第117話 風が吹きすぎると世界が壊れる


 ヴィルヘルミーナの投下した言葉の爆弾に、一瞬俺の思考が止まりかける。

 だが、なんとかそれも最初の一瞬だけで済んだ。


 そしてここからが勝負だ。今は隣のイゾルデを見ることすら許されない。


「――――へぇ、『勇者』?」


 鸚鵡返しだが時間稼ぎのために口を動かす。


 情報――――特に秘密というものは、一度抱え込んでしまったが最後、漏れないようにすることは非常に難しい。

 それを理解していたからこそ、いつかはこういう事態が起きると前もって心の準備をしていたのだ。

 それだけに、俺を襲った衝撃は思いのほか少なく、以降の尾を引きはしなかった。


 とはいえ、不意打ちを喰らったのは事実。

 一瞬の反応が、顔や身体のどこかに現れていなかったか、今はそれが重要である。

 動揺を悟られるには、その一瞬で十分なのだから。


「悪いけど、そりゃ初耳だね。イゾルデ、おまえはなにか知っているか?」


「いえ、そんなのはおとぎ話くらいでしか……」


 とりあえず、と俺たちは全力ですっとぼけてみる。

 さすがに問われたからと言って、素直に認めていい問題ではなかった。


 第一、帝国は自身が保有している『勇者』の存在を公のものとはしていなかった。

 ヘタに公表でもしようものなら、最悪人類圏を割る事態となりかねないし、それを理解しているから、聖堂教会もまたあれ以来帝国に表立ったちょっかいを出せないでいるのだ。

 ある意味では、互いの利害が絶妙に一致しているがゆえに水面下での睨み合いで済んでいるとも言えた。


「そうでしたか。であれば、あらためて我々の得た情報をお話させて頂いた方がよろしいでしょうね」


 俺たち兄妹の“迫真の演技すっとぼけ”をどう判断したかはわからない。

 だが、特に気にした様子もないヴィルヘルミーナが口にした推論とやらは、正解でこそないが間違ってもいなかった。


「……帝国はとある一件で聖堂教会とあわや対立の事態となったものの、最終的には経緯こそ不明ですが『勇者』を自分たちの手勢へ寝返らせることに成功したと掴んでおります」


 そもそも、何故『勇者』の存在がこうも世界に影響を与えるのか。それはヒト族圏内での微妙な対立構造に由来する。


 前回の魔族との全面戦争以降、人類圏――――特にヒト族国家間で大きな戦争が起きることもなく今日に至っている理由は単純だ。

 ヒト族の国家に対して影響力こそあれ、単体では強大な軍事力を持たない聖堂教会が、魔族の脅威が表面化するタイミングで『勇者』を召喚できる唯一の存在とされてきたからである。


 要は、主要なヒト族国家からしてみれば、来たるべき時に『勇者』の庇護下に入れるよう、教会の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

 仮に、もしどこかの国が技術革新でも起こして戦力を整備し始めたとしても、それは早々に潰されることとなる。

 聖堂教会がひとたびその存在を『異端』と認定すれば、教会の名のもとにヒト族国家連合軍が組織されるからだ。


 そして、そのやらかした国を脅すなり滅ぼすなりして、接収した技術を人類圏に拡散させて再び各国の勢力が均衡を保つように図る。

 勢力均衡といえば聞こえはいいが、不測の事態で簡単に覆るとは誰も考えないのだろうか。

 それとも、それだけ『勇者』の存在が絶対視されているからか。


 ともかく、言ってみればこの世界は、そんな危ういバランスの上にギリギリ成立している。


「なんともまぁ、えらい荒唐無稽な話があったもんだ」


 だが、それを俺は敢えて否定も肯定もしない。


 ここから更に向こうに話を続けさせる必要があるからだ。

 彼女たちが、いったいどれほどの情報を掴んでいるかを知るためにも。


 なにしろ、人類圏各地に存在する非ヒト族国家が未だに独立を保てている理由は、統治が上手くいっているからではない。

 ヒト族国家間で、近くの異種族の国家に対して問答無用で侵攻を仕掛けるような、要は相手から仕掛けられた戦争以外----自国拡張のための抜け駆けを許さない暗黙の了解があるに過ぎないのだ。


