第109話 学問のすゝめ~後編~


 おそらく帝国は潜在的な敵対勢力となった教会から離れ、ヒト族以外の人類勢力と友好関係を結びたいのだろう。


 ドワーフに関しては、侯爵領の工廠に職人たちがいるように、南のドワーフの国との繋がりが本当に微々たるものだが存在する。


 一方で獣人の国家――――北方辺境に勢力圏を築き上げている部族とのコネクションは、地理的にヒト族国家に阻まれている関係で難しい。

 そうなると、エルフの国家である『大森林』がもっとも距離的に近く、比較的容易といえる。

 そうでなければ、貴族派が侵攻を計画していた『大森林』との関係を構築したいなど、わざわざ国内に不満を抱え込むようなことを考える可能性は低い。


 また、帝国が『大森林』を相手に選んだのには、先述の理由以外にも教会の影響下にある国に対して、自国は有する科学由来の知的財産を渡したくないのも関係していると俺は見ている。


 つまり、それらの要素をクリアできる存在として、この高等学園を利用しようとしているのだ。


「……あぁ、魔法にも応用ができる技術を輸出なり交換しようってわけですか。それなら閉鎖的で知られるエルフも興味を持つかもしれない」


「へぇ――――ここまでの情報だけでよくそこまで推測したものだね。君が学園始まって以来の俊英と呼ばれるのも、あながち誇張じゃなさそうだ」


 コンスタンツェの眉が動く。俺の推論は彼女の感情を動かす程度の効果を発揮したらしい。


「推論ひとつに大袈裟なことを言われますね」


 俺個人としては、べつにコンスタンツェが嬉しそうに言うほどのことではないと思う。

 元々持っている情報が多かったから、考えられる事柄を推測しやすかっただけだ。

 そもそも、こうしたことが起きた背景には、近年大きな変容を遂げつつある高等学園の内情が関係している。


「どうも君は自分の重要性が分かっていない気がするなぁ。君がどれだけ、この学園の歴史に名を刻めるだけのネタを供給しているか知っているのかい?」


「切っ掛けとなるネタの出処がたまたま私だっただけですよ。実用化したのは生徒や先生がたです」


「ふふ、白々しいことを言うねぇ」


 コンスタンツェの言いたいことはちゃんとわかっている。


 この世界に転生してから俺は、『お取り寄せ』を使って実家であるアウエンミュラー侯爵領を豊かにすべく様々な技術や知識を供給している。

 その結果として、ここ7年ほどで侯爵領は、領地からの税収も右肩上がりになったばかりか、工業分野での産業が興るなどかなり豊かになったと言える。


 しかし、貴族社会に生きる身としては、単身で功績を上げすぎるのは良くないと、ある時帝室から忠告があった。

 というのも、他に脳みそを使う場所がない貴族連中の妬み嫉みで足を引っ張られる可能性があったからだ。

 とかくこの世は住みにくい。


「あまり立ち回りが上手くないことは理解しているつもりですよ」


「ふむ、自覚はあったのかい。しかし、それでもやめるつもりはないと?」


「それも含めた性分ですから」


 最終的には回り回って国のためになるとはいえ、あまり単独でなんでもやり過ぎてしまうのは、帝室が絶対的な権力を持っていない以上避けるべきだった。

「アイツが俺よりもリッチなのは許せない」――――古来から戦争というものは、一定以上の権力を持った人間のこうした感情から勃発している。


「性分か。それならしかたがない。でも、商人たちを巻き込んだのは正解だと思うよ?」


 よその貴族どもからの反発は一定以上は買っただろうが、もうひとつの勢力である商人たちを締め出さず積極的に利用しているため、彼らは俺たちを守ってくれる。

 安易に手を出せない構造を作り上げておいたのは我ながら賢明だったといえよう。


「支配者側としては自分たちの影響力が相対的に低下する恐れもあったわけですが、それでも時代の流れには抗えないし、むしろ利用していくべきだ。ある程度満足できる人生なら、国へ反旗を翻そうとも思わないでしょう」


