第119話 流されて『大森林』


 車輪が大きめの石を踏むたびにゴトンと馬車が揺れ、その振動が一切減衰されることもなく俺のケツに伝わってくる。


 まことに残念ではあるが、この世界の街道はほとんど整備されていない。

 一部俺がテコ入れを始めている帝国でも、帝都から各地の大身貴族領までがようやっと舗装され始めたレベルだ。

 世界に古代ローマのようなチート国家はなかったのである。


 あー、いい加減、腰がどうにかなりそうだぜ。


「いてて……クッション敷いたくらいじゃどうにもならんなぁ……」


「もう少しの辛抱ですよ、クリスさん」


「なんでオメーは平気な顔してるんだよ、ショウジ」


 俺の横に腰を下ろし、同じ条件下にあるというのに割と平然とした顔を浮かべているショウジ。

 本人は退屈そうにはしているものの、『お取り寄せ』して持ってきていた低反発のクッションを敷いていながら、さっきからしきりと腰あたりに手をやって顔を顰めている俺とは雲泥の差だ。


 本当に、自分の身体が14歳くらいの肉体なのかと真剣に不安になってしまうが、慣れてないもんは仕方ないと自分を強引に納得させる。


「まぁ、多分ですけどコレも『勇者』の『加護』ってやつなんじゃないかと……」


「なんだよ、えらく地味な『加護』だなぁ……」


 だが、今の俺にはそれすらも羨ましく感じる。

 なにしろ、この世界に『転移』ではなく『転生』させられた俺には、そんな気の利いたオプションは搭載されていない。

 『お取り寄せ』機能に全言語パックをつけてもらっただけでも十分御の字と思わないでもないが、現在進行形でケツの痛い俺は、この差だけで『創造神あのアホ』に殺意が湧いてきた。

 微妙に足りないオプション類のことを考えると、ヤツは本当に俺に世界の下地作りさせる気があったんだろうか?


「まったく、情けないことを言ってるんじゃないぞ。仮にも名門貴族だろうが」


「むしろ貴族だから慣れてないんだよ。知ってるか? 箸より重いもの持ったことねぇんだぞ貴族って」


 なぜかショウジ以上に平然とした様子で、馬車の荷台で胡坐をかいたまま微動だにしないサダマサに向けて俺は抗議する。

 ツッコミでも入れてやろうかと一瞬考えたが、コイツが人類なのは見た目だけなのを思い出して取りやめる。


「よいのじゃよいのじゃ、クリスはそのままで。しかし、本当は翼竜なんぞではなく、妾が直接乗せて来てやりたかったのじゃがのう」


 柔らかな言葉と共に、今度はティアの持つ“高反発クッション”の新たな感触が俺の背中に生じるが、これはこれで気にしてはいけないヤツである。


「ちょっと。いつまでも子ども扱いするのはやめてくれよな、ティア」


「うーん、その不満げな顔も可愛いのうー」


 そうティアに向けて不満げに言ったら、今度は緩み切った顔で頭を撫でられた。

 まぁ、『勇者』事件だなんだかんだと理由があってできなかった同行が、今こうしてできているのが彼女にとっては嬉しいのだろう。


 だが、これじゃまるで俺がペットみたいではないか。気持ちいいけど釈然としない。ぐぬぬ。




 さて、この突然始まることとなった旅路であるが、いつぞや竜峰へ向かった時のように、ハンヴィーでロックを流しながら優雅にお出かけというわけにはいかず、代わりにマイレージもつかない空の旅をする羽目になった。


