第101話 いどむ明日に吹く風は


「我が国に赴任してきたばかりのビットブルガー大司教が亡くなられたという話だな」


「なんでも『勇者』を失った責任を取らされたらしいぞ。教会で緘口令かんこうれいを敷いているが、情報はもう各所に漏れ始めているようだ。まぁ、現にこの部屋にも伝わっているくらいの杜撰ずさんさではある」


「それは本当か。では、公爵家に恩を売り付けた『勇者』を旗頭として貴族派の勢いを盛り返すという我々の計画は……」


「白紙撤回ということか。ふん、聖堂教会も案外権勢を誇る割には大したことがない」


「まぁ、待て。あまり大きな声では言わぬほうがいい。あの『聖務卿』の耳にでも入れば別の意味で面倒だ」


「フン、神の威光とやらをかさに偉そうに。彼の御仁さえ戻られれば、教会派などと手を組む必要さえないというのに……! 忌々しいは帝室派の者どもよ」


 暗い部屋の中で、声量を絞るようにして放たれた声がいくつも生じる。

 ひとつひとつの声は小さくとも、それが十を超えてくればざわめきの波は大きなものとなる。


 ここは帝都クレストガルド貴族街のとある場所――――と言っても有名貴族の屋敷……の隣にある空き家である。

 建築様式も当代のそれではなく、それなりの歴史を経てきた由緒あるものだった。

 そんな古めかしさを感じさせるにもかかわらず、不思議なことにこの屋敷には現在誰も住んではいない。


 だが、そんな誰も住んでいないはずのこの屋敷では、密かに帝国貴族派中枢メンバーによる会合が開かれていた。


 建物の中で、そのような集まりが催されていることをひた隠しにするかのように、本来は陽光が差し込み部屋の中を陽光で包み込むはずの大きな窓は固く閉ざされている。

 まるで春が近付いていることを感じさせる外の朗らかな空気を忌むべきものとするかのようですらあった。


 そこに集まる彼らの立場を象徴するかのように、お互いの顔もはっきりと映らぬよう蝋燭は高所に備え付けられている。

 それぞれが座る席次により、正式なメンバーのみが、その身分と身元が大よそわかるようになっていた。


 そして、ここでは名前を呼ぶことすら禁じられている。

 どこに間者が潜んでいるかわからないためだ。


 とはいえ、名前を呼び合わぬ集まりだからこそ、個々人の口は幾分か軽くなる傾向にあるようだ。


「ともかく、聖堂教会の計画は失敗に終わったということだ。しかし、これは前倒しも同然のこと。本来の計画通りに『大森林』への侵攻を果たし、真なる『勇者』が現れるのを待つだけだ。今回の件で帝室派の動きが目立つかもしれぬが、貴卿らには今まで通りそれぞれの役割を果たしてもらいたい」


 上座に座り、それまで集まった面子が喋るがままを許していた男が、場をまとめるように口を開く。

 それが総括となったか、それ以上の発言や議論などが起きることもなく、会はそこで終了となった。








                 ◆◆◆








『――――貴卿らには今まで通りそれぞれの役割を果たしてもらいたい』


「させるかよ、んなこと」


 スピーカーから聞こえてくる声に俺は小さく呟いた。


 もちろん、俺の声はこの男には届かない。

 今現在、俺がいるのは侯爵家別邸である。

 この音声は、同じ帝都内のある所から引っ張ってきているからだ。


 さて、何故この会合の存在を突き止められたか。そこにはちょっとしたカラクリがある。


 実は、貴族派の動きを把握するため、高性能発信器を可能な限り『お取り寄せ』し、貴族派主要人物たちの家の馬車に片っ端から仕掛けようと思ったのだが、よくよく考えたら位置を特定するためのGPS衛星がなくて断念していた。


 ちなみに、俺が現在持つ総魔力量の50倍ほど突っ込めば、この世界用にローカライズされた衛星を軌道上に『お取り寄せ』できるらしいが、あまりにもアホ過ぎ且つ物理的(魔力的)に不可能なため諦めた経緯がある。

