第129話 トリニティ・ブラッド
馬車が揺れた時、わずかにできた幌の隙間。
そこから差し込んできた陽光が顔に当たり、俺は眩しさの中で目を覚ました。
「少し眠っていたか……」
目覚めたことを自分の身体へ告げるように呟きつつ、凝り固まった関節に無理させぬようゆっくりと上体を起こし、小さく伸びをする。
それから、幌の隙間を指を押し広げるようにして外を覗いてみれば、既に太陽は高くまで昇ろうとしていた。
深夜の襲撃から一夜明けて、俺たちは『大森林』の王都エルヴァスティへとつながる森の中の街道を進んでいた。
前日ケツをやられた馬車の中で寝るなんてどうなることやらと思いつつ眠りに就いたが、目覚めに感じた倦怠感の少なさから思いのほかゆっくりと眠れたらしい。
次第に明瞭となっていく意識の中で、俺は状況を反芻する。
あのあと俺たちは、すぐに荷物をまとめて馬車へと飛び乗り、夜の森の中を進んで王都を目指すことにした。
せっかくのスイートルームでの一泊が台無しである。
すべてが片付いたら『大森林』にやり直しを要求せねばなるまい。
とはいえ、あのまま宿に留まっていれば新たな敵が押し寄せるだけでなく、相手にも態勢を整える時間を与えることになってしまう。
それならば、と多少無理をしてでも先へ進んでおくことにしたのだ。
まぁ、悠長に進むのもどうかと思っていたところなので、俺からすればかえって手間が省けたとも言える。
そんな中、交代で仮眠をとりながら進むことにして、先に休ませてもらったわけだ。
「……よくこんな揺れの中で眠れますね、クリスさんは」
昨日は尻が痛いって言ってたくせに、とでも言いたげな顔をしているショウジから声が投げかけられた。
俺の記憶では同じタイミングで眠ったハズだが、おそらく眠れてもちょっとした振動を受けるたびに目が覚めてしまったのだろう。やや辛そうに座っていた。
実際、ショウジの目は充血していたし、その下には少し隈も浮かんでいる。
ふむふむ、どこでも眠れる『加護』は持ってなかったか。
「まぁ、特殊作戦の時には、眠る場所なんてまともに選べなかったからな。訓練の時点からどんな場所でも眠れるように仕込まれたってわけさ。おかげで輸送機の貨物室の中でも眠れるぜ。ファーストクラスには程遠いけどな」
「……クリスさんの方が、『勇者』よりもよっぽど怪物じみてますよ」
「よせよ、俺はただのヒト族なんだ。まぁ、もうちょっと寝てろよ。最悪、目を閉じているだけでも休まるからな。俺の布団も使ったらいい。少しは揺れもマシになるさ」
そう苦笑を返しながらショウジに使っていた布団を渡し、再び俺は隙間から外の様子を見やる。
『大森林』の木々は樹高がかなりあるため、間引いてあるとは言っても陽の差し込み具合は控え目である。
温帯に属するであろうこの地域の気候も相まって気温の変化が緩やかなため、エルネスティが言うには一年を通して過ごしやすいのだとか。
だが、これも与えられたものではなく、長年かけて整備してきた努力の結晶と言えよう。
これが何の手も入っていない森だったら、昼間であっても陽光すら差し込まず湿気の多い、それこそ魔物が好む森となっていたことだろう。
そこについては、やはり『森の民』と呼ばれるエルフの面目躍如というところか。
森の清涼な空気を仄かに感じながら、俺は無意識のうちに傍らに置いてあったFN P-90に手を伸ばしていた。
襲撃こそあったものの、今のところは順調に進んでいる。
だが、思えばこの時、既に俺の本能は忍び寄る戦いの気配をたしかに感じていたのだ。
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しばらくして、順調に進んで来たこともあって短時間の休憩をとることになった。
俺と会話をしたことで落ち着いたのか、それとも単純に疲労がピークに達したからか、揺れのなくなった荷台の奥でぴくりとも動かずに眠っているショウジを放置しながら、俺たちは外に出て軽食をとりながら情報の整理を始めていた。
「そうですか、やはり第三王子の手合いでしたか……」
会話の中で、指揮官エルフとお話して聞き出した情報をエルネスティに伝えると、彼の表情は内心での動揺を表すかのように大きく曇ることとなる。
