第110話 想像してごらん?


「なんだぁ……?」


 反射的に思わず口を衝いて出そうになるが、すんでのところで相手には向けずに済んだ。

 俺の耳に届いたその言語が、帝国で使われる言葉ではないと気付いたからだ。


「兄さま、落ち着いてください……」


 困ったようなイゾルデの言葉に、いくぶんか冷静さを取り戻す。

 短く息を吐き出してから失礼な声のした方へと視線を向けると、明らかにこの帝国の人間ではない集団が部屋を覗いていた。


 一瞬、何者かと思うも、その他に見覚えのある教員が随伴していることから、例の『視察』に来た連中に学園内を案内していたのだと理解する。

 もっとも、俺からすれば余計なことしてくれたとしか思えない。


『ひどいものだな。平野の猿どもは魔法で氷を作った程度であんな嬉しそうにしているぞ』


『ははは、無様にもほどがあるが所詮はヒト族だからな』


『やはり連中は魔法の使い方もろくに知らんらしい。これでは学ぶことなどあったものではないな』


 色素の薄い金髪に青色の瞳と、鋭いと言ってもいいほどに長く伸びた外耳の外縁部。

 これらの特徴から、彼らが『大森林』に暮らす森の民――――エルフだと判断できる。

 エルフの実物を見るのは俺も初めてだが、十数年越しにファンタジーの代表格に会えた感動よりも今は内心に渦巻く不快感の方が勝っている。


 そして、どいつもこいつも美形揃いなのが余計に腹立たしく感じられる。

 性格が悪い癖にそのツラはいったいなんなんだ。


 特に、こちらから見て最も奥にいる周囲を護衛に囲まれているようにも見受けられる女エルフは、周囲のエルフたちと比べても桁違いの美女だった。

 身なりからして他とは違うことから、もしかするとやんごとなき身分の人間かもしれない。

 ……もっとも、控えめな胸囲に限っては別の意味でやんごとないと言えそうだが。


「兄さま……。わたし、ああいう人たち嫌いなんですけど」


「奇遇だな、イゾルデ。俺も大っ嫌いだよ」


 イゾルデが小声で話しかけてくれたことで、急上昇を続けていた怒りゲージが止まる。


 オーケー、俺は冷静だ。ここで暴発するほど短慮じゃない。

 こんな場でなにかをしでかして、帝国外交に支障が出ては困る。


「言葉がわかるのも良し悪しだな」


「普段は便利なんですけどねぇ」


 連中の暴言に気付いたのは、この世界の言語がプレミアムパッケージで脳みそにインストールされている俺とイゾルデのみか。

 集団の中の二人ほどの動きが止まったくらいでは、こちらが理解したとは気が付かないから、ああした失礼極まりない振る舞いを続けているのだろう。


 頭に流れ込んでくる大陸公用語とは異なる言語。

 俺の脳内では全部日本語に変換されているが、それがどんな言語であるかは意識すれば不思議と理解することもできる。

 

 そして、理解ができたからこそ、こうもイラッとしているわけだが。


『あの程度、我々なら難しくもなんともない。面白い技術があるというから来てはみ、学園とやらの質も知れたものだ。さっさと切り上げて、見た目の良い雌を国に連れて帰ってやった方が良いかもしれんぞ』


 ビキィッ!