 そう、実はまだアレ――過激派エルフのテロ事件からほんの二日ほどしか経過していない。

 なにしろ、大慌てで帝国でも研究段階にあった騎兵用ワイバーンをブン盗――――もとい事後申請で借り受け、全速力で飛んで来たのだから。

 『神魔竜』であるティアが眷属へ命令できる権能がなければ、途中で休みながらといえどもゲストを連れての強行軍は不可能であったと思う。


 だが、少なくともあの時はそれくらい事態が切迫していたのだ。

 ヴィルヘルミーナを連れて、一刻も早く『大森林』めがけて逃げ出さなければいけないほどに。




「用心のためとはいえ、冒険者の皮を被っていてそれだと、演じ切れるか激しく不安になるな」


「そうは言うけどよ、従軍経験があったって長時間馬車に揺られる訓練なんかしちゃあいないって。せいぜいどこぞの商会のおぼっちゃんと思ってくれればいいんだけどね」


 下級ならいざしらず、上級貴族の子弟がこんな風に出歩くことは普通では考えられない。適当に言えば勘違いしてくれると思う。

 だからこそ、目立つことこの上ないワイバーンを早めに降りて、近くの街で荷物を運ぶための幌馬車ほろばしゃを調達してきたのだ。


「そうだな。まずあり得ないとは思うが、帝国の貴族がウロついているなんてバレたらどうなることか」


「バレたところで戦争が起きる以上のロクでもねぇことなんかあると思うか?」


 他に聞こえぬようひっそりと言うと、サダマサも一瞬だけゲストの方をチラ見してから神妙な表情を浮かべて返事をよこす。


「減らない口だ。その尻にも少しは見習ってほしい面の皮の厚さだな。しかしまぁ、侮られるくらいの方が都合もいいか。変に警戒されるとかえって厄介かもしれんしな」


「そういうこと」


「しかし、思うんだがよくこれだけの厄介ごとを毎度毎度引っ張ってこられるな」


 サダマサは深い溜息を吐く。

 切った張ったは好めども、こういう回りくどい流れがあってはやはり退屈なのだろう。無理矢理連れてきたことへの不満も少しはありそうだが。


「そういう宿命に生まれたんじゃないかね。まぁそう言うなよ。もう『大森林』はすぐそこだぜ?」


 面倒臭そうにしていながらも、サダマサは周囲への警戒は怠っていない。


「それで……ちゃんと王とは謁見させていただけるんでしょうね、ヴィルヘルミーナ殿下?」


「……えっ? あっ、はい! もう幾ばくもなく『大森林』へ到着、王都エルヴァスティへも今晩には入れるかと……」


 俺の水を向ける言葉に、それまで荷台の奥でクッションに埋もれるようにしながらも、沈黙を保っていたヴィルヘルミーナがはっとしたかのようにこちらを向く。

 どうも意識が思考の海に沈んでいたらしい。

 よほど悪い想像でも巡らせていたのか、その顔色も元々が白磁のごとき肌を持っているとはいえ、決して良いものには見えなかった。


 まぁ、本格的に事態が戦争に向けて動き始めているとなれば、いくら俺たちの前でそれなりに度胸が据わっているように振る舞っていたとしても、いつまでも平静を保ってはいられまい。

 ちなみに、馬車の御者については、俺たちが揃いも揃ってできなかったため、変装したエレオノーラに任せている。

 現代っ子ってのは、異世界じゃ無力な存在であることを痛感せずにはいられない。


「そうか。まぁ、着いたはいいが、ヒト族ってだけで拘束されるなんて事態だけはご免だぜ?」


「わたくしとて継承権は低くともエルフの王族。その程度はどうにかできるだけの発言力はございますわ」


 うーん、そうは言ってくれるが果てしなく不安になる。


「ならいいさ。そのために、こちらも本来ならあり得ないリスクを背負って協力しているんだ。中途半端なやり方のままではお互いが不幸になるだけだからな」


 そう言いながらも、少しばかり自分の言葉に棘が含まれているのがわかった。

 だが、現状を考えればこうもなってしまう。


「はい……。こうして『勇者』様からの協力を取り付けることができた以上、わたくしも覚悟を決めねばなりません。最悪、国を割ることになっても……」


 そう、いくら緊急事態であり、場にはヴィルヘルミーナとエレオノーラしかいなかったとはいえ、どうにか誤魔化したかったこと――――ショウジが『勇者』であることをカミングアウトしなくてはいけなくなったのだから。





             ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆





 そもそも、どうしてこんなことになっているのか。

 話は高等学園の応接室でヴィルヘルミーナの魔法具と思しきネックレスが切れた時にまで遡る。


 高等学園――――帝都内部で他国人、それも異種族がテロ紛いの事件を起こすという前代未聞の事態は、当然と言えば当然だが帝国中枢を震撼させることとなった。

 また、その場に居合わせた帝国の人間が、大身貴族アウエンミュラー侯爵家の次男と長女という、まぁ当事者が言うのもなんだが、結構ヤバい身分の人間だった。

 そのため、事態の説明が『大森林』より正式になされるまで使節団は帝国に逗留してもらうことになってしまったのだ。


 要は軟禁である。

 しかし、その場で「即時開戦だ!!」とならなかったのは帝室派の奔走もあったのだろうが、俺からすればまさに幸運としか言いようがない。

 この機に乗じた暗躍が懸念された貴族派にしても、人質同然の連中がいるのであれば、開戦しても有利に進められると思って強く言ってこなかったのだろう。

 少なくとも、これで時間を稼ぐことができたわけだ。


 まぁ、そんな流れがヴィルヘルミーナのネックレスへと情報が来た時点でだいたい予想できたから、俺は慌てて行動を決意。

 ちょうどそこへ淹れたてのコーヒーを持ち鼻歌を唄いながら戻ってきたショウジの首根っこをひっ掴み、大慌てで教員であるコンスタンツェへと大まかな事情を説明しに行った。

 ちなみに、その過程でショウジは、淹れたてのコーヒーを頭からかぶって学園中に悲鳴を轟かせることになったが、それはまた別の話である。


 説明と併せて俺の要求を聞いたコンスタンツェには死ぬほど渋られたものの、何とか頼みこんでワイバーンの訓練所への紹介状を書いてもらい、それをタテにしつつ管理者を言いくるめてほぼ無断に近い借用に成功した。


 同時に、アウエンミュラーの屋敷に無線連絡してサダマサとティアを動員。

 その間にヴィルヘルミーナたちには準備をさせ、追手が来る前に早々に空の上へ逃走し『大森林』へ――――というわけだ。

 さすがに、同行者であるその他エルフたちにはその場に残ってもらうことにはなったが。


 尚、親父からは、後からの連絡で「とんでもないことをしやがって」とちょっとばかり小言も言われた。

 だが、この状況下で戦争を避けるためには俺たちが裏で動くしかないことは重々承知しているようで、最後にはただ一言「気をつけろよ」と言われたのみだ。


 まぁ、俺にとってはその一言だけで十分であった。





             ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆





「見ろよ、クリス。森が見えてきたぞ」


 さてさて。そんな回想をしていたらいつの間にか『大森林』に着いていたようだ。

 投げかけられるサダマサの声も、この男にしては心なしか嬉しそうに聞こえる。


「……はぁー、ありゃとんでもないですねぇ! なんかファンタジーの世界に来たって感じがしますよ……!」


「こりゃあ…………! いや、ウワサに聞いたりはしていたがすごいもんだなぁ……!」


 荷台から出た俺たちの目の前に広がっていた光景に、俺とショウジは思わず感嘆の声を上げてしまう。


 見渡す限りに群生する巨大な木々。

 あいにくと細かな種類までは知らないが、地球でいうセコイアのような樹高が数十メートルに達するであろう巨大な針葉樹が視界を占有せんとばかりに群生していた。

 正直、俺にとってはそれだけで既に神秘的な光景を作り出している。


「ていうか、アレはなんなんだよ……」


 だが、そんな俺たちの驚愕を更に激増させるものがあった。

 その巨大な木々を圧倒するように、それこそ山かと思うような巨大な樹木がひとつだけ聳え立っているではないか。

 あまりの大きさに遠近感がおかしくなりそうだ。


 そして、現実に戻ってはたと気付く。

 いや、その感想今更なのかよショウジ!


「アレは『世界樹』ユグドラシルです。あの樹こそが、竜峰アルデルートに並ぶもうひとつの世界の中心とも言われる存在であり、我々のふるさとを象徴する母なる神樹と呼ばれるものです」


 声に振り返ると、いつの間にか現れたのか耳の長いエルフ――――おそらくハイエルフの美青年が、俺へ向けてにこやかにほほ笑んでいた。

 ……コイツ、『気配遮断』していやがったのか?


 チラっと横目でサダマサを見るが、この場で最も気配に敏感なこの男の手は腰に佩いた刀の柄にも添えられておらず、俺の方を見て平生の顔で首を小さく振った。

 敵意はないということか。


「お兄様!」


 荷台から顔を覗かせたヴィルヘルミーナが、ハイエルフの姿を見て叫ぶ。


「おかえり、ミーナ。そして、ようこそ『大森林』へ。帝国のみなさまを我々ハイエルフ王族は歓迎致します」

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