そして、その反応は、エルネスティの横に座るヴィルヘルミーナもほぼ同様であった。彼女の場合は、手に持つ銅製マグカップに注がれたコーヒーの表面が揺らいでいたわけだが。
「まぁ、泣いて喜びながら喋ってくれたから間違いないとは思うがね」
コーヒーを啜りながら、俺は補足をする。
銅製マグは便利だが、さすがに熱い。
ちなみに、
まぁ、今後は♂として生きるのは難しくなったんじゃないでしょうか。モロッコかタイにでも行けば何とかなると思うよ、うん。
「しかし、その第三王子ってのはいったいどんなヤツなんだ? これだけ王族が足並み揃っているように見える中、一人だけこんな動きをするなんて、それこそただごとじゃないだろうに」
俺の言葉に、エルネスティは逡巡するような顔を浮かべる。
だが、そう尋ねられることくらいは予想していたのだろう。
口を開くまでの時間は、俺が思ったよりもずっと短かった。
「……第三王子には、少しばかり特殊な事情があるのです」
「お兄様……」
エルネスティが話そうとすることを危ぶむように、ヴィルヘルミーナが小さく口を挟む。
その様子からするに、王族にとってはあまりいい話ではないのだろう。
「いいんだ、ミーナ。協力をしてもらう立場の我々が、そこを話さずにいることは信義に悖る行為だ」
小さく首を振るエルネスティだが、彼にしても何かしら思うところがあるのか、秀麗な顔に浮かんだ表情は少しばかり硬いものだった。
「その……我々と違い、実は第三王子には、ダークエルフの血が流れているのです……」
「!?」
エルネスティの言葉に反応を示したのは、
情報収集は指揮官エルフとのお話で事足りたのだが、それ以外の情報も色々と得るべく、二人には捕虜扱いでついて来てもらっていた。
まぁ、一度負けたというのもあって、二人とも大人しくしている。
どのみち、ここで依頼主の下へ戻っても、責任を取らされて始末されるだけというのがわかっているのだろう。
素直なのも、決してお話を見たからではない……と思う。
「ご存知の通り、『大森林』には悪しき慣習が今も尚根深く残っております。ダークエルフが、エルフとはある意味において対極的とも言える見た目や特性を持つだけで、『半魔の者』として迫害を受けるという愚かな慣習が――――」
当人たちを目の前にしているからか、エルネスティの言葉はどことなく言葉を選んでいるように感じられた。
少なくとも、その慣習に対して個人的に何らかの思いがあってのことなのだろう。
「実際のところはどうなんだ? 俺はヒト族だからよくわからないんだが」
「これは、あくまでも私の個人的な発言として頂きたいのですが、ダークエルフと魔族のつながりを示す根拠などなにもないのですよ。そもそもこの慣習とて、発展を続けるヒト族からの迫害を避けたエルフが、『大森林』に閉じこもる中で醜く歪んでしまった自尊心から生まれたもの――――種族としての発展を制限してしまったことに対する感情的なはけ口を求めたからに過ぎないのです」
ただただ、恥じ入るように語るエルネスティ。
その姿は、俺にはまるで告解を求める罪人のようにも見えた。
だが、そんなことさえ
エルネスティの言葉に、ふたりの男女は瞑目するだけで何も言おうとはしなかった。
これは諦念か――――と、俺は得心へと至る。
きっと、彼らは諦めてしまっているのだ。このどうしようもない不条理に。
迫害されるせいでまともな職にも就けないとはいえ、それに耐えかねて外へ出て行けば、汚れ仕事に就くか奴隷になるかしか選択肢もないようなものだ。
それならば、故郷をなくしてまで仮初の自由を求めることを諦め、『大森林』に留まった方がまだマシだと思っているのだろう。
「しかし、ヒト族や他の種族が勢いを増しつつある中で、そんな慣習がいつまでも残っているのは『大森林』の発展を阻害するだけでしかないと現王が判断し、王族の中にダークエルフの血を取り入れようと決断したのです」
「そんなことが――――」
さすがにそれは知らなかったのか。
エルネスティの衝撃の告白に、ふたりのダークエルフの顔色が変わった。褐色エロフに至っては、驚愕に言葉を漏らしてさえいる。
あ、そういえばコイツの名前まだ聞いてねぇや。クッコロさんだと緑色の肌とかしてそうだし、エロさの欠片もねぇよなぁ。まぁ、当面は褐色エロフでいいだろう。