 頭の中で音がした。


 あぁ、堪忍袋の緒が切れる音ってこういうヤツなのか。妙な冷静な自分がいる。

 だが、もう片方の自分は――――。


「おい、お前ら結構なご挨拶してくれるな。魔法使えるってだけで随分デカいツラがしてくれるじゃねーか」


 さすがに一方的にバカにされ続ける事態ならまだしも、エルフの一人が放った言葉が俺の勘に障った。

 ただの暴言なら不快ではあるが流すこともできただろう。


 しかし、ヤツの視線はイゾルデに向いていた。

 それが我慢できず、散々好き勝手言ってくれる連中への感想がとうとう口から洩れ出てしまう。


 視界の隅ではあちゃーとでも言いたげに顔に手を当てているイゾルデの顔があった。

 ……短気な兄貴ですまんのぅ。


 とはいえ、このように誰が聞いているかわからない場で思ったことをそのまま言葉に出してしまう彼らの迂闊さにはけして劣るまい。

 うん、思いっきり言い訳だけど。


「なんだ貴様、その口のきき方は。我らを誰だと心得ているか」


「は? さっきから勝手なことばかりギャーギャー言ってる常識知らずの引きこもりどもだろ? むしろ、何様のつもりでいるんだ?」


 いったいこのアホどもは、どういう思考形態をしているのだろうか。


 正直、この考え方自体、俺が前世の知識を持っているからかもしれない。

 だが、仮に魔法が使えるからと言って、それは絶対的なアドバンテージにはなりえないと思わないのか。


 この世界でも、魔法への対抗手段として『魔法障壁』などが存在しているが、それは極めて高度な魔法である上に、あくまで任意発動型であるため不意打ちに死ぬほど弱い。

 もしもその思考がないとしても、狙撃や爆殺――――つまるところ肉体が持つ能力の範囲を超える知覚外からの攻撃に対抗する手段は持っていないのだ。


 実際、俺がその気になれば、この場にいるエルフ全員を瞬く間に蜂の巣にするなり爆殺するなりで屍に変えることができる。

 彼らの常識からすれば思いもよらぬことかもしれないが、完全な魔法使い殺しの魔法使いが見下している集団の中にいるわけだ。


 エルフに限らず、魔法が使えるというだけでその能力を誇ろうとする手合いは、残念ながらこの世界には少なからず存在する。

 そもそも、ある水準以上の知性を持つ生命体同士で、そこに優劣をつけようとする時点で不毛にしかならないと思う。

 だが、この考え方自体が異端で、他種族に対して自我があることすら認めないような連中はそう思わないらしい。


『き、聞いたか。何様か、だと。短命種であるヒト如きが実に尊大なことを言っているぞ』


 俺の怒りを滲ませた反応を、バカにしているニュアンスを感じ取ったヒト族の反論にすぎないと思ったのだろうか。

 彼らは一方的にこちらを侮り、自分たちの感情のはけ口として使って良いと判断している。


『尊大なのはどっちだ。それ以前に会話をしているんだから大陸公用語で喋れよ、タコ。面と向かって文句も言えない腰抜け揃いのくせに、そうやって陰でチンケな自尊心を満たすな。お里が知れるぞ』


 鼻で笑うような男エルフの侮蔑に、俺は公用語ではなくエルフ語で返してやる。

 創造神に与えられたチート能力でしかないため、あまり偉そうにするのは若干気が引けるが、目の前にいるバカエルフの上から目線が許せない思いの方が圧倒的に強い。


「なっ、なんだ!? 平地の下賤な民が、高尚な我らの森の民の言葉を解するだと!?」


「お前、それサバンナでも同じこと言えんの? 意志疎通の言葉に上も下もあるわけないだろうが」


「ちょっと喋れるくらいで図に乗りおって……」


「ちょっと? なんなら古エルフ語で話した方がいいか?」


 さりげなく織り交ぜたギャグが届かない中、驚愕の表情を浮かべるエルフたち。

 特に奥にいるお姫様と思しき人物の顔色の変化が顕著であった。


「ちょっと、クリストハルト君。あまり刺激しないで……」


 近寄ってきた教員が言葉をかけてくるがひと睨みで黙らせる。


「兄さま、ちょっとやりすぎでは……」


「いいんだよ、こういう手合いには同じことをしてやるのが一番効くし、言われなきゃわかりもしないんだ」


 案の定、視線の先にいるエルフの中で自身の常識が、音を立てて崩れ始めているのが表情で丸わかりだった。


「い、いい加減なことを言うな! 百歩譲って貴様が我らが言葉を解することは認めてやろう。だが、王女様の前でエルフ王族の言語まで解すると吹聴するのは不敬にも程があるぞ!」


 殺気すら飛ばしながら俺に詰め寄ろうとする男エルフ。


「だから、なんで俺がエルフ語を話せるだけでお前がそんな偉そうになれるんだよ」


 少しでも叩けそうな場所があれば遠慮なく叩く。この世界の特権階級に共通する常識には、毎度のことながらうんざりする。

 地球時代でも日本人のマイナスな部分ではあったから、結局は同じ目に遭っているだけなのかもしれないが。


『デタラメだ!』

『その無礼なサルを殺せ!』

『不敬な者を地に這わせろ!』


『……おいおい、なんだそれ。お前ら本当に文明圏の人類か? ぶっちゃけゴブリンでも、もうちょっと礼儀正しく振舞えると思うぞ』


 エルフ、理を重んじる種族とはなんだったのか……。

 森の賢者と呼ばれたこともあるエルフたちの怒り狂った罵倒に、俺は呆れたような声が出る。


『貴様ァ!!』


 我慢の限界を迎えたのか、ついにひとりが激高した。

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