 いや、あるとめっちゃ便利なんだけどね。


 その代わりになるものはないかと色々と考えた結果、まず最初にテレメトリ発信器による探知を思いついた。

 GPS版と同じく対象の馬車に発信器を取り付けておき、帝都の2点以上に指向性アンテナを設置。

 それをUAVを使って作っておいた帝都の地図に落とし込み、電波の一番強い方向を探知し、その交点により場所を特定する方法だ。


 これが一番良いと思ったが、ひとつだけ問題が生じた。

 アンテナを複数個――――別邸も含めて怪しげなモノが設置されていると警戒されないかを危惧したのだ。

 貴族派・教会派と事を構えている微妙な時期でもあるため、変な儀式用のモノとでも風評を流されるわけにはいかず、こちらも泣く泣く見送ることに。


 再び様々な人間から意見を求めた結果、この世界の魔道具で『陰陽の契り』と呼ばれるモノを利用したのだった。

 簡単に言えば、受信機と送信機のペアになっており、受信機で対象が大体どちらの方向にいるかがわかる割と優れモノなアイテムである。

 これを発信器の場合と同じ方法で運用することにしたのだ。

 まぁ、おおよその距離しか判別できない割に高価なため、存在はするもののそれほど利用はされていないらしい。

 逆に知名度がないぶん露見にしにくいとも言える。


 そして、俺たちは動き出した。

 それら魔道具を当初の予定にあったように主要人物数名の馬車に取り付け、それらが一斉に動き出す日を待って彼らの落ち合う場所を探ったのだった。

 尚、俺の使用した以外――――本来の用途として使われるケースは、高価な奴隷の首輪に付けて逃亡を防止するのだとか。

 実に殺伐としたファンタジー世界らしい使い方である。


「しかし、よく突き止めましたねぇ。その会合の場所」


 俺の向かい側に腰を下ろし、紅茶を啜っている少年。

 現在、この世界に一人だけいる『勇者』ショウジが感心したように呟いた。


 ブラックコーヒーが苦手だという割には紅茶を飲む姿はサマになっている。

 きっとこれも『勇者』パワーですかね、けしからん。


「肝心の仕上げは、イリアに協力してもらわなくちゃ厳しかったよ。本格的に情報要員として雇用契約でも結ぼうかね」


「イリアも喜ぶことでしょう。なにせ行くアテもないみたいですから」


 そう言って、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべるショウジ。


 どうもあの『勇者』事件で修羅場をともにくぐったからか、彼はイリアに対して同情的なのだ。


 俺としては少々甘いと思うのだが、たとえ同情であってもショウジにとっては何かしらの感情を向ける相手がいるというのは悪いことではない。

 まぁ、俺自身もきちんと納得していることなので問題はないと思う。

 もし裏切られるようなことが起これば、こちらの考えが甘かったということなのだ。


「そりゃもう奴隷じゃなくなったって言っても、ヒト族圏のど真ん中で放り出されたら、生きていくのだって楽じゃないだろうしなぁ」


 あの後、行くあてさえなくなってしまったイリア。

 だが、彼女のヒト族にない優れた身体能力は正直魅力的であった。


 戦で奴隷になった経緯もあって、ヒト族に対してあまり良い感情は持っていないようだが、少なくとも数日間に渡る衣食住の恩を無視するほどではないらしく、対価を払う形での協力には応じてくれた。

 実際の働きとしても、彼女の持つ優れた嗅覚で対象の位置を突き止めてくれた功績もあり、ゆくゆくは侯爵家子飼いの諜報員となり情報収集にあたってもらおうかと考えている。


 本来、こういう裏の仕事は暗殺者ギルドやダークエルフの集団が得意らしいが、そちらにコネはないのと下手に接触でもして余計なしがらみを作りたくないので、身近な所で動ける人間を探していたのだ。

 働きに応じて報酬を出すギブアンドテイクな繋がりにはなるが、下手に信頼関係を構築してなんてやってくよりも手っ取り早いと思う。


 まぁ、奴隷から解放してくれた俺には殺されかけた意識もあってそこそこだが、ショウジには割と懐いているフシがあるため、付き合っていく中で信頼関係は別途構築できれば良いくらいに思っている。

 それに、裏切られる可能性にしても、実はそれほど心配してはいない。


 イリアはその境遇から故郷に戻れない。

 そんな彼女に、こちら側がこの世界水準では厚遇とも言える扱いをすればどうなるか?

 獣人への風当たりがお世辞にも良いとは言えない帝国では有力者の庇護下にあるというだけでとんでもないアドバンテージとなる。

 そして、その時点で本人も気付いているはずだ。自分が人類圏でトップクラスに恵まれた獣人であると。


 つまり、そんな超高待遇を捨ててまで裏切るメリットが存在しないのである。


「まぁ、親父に話は通しておくよ。……さて、いきなり話は変わるが、ショウジにもぼちぼち銃の使い方を覚えてもらおうと思う」


「ホントいきなりですね。いいんですか? 『勇者』が『神剣』以外を使っても」


 俺の言葉に居住まいを正すも、ショウジは特段イヤそうな素振りは見せなかった。

 まぁ、男の子で銃が嫌いってよっぽどでもなきゃないだろうしね。


「知ったことじゃねぇよ。RPGのゲストキャラみたいに装備が固定されてるわけでもあるまいし」


「そうですけど……」


「そりゃ基本的には、この世界では『神剣』が一番強力だ。魔力を吸収したり無効化したりする反則武器だからな。この世界での強力な攻撃手段のほとんどに魔力が使われている以上、『勇者』が世界最強の存在と言われるのも頷ける」


 さすがに、魔力もクソもない超質量で攻撃されると肉体の耐久力が勝負を左右することになるが、そこは『神剣』の基礎能力へのブーストである程度は軽減されるらしい。

 うん、俺が言うのもなんだけど反則過ぎるな、『勇者』。


「何を申すか、絶対に妾の方が強いぞ」


「裏ボスは黙ってどうぞ」


 それまで黙って紅茶を啜っていたティアが口を挟んできたので、すげない返事で黙らせる。

 地図の内容が大きく変わったりしそうなんで『勇者』に対抗意識燃やすの止めてくれませんかね、ティアさん。


「《神魔竜》は歴史に干渉しないんだろ? なら『勇者』とカチ合うこともないんじゃねぇのか」


「たしかに、《神魔竜》は星の行く末を見守る存在を名乗っておる。さりとて、妾はクリスに関わって生きていくと決めたからのう。竜峰に引きこもっておる連中のことなど知らぬ」


 そう言って、扇子で口元を隠しながらのほほほほと笑うティア。

 コイツ、間違いなく『魔王』より厄介だぞ。いいのか、こんな究極生物野放しにしておいて。


「まぁ、この歩く大災厄アルマゲドンは放っておいて、と。早速、銃器については実地訓練をしたいと思っている。三日後に帝都郊外でな」


「? 何故三日後なんです?」


 俺が思い立ったが吉日とばかりに行動に移す人間だと知っているショウジは、わざわざ日にちまで指定してきたことに対して不思議そうな顔をして尋ねてくる。

 だから俺は精一杯不敵に見える笑みを浮かべて口を開く。


「貴族派のアホどもに意趣返しをカマしてやるからだよ」

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