「これも明らかにはされていないことなのですが、ハイエルフという種族には長寿命や魔法に優れることのみならず、他にも大きな特異性があります。エルフやダークエルフと契りを交わしても、その子どもは必ずハイエルフとして生まれるのです」
「いいのか? それでも血が混ざっちまうことになるんだろ?」
「もちろん、片方の種族的な特性は多少は顕現しますが、ハイエルフの血の方が遥かに強いのです。次の代で純粋なハイエルフと契れば片鱗も残らないほどに。前例はありませんが、おそらくヒト族や獣人族が相手でもハイエルフの子どもが生まれることになるでしょうね」
……どんだけ凶悪なんだよ、ハイエルフの遺伝子。
「これにより、ハイエルフは歴史から姿を消さずに済んできました。ですが、私からすれば、呪われた血でしかありません」
しかし、そのような遺伝学的背景がなければ、ハイエルフが王族として永きに渡って『大森林』のトップに君臨することもできなかったということか。
おそらく、近い血が混じってしまうことでの弊害も過去に出た上で、なるべくエラーが起きないようにノイズを混ぜようとしての判断なのだろう。
「しかし、その血の特性を利用し、彼を王位を継がせないにしても王族へと迎え入れることで、『大森林』としてダークエルフを臣民と認める予定だったのです」
「それはまた――――」
英断と呼んでも差し支えない。
俺は素直にそう思った。
たとえマイノリティであっても、自国内に不満を溜めた勢力を擁していることはリスク以外のなにものでもない。
それが解決できるのであれば、そこへ割くリソースを他のことへ使えるようになるのだから。
まぁ、それも実現できたのであれば――――だが。
「過去形ってことは、何かあったんだな?」
「ええ……。ダークエルフが地位を得ることを疎んだ者――――過去に王族を輩出したこともある有力エルフの一族が、第三王子の母親を暗殺したのです。彼らにしてみれば、第三王子に相当する地位を持つ人間を産む機会を奪われたのですから、きがすまなかったのでしょうね」
またとんでもないことをしやがったなソイツ。昼ドラも真っ青になりそうな展開だこと。この後の展開も想像がついてきたぞ。
権力争いで肉親を奪われた恨みが根底にあるとなれば、その第三王子は心にどんな地雷を埋めているかわかったものじゃない。
一連の事件の裏で暗躍していることさえ、「王位に就きたい」などという俗な野心が原因ではない可能性が出てくるのだ。
「ダークエルフのお二人がご存じないように、第三王子がダークエルフの血を引いていることも、彼が成人するまでは公表しないでおくつもりでした。下手に生まれたばかりの段階で公表してしまえば、よからぬことを企てる者が出て来ないとも言い切れませんので。しかし……敵はあまりにも身近な所にいたのです……」
その当時のことを思い出したか、沈痛な面持ちで語るエルネスティ。
反目し合っているのであれば、ある意味では楽だったことだろう。向こうがそうであるように、自分も相手を憎めばそれで感情の整理はできるのだから。
だが、相手を憎んでいない――――憎むことができない場合はそうもいかない。そんな状態にあっては、互いの感情はもはやすれ違うことしかできないのだ。
だが、それは俺には関係のないことだ。さらに先を急がねばならない理由にはなったけどな。
「まぁ、事情は分かったよ。結局、
アホの不始末くらいは言ってやりたかったが、その本音は大きな溜息に代えることで漏らさずに済んだ。
一度口火を切ってしまえば、それこそエルネスティの胃に穴があくまでなじるのをやめない可能性があったからだ。
「返す言葉もございません。ですが、できることなら……事が起きる前に彼の身柄を押さえて――――」
「俺たちにとって障害となるなら叩いて潰すさ。とりあえず――――」
そこで、俺は一旦言葉を切り、杯に残ったコーヒーを
ふと見れば、サダマサとティアが続く言葉を待つように不敵な表情を浮かべていた。
「せいぜい祈っておいてくれ。何も起きないことを。俺に言えるのはこれだけだ」
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