第3章~トラブルは続くよどこまでも~

第106話 春過ぎて 夏きたるらし~前編~


 俺の2回目の人生最大の事件と言えた“勇者召喚事件”と、それに付随する貴族派との水面下での争いから1年と半分近くが過ぎ、巡り巡った季節は、本格的な夏を目前としていた。


「あー、なんともヒマだー」


「うーん、なんともヒマですねぇー」


 帝都の平民街にあるカフェテラスに設けられたバルコニー席で、俺は椅子にだらしなく座って呟く。


 燦々と降り注ぐ陽光が、人々のやる気を奪ってくれる時期になってきた。

 それを少しでも防ごうとして――――というよりは単純に喉の渇きを潤そうと、目の前にはよく冷えたアイスコーヒーが鎮座している。


 ちなみに、これに使われているコーヒー豆は俺が『お取り寄せ』したものではなく、アウエンミュラー侯爵領西部から先の方面を密かに開拓してくれてる文明化ゴブリンさんたちが発見してくれたものだ。

 彼らはそのまま食ったりして、ジャコウネコでもないのにコピルアクを生産していやがったようだが、それでは勿体ないととりあえず生の豆を買い取って職人に指導して焙煎させ、少しずつ新たな嗜好品として帝国内に出回らせつつある。


 あ、氷は見習い魔法士さんたちがバイトで頑張ってくれたヤツです。


「でも、このコーヒーは美味しいですよ、兄さま」


 隣には我が妹であるイゾルデがまったりとしている。


 先ほどまで、俺はイゾルデの買い物に付き合わされていた。

 まぁ、家族サービスならぬ妹サービスというわけだが、やはり女性の買い物というのは前世から得意とは言えなかった。

 もちろん、ここで機嫌を損ねては本末転倒になるので、そこはおくびにも出さない。


 さて、そんなイゾルデもこの1年半で13歳を過ぎ、急に大人びた成長を見せ始めた。


 身長は155㎝を超え、顔立ちも全体としてはハイデマリーの柔和さを漂わせつつ、少しだけ目元や鼻梁あたりにヘルムントの鋭さを含有している。

 また、その身体にも幾分か女性的な曲線が増えてきたように感じられる。

 幼少期より煌びやかな美しさを誇っていたプラチナに近い緩いウェーブを描く金色の髪は、未だに一切の衰えを見せることもなく、それどころかますます彼女の持つ潜在的な美しさを引き立てつつある。


 そんなイゾルデは、髪をサイドで二つにくくり肩まで垂らす――――現代日本でいうツインテールにした上で、高等学園の制服に身を包んで椅子に腰を下ろし、その綺麗な足をプラプラさせていた。

 俺の悪い癖が移ってしまってやいないか、ちょっとだけ不安を覚える。


 そういえばこの制服、妙に地球のブレザーに似ているのだが何故だろうか。


 ……まぁ、正解は衣服に関しても帝室派の貴族を使ってテコ入れをしていたからである。

 自分が学園に入って制服を着る立場になり、それまでのローブを基本にしたものがあまりにもダサいと感じたためだ。


 当初の予定にもあったように、平民の金銭的な所得が上がるよう色々と考え、それを実施したところ、徐々にではあるが、衣服――――つまるところ、その原料となる綿などの増産がその中で得られた成果のひとつだ。

