、リクハルド様には必要なことなのだと存じております。なれば、わたしにもお供させてくださいませ。あなた様と一緒であれば、いかな黄泉路の苦界であれ天上の褥となりましょう」


 そう告げてセリーシアはふわりとした微笑みを浮かべる。

 だが、リクハルドには、その眩い笑顔を直視することが何よりも耐えがたかった。


 何故、こんな時に――――と。


「……愚かと知りながら止めることもあたわず、誰も彼もを地獄へと引きずり込む。所詮は俺も、この森に縛られた遺物のひとつなのかもしれんな」


 そう小さく放たれたリクハルドのつぶやきは、何を生み出すこともなくくらい洞窟の虚空に消えていった。

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