第92話 そうだ、お礼参り行こう~前編~
ガリアクス帝国は帝都クレストガルド。
三代前の皇帝が帝国の持てる建築技術の粋を集め、財政を傾けかけてまで造ったと言われる皇帝の居城『千年宮』を象徴とした、人類圏でも五本の指に入る屈指の大都市である。
その帝城からひとつ外側のエリアとなる貴族居住区のはずれ――――商業地区にも近い場所に、聖堂教会帝国支部の建物は存在した。
クリスなどに言わせれば、
「ええい、シンヤはまだ戻らないのか……。たかが帝国貴族の潜り込ませた間者の一人や二人、『勇者』とあろう者が捕まえられずにどうするというのだ……!」
自分以外に誰もいない部屋だからであろう。
苛立ちを隠そうともせず神経質そうな表情で椅子へ腰を下ろし、執務机の天板を指で叩くビットブルガー大司教。
それもそのはず。
護衛の任から途中で外させてでも間者を仕留めて来いと送り出したシンヤが戻らなくては、聖堂教会本部にいる彼の上司――――枢機卿に報告するための書類が仕上がらないのである。
実際、机の上に広げられた羊皮紙の報告書は、既に大半を書き上げてはあったが、『勇者』に関する項目だけが白紙同然であった。
苛立ちの原因はそれだけではない。
ビットブルガー大司教が帝都に着いてまだ二日目だ。
新たな仕事部屋に慣れていない上に、今いる空間が不満だらけなのも彼が落ち着きを欠いている原因のひとつであった。
「いくら聖務とはいえ、何故私がこのようにみすぼらしい場所で……」
内心にまで踏み込んで言えば、前任者であるケストリッツァー大司教の趣味にまでケチをつけていた。
教会公認の宗教画家が描く、聖人認定された過去の偉人たちの絵を飾っているわけでもなければ、装飾品や調度品も二流どころか下手すれば三流レベルの物しか置いていない。
客観的に見ても適度に落ち着いた部屋であり、決してそんなことはないのだが、ビットブルガー大司教は殺風景とさえ評していた。
仮にも神の地上代理人である聖堂教会の大司教たる自分が居るべき部屋ではないと。
だが、諸々に苛立ちを覚えてもそこで焦ったりはしない。
感情に突き動かされ不用意に焦って動いたりしないからこそ、彼は年若くして大司教の地位に昇り詰めることができたのだ。
過去何人も枢機卿を輩出してきたような家柄が良いだけの人間など、聖堂教会には掃いて捨てるほど存在する。
聖堂教会本部は魑魅魍魎の巣窟も同義だった。
「『勇者』を使った国への影響力の強化か。その先駆けとして上手くいけば、将来の教皇とてまんざら夢ではないな……」
輝かしい未来を想像してか、ビットブルガー大司教の整った口唇が笑みの形に歪む。
帝国第二位の勢力である貴族派を取りまとめる連中とも、既に面会の約束を取り付けてある。
あとはシンヤが貴族令嬢と思われる少女を確保して戻って来れば、既定の通りに進めるだけだ。
そして、この浸透計画が成功すれば、近年稀にみる教化活動として注目を浴びることができる。
そうなればこんな寂れた部屋とも永久におさらばだ。
いや、それだけではまだ足りない。もっと意欲的な仕事をせねばならない。
それこそ、聖堂教会の威信を遍くに知らしめるべく、帝都の聖堂を今の物よりも更に大きなものとしてやろうではないか。
それは教会と自分への名声と共に永遠に残るのだ。本部の大聖堂に次ぐ規模でも良いかもしれない。
そんなビットブルガー大司教の華麗なる出世プランが彼の脳内で凄まじい勢いで展開しているところで、突如として部屋の中に謎の音楽が鳴り響いた。
ちゃらら~ ちゃららららら~らららら~らららら~♪
「なんだ、この音楽は!?」
弾かれたように辺りを見回すも、部屋の中には何もない。
いや、よくよく耳を澄ませてみれば、その音楽は部屋の中からではなく、扉の向こう――――廊下から鳴っているようであった。
しかしながら、廊下には教会の僧兵が護衛として歩哨に立っているはずである。
いったい何をしているんだと思い怒鳴り散らそうと思ったところで、それに先んじて声が聞こえてきた。
「ひとつ、人の世の生き血を啜り」
「ふたつ、不埒な悪行三昧」
歌劇のセリフを思わせる声に、ビットブルガー大司教は状況が呑み込めず完全に固まってしまう。
――――何故ここでこんなわけのわからないものが聞こえてくる? 私は疲れているのか?
苛立ち過ぎたあまり、幻聴でも発生したのかと思ったところで、そう簡単に現実逃避はさせないとばかりにゆっくりと扉が開く。
「みっつ、醜い浮き世の悪を、退治てくれよう」
薄絹の衣をベールのように纏い、背後を向いて現れた人影。
ビットブルガー大司教の方を向き、その人影は勢いよく衣を取り去る。
「お前は……」
いるはずのない人間の姿に、思わずビットブルガー大司教の顔が驚愕と幾分かの恐怖に歪む。
そこには、彼の鬼札である『勇者』シンヤ・カザマを放ってまで、息の根を止めようとした帝国の冒険者――――『クリス・バッドワイザー』が、背筋が凍えるような柔らかながらも鬼気迫る笑みを浮かべて立っていた。
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