 それらが、帝国の服飾関係を取り巻く事情を徐々にではあるが変えつつある。


 まぁ、高等学園の制服に関しては、貴族と平民が混ざる珍しい場所なので、あまり身分が恰好でわかるようにはしたくなかったのもある。

 服のデザインが特定の層にウケれば、人はそれを勝手にステータスと思うようになる。

 そして、それが平民でも纏うことのできる制服ともなれば、その集客効果も顕著ともなろう。

 これを野心と言ってしまってはいささか大袈裟だが、ステータスに憧れる向上心というのも大事なもの。


「不謹慎だけど、平和すぎるってのも考え物だなぁ。こういう時こそ人は良くないことを考える」


「あれ、貴族派の動きでもあるんですか?」


 アイスコーヒーを大量のミルクでカフェオレ風にしたものをくぴくぴと飲んでいるイゾルデが疑問を挟んでくる。


「いや、“アレ”からは静かなものさ。だからこそ何かしてる気もするがな」


 あれから、貴族派は内ゲバで一旦崩壊寸前まで追い込まれた。

 一応ではあるが、当時の首魁であったバルヒェット侯爵がで死んだことにより、次のトップは自分だと主張したがる高位貴族を中心に内部での権力争いが激化。

 それぞれが、互いのドス黒く染まった腹の中に手を突っ込んでそれを外に撒き散らすのだから、それはもうとんでもない結果を生み出した。


 告発に次ぐ告発。

 殺られる前に殺れとばかりに、同じ派閥内での暗殺も入り混じり、さながら泥沼の争いを繰り広げることに。なんというマッポーの世か。

 今考えてみても、よく構成員同士で戦が起きなかったものである。

 まぁ、その切っ掛けを作った人間が言っていいセリフじゃないとは思うが。


 しかし、この展開を最も高確率で起こる結果として予想したからこそ、先の事件を仕組んだバルヒェット侯爵家当主の暗殺を決行したのである。

 そうでなければ――――それこそ、貴族派内部でただの首のすげ替えだけに終わるようであれば、家族を片っ端から殺して回るマフィアのようなことをしなくてはならなかった。


 すくなくとも、俺は賭けに勝ったのである。


「なにしろ、あの人が戻って来やがったからな――――」


 だが、そんなボロボロとなった貴族派にも転機が訪れる。

 このままでは貴族派そのものの存続が危うくなるというところで、ある人物が帝都に帰還した。


 クラルヴァイン辺境伯。

 帝国南部方面軍を掌握している貴族派――――というよりも、帝国(と自分の領地)の発展のために対外侵攻を唱える帝国最強硬派の貴族にして、帝国軍全体を完全掌握するべく暗躍していた、俺にとっては梟雄とも言うべき存在だ。

 そして、数年前のこととはいえ、俺の婚約者であるになる前のベアトリクスを害そうとした人物でもある。


 あの竜峰の時でさえ、証拠を一切残さなかった見事な手際は健在だった。

 今回にしても、自身にとって成り代わりを図ろうとした邪魔な2番手がいなくなるような絶好のタイミングを見計らっていた可能性すらある。


 事実、見事なタイミングで颯爽と帰還した彼は、内ゲバでガタガタになっていた貴族派の屋台骨を瞬く間に建て直した。

 むしろ、以前よりも拝金主義的な貴族のいなくなった派閥をまとめ上げ、その結果として、彼らはより先鋭化していると言えた。


 ちなみに、バルヒェット侯爵の死に関しては、当然ながら対抗勢力たる帝室派の関与が疑われたが、その方法が一切謎に包まれていたため貴族派は強い追及ができないでいた。

 また、新たに首魁となったクラルヴァイン辺境伯にしても、どういう思惑かは推測の範囲を出ないが、邪魔な存在を消してくれてありがたかった部分があるのだろう。

 その時点で帝室派の勢いを殺ぐために暗躍することは、帝国全体の混乱につながるとでも考えたのか静かなものであった。

 彼の人物は、あのように過激派扱いをされつつも本人なりに帝国の将来を思ってはいるのだろう。


 だが、いつかはなにかしらの問題で事を構えるかもしれない。


「高等学園の制服着てるのに、そんな堂々と政治の話なんてしちゃっていいのかしら……」


 向かいに腰を下ろしていたベアトリクスが、俺たち兄妹の物騒な会話を聞いて、優雅な所作で紅茶を啜りながらも呆れたような声を出す。


「雑談だよ、雑談。学生やるのも結構ヒマなんだ。まぁ、平民と混ざる高等学園っていっても、貴族にはまだまだ甘いもんだな。これじゃあ高等教育機関の名が泣いちまうぜ」


「上級貴族の子弟が卒業できなかったなんて日には大きな問題になるでしょうからね。予防策を講じてるのではないかしら。すこし、残念よね」


 あれからベアトリクスは、高等学園を無事に卒業した後、エンツェンスベルガー公爵家の領地へ戻り執務補佐を担当するようになった。

 花嫁修業ではないのがミソである。


 一時は、俺と共にいるための場所を鉄火場での戦いに求めていたりもしたが、今後はそれだけでなく政治的な部分からもサポートするためだという。

 まぁ、そういう考え方をしてくれたのは喜ばしいことだと思う。

 とはいえ、ヒマがあれば適性のある狙撃手としての技能は磨いているようなので、一概に落ち着いたとも言いにくいのだろう。


 今日は、たまたまエンツェンスベルガー公爵と一緒に帝都に来ている日だったので、こうして外で会っているわけだ。


 上級貴族の子弟が揃いも揃って護衛も連れずにいるのは不用心なことではあるが、周囲に怪しい動きがないかは、全て俺とイゾルデの『探知』で探っているし、この場の全員がそれなりに銃で武装をしていた。

 帝国で一番危険な貴族子弟だと胸を張って言える面子だ。

 もっとも、そんなことでいいのかについてのコメントは控えておくが。


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