第108話 学問のすゝめ~前編~
「クリストハルト・フォン・アウエンミュラー。お呼びにより
「なんだね、随分かしこまるよねぇ、クリストハルトくん。そんな喋り方をしなくても、受講している講義がない日に呼び寄せたのは悪いと思っているよ」
部屋の扉を開けながら放った皮肉交じりの挨拶。
それに対して、飄々とした印象を受けるややハスキーな女性の声が出迎え、俺の耳朶を柔らかに打つ。
独特の返しを受けて、ドアを閉めて声のした方に向き直った俺は、返事代わりに苦笑を浮かべた後で小さく肩を竦めて見せる。
さて、俺は現在、高等学園の敷地内――――教員に与えられた研究用の個室がある研究棟にいる。
研究という言葉から何となく察しがつきそうなものであるが、高等学園という名を持ってはいるものの、その中身は初等学園や中等学園のような貴族向け教育を行う機関とは大きく異なり果断にも学術方面にシフトしている。
魔法、錬金術(化学)、政治、経済(いつの間にか浸透していた)など、それぞれの分野で帝国の将来を担うであろう人材を育成するためだ。
とはいえ、この教育機関が掲げられている理念通りに機能しているかは正直疑わしい。
なにしろ、実際の国政は帝国議会により動かされており、言ってしまえば、意思決定の重要な場において官僚の意思が反映されにくいのだ。
有力貴族のブレーンにここの出身者がいればまた違うのだろうが……。
いずれにせよ、今の時点では主流となる派閥の貴族および家臣には高等学園出以上の学歴を持つ人間がいない。
結局はこれは認識の違いだった。
簡単に言えば「平民と混ざって勉学などというが、所詮は領地を継げない貴族か無能貴族の暇潰しで意味のあるものではない」くらいに考えられているのだ。
とんでもない言いがかりだとは思うが、この世界での学問の扱いは残念ながら未だそんな認識だ。
……言いたいことは山ほどあるが、諸々はこれからに期待しておこう。
「それにしても、クリストハルトくんも物好きだよね。貴族様とあろうものがよく錬金術なんてやるものだよ。そもそも君は軍人志望じゃなかったかい? 2年生のこの時期まであんなコトをしてて良いのかい?」
あんなコトとは、この部屋の外――――生徒たちの研究室で行われている氷結魔法の練習をしていることについて言っているのだろう。
練習とは言うものの、実態は高等学園で魔法や錬金術を学ぶ魔法適性のある生徒の特権とも言える小遣い稼ぎである。
ちなみに、一緒に学園まで来たイゾルデは、参加メンバーへの魔法の指導もかねてそちらに出てもらっている。
「そりゃ貴族だからと椅子にふんぞり返ってて国や実家が豊かになるなら、いくらでもそうしますけどね。しかし、そうも言ってはいられないでしょう? 人材の確保は急務ですよ」
「耳が痛い言葉だね。もうすこし人材というものを大事にしてほしいとはわたしも思っているけれど……」
周知の通り、高等学園には平民が比較的多く在籍している。
その中でも、魔法などの才能を持つ生徒には富裕層出身でない人間も含まれている。
これは自分たちの子どもが発現した才能を埋もれさせないようにと親たちが無理をするからだろう。
そうした家庭事情の生徒が、比較的円満な学園生活を送るための足しになればと、こっそりスポンサーである帝室派を通した根回しで魔法を使った副業を認めさせたのだ。
これは金銭的な事情によるドロップアウトを防ぎ、将来的に有能な人材を確保するための手段である。
奨学金制度も考えたのだが、「平民に甘い」と貴族派からの反発が大きかったのと、帝室派貴族からも大きな賛同を得られなかったため断念した経緯がある。
まだまだ学問の門戸を広げるには諸々の課題が多い。
「先生のせいではありませんよ。まぁ、軍に関しては……もう少し我慢しろと国許が言うものだから、軍事技術に使えそうな錬金術の発見でもできればそれを土産に……とでも思ってますよ。それに、貴族様って皮肉は止してくれませんか。それについては先生、あなたも同じでしょう?」
俺が皮肉は交えつつも本心からそう言うと、何が面白かったのか彼女はケタケタと笑う。
「わたしのような、帝室派に辛うじて属しているに過ぎない家の人間はいいのさ。家督を継がないなら尚更だよ」
帝国高等学園錬金術科の教員が、よくもまぁ言ったものだ。
こちらを探るような笑みを湛えた彼女の名前は、コンスタンツェ・フォン・キルヒナー。
背中まで届く流れるようなストレートの銀髪に切れ長な鳶色の瞳。
飄々とした喋り方をするのとは反対に、知性を感じさせる線の細い容貌に最近帝都で売り出さはじめた眼鏡をかけているため、余計に学術肌の人間という印象を強めていた。
喋ってみると見た目と中身のギャップが強いと感じるタイプの人間だ。
ちなみに、ギャップついでに言えば、彼女は伯爵家というそれなりの高貴な身分に生まれた身でありながら、根っからの学者肌だったがために魔法大学まで卒業し、錬金術に傾倒し過ぎて嫁の貰い手がなくなったいわく付きの人間である。
まぁ、彼女の名誉のために言えば、この世界は結婚年齢が早いので22~23歳でも行き遅れ扱いされてしまうのだ。
しかし、誤解してはいけない。
研究者としての能力はすこぶる優秀なのだ。ただ悲しいかな、あまり世間の理解を得られていないだけで。
一方の人間性は…………まぁそれでもいいと言える度胸のある貴族が居なかった時点でお察しだろう。
「もしも先生が男で家督を継いでいたら、今頃家は傾いてたでしょうね」
会話をしつつ、俺はサッカーで言うなら“誘うようなディフェンス”を受けている気分になる。
だが、あまり性別やら――――特に年齢あたりに突っ込みかねないような話題を持ち出すのは避けるべきだ。
こう浮世離れしては見えても、コンスタンツェは妙齢の女性である。どこかにある地雷でも踏み抜いてしまってはコトだ。
無難に研究方向にでも持って行こうと話題を逸らしにいく。
「ははは、わたしもそう思うよ。この先も研究を好きにやりたかったら、資産家の貴族と結婚しなくちゃいけないかもねぇ」
なんで、自分から微妙な方向に軌道修正して持って行くんだよぉぉぉっ!!