 そうでなければ、今頃はヒト族国家がそこらじゅうで『種族浄化』を繰り広げていた可能性すらある。

 その程度には、この世界のヒト族の種族主義は先鋭化していた。それを複雑な事情が押し留めているだけで。


 ……とまぁ、聖堂教会の役割など過去の経緯からすれば気に入らない部分も多々あるが、少なくとも人類圏はバランスを維持する機能を有していた。

 ……1年とちょっと前までは。


「そもそも、なんで『勇者』が帝国に寝返る必要がある?」


「これについては、『大森林』内部でもかなりの議論がなされましたが、ほぼ事実であろうと結論付けております。また、その際に帝国の若手冒険者が関与していたという話も含めて……」


 なるほどな。おそらくヴィルヘルミーナが、まず最初に知りたいことはこうだろう。


 先ほど述べた世界秩序。

 そこへ新たな一石を投じたのが、ガリアクス帝国で相違ないかどうか――――。


 現在、着々と配備を進めている火縄銃をはじめとした、『銃』というまったく新しい技術は、帝国が聖堂教会に『異端』もしくは覇権主義国家と認定されるだけの要素を持っている。

 そこにもっと早く気付いていれば、俺ももう少し慎重に動けたのだろうが――――おっと、これは余談だな。


 ともかく、帝国にとって幸運だったのは、それを察知した聖堂教会は予定外の『勇者』を擁している慢心と、帝国内部の派閥争いを利用して、自分たちの勢力拡大のために戦争ではなく浸透作戦を選んでくれことだった。


 もちろんそれはそれで、少なからぬ危機ではあったのだが、結果は政治中枢への食い込みに失敗した上に切り札の『勇者』シンヤ・カザマを喪失。

 反対に、帝国には偶然に近い事態ながらも『勇者』ショウジ・イマムラが転がり込んできてくれた。


 そう、この偶然が偶然を呼びまくったような事態により、表にこそ出ていないものの、皮肉にも旧来の機能は完全に形骸化してしまったのである。


 つまり、今の帝国は、その気になれば『新たな技術』で主要ヒト族国家とも戦争ができる力を潜在的に有している上に、独自で『勇者』を擁しているため、パフォーマンスによっては教会の威光を失墜させることもできる。


 ということは、必然的に異種族国家への侵攻に対する懲罰軍の派遣さえ難しくなるも同義だ。


 そして、それを察知したから、『大森林』は今回こうして動きを見せたのだ。

 自国の安全を確保したい勢力と、人類圏の種族バランスを覆したい勢力が主軸となって――――。


 言い換えれば、閉鎖的で知られる彼らを動かし得るだけの事態が、今人類圏で起きつつあるとも言えた。


「ちなみに、その冒険者の身元も探らせましたが、いずれも開拓に出たまま行方のわからなくなっている騎士爵の身内という部分までしか辿れませんでした」


「辺境の開拓は厳しいと聞くからな。近くの大身貴族の援助もなしには、そうそう上手くはいかないだろうね」


 ついでに、この場で訂正をしよう。

 ヴィルヘルミーナは、『能力はあるっぽいが、経験が足りない中途半端に頭の回る王女サマ』などではなく、『能力はあるが、経験が足りないがゆえに予期せぬタイミングで一撃をブチ込んでくる存外に厄介な王女サマ』であると。


「ですが、そんな経歴を持つ人間が、どういうわけか帝都の冒険者として登録したばかりか、ふたりで活動していたというのは、外部から見れば強い違和感を覚えるものなのです」


 タイミングを計っていたと思われるヴィルヘルミーナの言葉に、「少しは評価を改めさせることができましたか? 」とでも言いたげな響きを感じた。

 ああ、脳内ではもう修正済みだよ。口には出さないけどな。


 ふと見れば、ヴィルヘルミーナの顏は、先ほどまでの部下の不始末をどうにか収めようとするお姫様然とした雰囲気はナリを潜め、自身が切るカードで最大限の効果を得るために動く政に関わる者の顔つきとなっているではないか。

 それを受けてか、俺はテーブルの下に隠れている左手に、わずかではあるが汗が滲んでくるのがわかった。


 面白いヤツだ。ぱっと見天然モノのくせに、政治方面の才能も持ち合わせているってか?


 ヴィルヘルミーナの性格は初めて会った時に感じたモノで間違ってはいないのだろうが、それに加えて普段は王族内での政治的な争いに巻き込まれないように爪を隠しているということか。

 わからんでもないが、また腹黒いねェ……。


 こりゃ下手にヒト族を過小評価しているヤツなんかよりよっぽど厄介だ。

 うん、もうエルフは諦めてダークエルフと仲良くなった方がいいかもしれない。エロフなんていなかったんや……。


「で、その冒険者が何者かはわかったのかい?」


「いえ、わからないままです。だから、こうしてあなたに訊いているのですよ、クリス様」


 ……こりゃバレテーラ!!

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