「それで彼らの子弟を受け入れることにしたのかい。たしかに、彼らは後継者に高等教育という箔をつけることができるし、我々も何かと役に立つコネクションが手に入る」


 コンスタンツェの言うとおりだ。

 複雑な利害関係という既成事実を作ってしまうために、帝室派――――といっても帝室を中心としたグループだが――――は高等学園に目を付けた。

 学問の先端をいっていると謳われる場所を隠れ蓑に、優秀な人材を集めて各種技術などの発展をさせようとしたのだ。


「いいじゃないですか。少なくともこれで高等学園の立ち位置も変わっていく。知識は学ぶ気のあるヤツに対して門戸が開かれているべきだ」


 そう、たとえ切っ掛けを帝室派から与えたとしても、それを学園の技術者が技術として確立したならば、それは開発した人間が属する共同体の功績となる。


 つまり、○○家の誰それが成し遂げた功績ではなく、帝国の高等学園の研究チームが発見した偉業として大々的に発表することができるのだ。

 メディアが発達するどころか、人々の噂くらいしか存在しないこの世界においては、どこそこの研究チームの誰がなんてのは、どれほどすごいことかわからないがゆえに関心を持たれず話題にもならない。


 無論、面倒くさいことにならないよう、適宜情報を操作しているからなのも否めないが。

 だが、少なくともそれらの成果として、現在帝国高等学園は人類圏各国から注目されている。

 だからこそ、エルフなんて面倒くさい種族が今回こうして訪れているのだろう。


「ふふふ。わたしはそういう君の考え方、面白いから嫌いじゃないよ」


「それはありがたいお言葉ですね。では、重要事項も聞いたことだし、私はこのあたりで失礼します。みんなの監督もせにゃならんので」


「そうか。長居をさせてすまなかったね。なんにせよ、気を付けて。君はトラブル体質だからね」


 意味ありげな微笑みを浮かべるコンスタンツェに小さく礼をして部屋を後にする。


 エルフか……。


 俺としては、向こうの出方がわからない以上、帝室派の中枢メンバーよりも先に絡みたくないんだよなぁ。

 いっそ早めに用事を片付けて屋敷に帰ってしまおうかな。


「兄さま、注文分がきているぶんの製氷が終わりましたよ」


 部屋から出てどうしたものかと思案しているところで、とてとてと近寄ってきたイゾルデから声がかけられる。


「おう、ご苦労さんイゾルデ。一応確認だが、密度には気をつけてるな? 硬い氷の方が街のおっちゃんらには喜ばれるぞ」


「そこは大分慣れたみたいですよ。魔法の威力を上げるのに役立つから、みんな真剣にやってますし」


 イゾルデが言っていいるは、さきほどコンスタンツェがよくやると言っていた平民学生の小遣い稼ぎのことだ。


 これから夏を迎える帝都は、日本のじめじめした夏ほどではないが、人々の気力を容赦なく奪っていく程度には暑くなる。

 そのため、人々が涼を取る氷の販売を、学園で取りまとめているのだ。

 公的機関が取りまとめた方が管理もしやすいし、流通経路を絞ることで価格操作もされにくいからだ。


「そりゃ建前だろ」


「兄さまは本音を語りすぎだと思います」


 そして、そのアルバイトに絡めて、錬金術をこの世界での化学の走りとするべく、生徒には化学の基本として液体の固体・液体・気体の差異を認識させて魔法を使わせている。

 そのために、ドワーフたちに頼んでガラス製の温度計を開発したのだ。

 『お取り寄せ』した気圧計と温度計をベースに、それらがこの世界の環境に合っているか検証を繰り返しながら、地球とほぼ同じ条件で状態変化が起きることを確認。

 物質には温度・気圧によって状態が変化することを学問として錬金術に組み込むことに成功していた。

 これに伴い気温計は量産の目途が付いたらうまいこと市販したいとも思っている。


 労力はそれなりにかかったが、こういった各種機器を導入するには良いタイミングではないだろうか。


 しかし、化学というのは実際に応用しようとすると難しい。文系出身の俺には教科書を使いながらでもなかなかにしんどい作業だった。


「おお、こりゃいい氷だな。みんなご苦労さん」


 ねぎらいの言葉をかけると、作業にあたっていたメンバーの顔がほころぶ。


 最初は彼らも俺たちが侯爵家の人間だということで、みんなどう接していいのかわからずえらい緊張していたものだが、さすがに今となっては勝手知ったるものである。


「これで帝都の夏を乗り越えられるぞ。それに、みんなのいい稼ぎにもなるな」


 冗談を混ぜるて褒めると、参加者の間からくすくすと笑い声が漏れる。

 反応も悪くない感じだ。


 せっかくだし、作った氷の一部を使ってアイスコーヒーでもふるまってやろうか。

 そう思ったところで遠くから近付いて来た集団の喧騒が俺の耳に飛び込んできた。


『おい、みんな見てみろ。あのアホどもの顔を』


 不快な響きに俺の思考が凍り付く。


 イゾルデとの会話で完全に油断していた。

 くそったれ、逃げる前に厄介事が向こうからやって来やがったか。

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