俺の内心でのツッコミを余所に自らそう言って、何やら意味ありげな視線を送って来るコンスタンツェ。
その瞬間、俺の背筋に寒いモノが走る。危険センサーがビンビン反応してますよコレ。
「そういえば、クリスハルト君の家は侯爵家で、お父上も帝国議会の上席議員にして中央直轄軍のお偉いさんだったよね?」
そういえばとか使って、話題を強引に変えるのは良くないと思う。しかもなんだか説明的だし。
本人はギャグに聞こえるように喋っているのだろうが、コンスタンツェの目は全然笑っていない。
俺の壮大な勘違いでなければ、これは軽くロックオンされている。
あぁ、ドラゴン娘以上の肉食系がここにおったか……。
「ネタとしては面白そうですが、トラブルの種はもう間に合っていますのでノーセンキューでシクヨロ」
「時々、君は不思議な言葉を使うねぇ。……さて、話を戻そうか」
今日はここまでにしておいてやるかとコンスタンツェは笑みを浮かべて話を切り上げる。
「わざわざ抜けてきてもらったのはほかでもない。今、この学園には『大森林』からのお客様一行がいらしていてね。教員は対応に追われているんだよ」
その割にあなたは研究室にいるのだけれど。
「それでね、クリストハルトくん。ただでさえキミは短気なんだから、間違っても彼らにケンカなんて吹っかけちゃだめだよ」
「用件ってのはそれでしたか……」
微妙すぎる話題からシフトして本題を切り出したかと思えば開口一番にこれである。なんと信頼がないことか。
そもそも中東学園からここまで俺が起こしたとされる問題は、すべて不本意ながら已むに已まれぬ理由で当事者になっているものだというのに。
まぁ、中等学園からの異名が引き続いている関係で、貴族という井の中の蛙で有名なんだとやっかんだ平民出身の生徒が、俺にケンカ売ってきたのを肉体言語で“教育”してやったとかはあるが、それだって俺が悪いわけじゃない。
「視察ですか? 初耳なんですけど。しかも、あの高慢ちきで天下に遍く有名なエルフたちが?」
さすがに不本意な悪評なので反論しても良かったが、本題に移ったのに話が進まないのでは本末転倒なので素直に諦める。俺にとっては今更だ。
「そういうことは、思っていても口に出すものではないよ。まぁ、本音で言えばわたしも概ね同意見ではあるがね。いったいどういう変化かと思っているくらいだよ」
エルフ絡みで何かあったのか、コンスタンツェの声には飄々とした彼女には珍しく疲労の色が滲んでいた。
あらやだ、意外に常識人枠(当社比)じゃない、このヒト。
「要するに政治ですか」
「聡いね。貴族派が変な動きを見せるより早く、帝国は『大森林』と友好関係を結びたいのだろう。教会との関係もいつぞやからあまり良くないみたいだし。その辺り、お父上から聞いてはいないのかい?」
あまり興味はないけど立場上無関心でもいられないといった様子だ。
人格に多少の難があるとはいえ、コンスタンツェとて貴族の青い血が流れているというわけか。
「聞いてないですね。うーん、最近まともに話してなかったからなぁ……」
議会絡みで忙しいのか、ヘルムントは最近屋敷を不在にしていることが多い。
こちらになにも相談がないということは、マジでヤバそうなトラブルは起きてないのだと思いたい。
だが、俺なりに考えてみれば、コンスタンツェの言いたいことはなんとなく想像がついた。
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