第88話 コミュ障の明日はどっちだ!


「お前は世界の中心でも何でもないよシンヤ。現に教会に言われるまま、何も考えず帝国に手を出そうとしている。わかるか? お前がこうして考えなしに動くだけで、人が死んでいるんだぞ。それはゲーム画面に表示される数値や物語の裏側での出来事じゃない。その自覚さえないお前が『勇者』をやっても、世界を混乱させるだけだ」


 さすがに両者ともに肩で息をし始めた頃、ショウジがおもむろにシンヤに向けて口を開いた。

 時間稼ぎではなさそうだ。

 シンヤに幾つかの手傷を負わせてはいたものの、それも身体能力を低下させるほどのレベルではないし、『神剣』の加護で少しずつ回復していくことは承知の上なのだろう。


 はっきり言って、決定打には欠ける状態である。

 『神剣』を持っているのと持っていないのでは、基礎体力のブースト具合が違うのかもしれない。少しでも息を整える時間を稼ぎたいのだろう。

 そして、対するシンヤもこんな状況だけに冷静にはなれなかったのか、ショウジの言葉に過剰に反応をしてしまう。


「真っ先に逃げて何も知らないくせに、偉そうなことを言うな! 魔族さえ倒せば、別に誰が何人死のうと構わないんだよ! それで僕は『勇者』で……英雄ヒーローになれるんだ!」


 それは、あまりにも幼稚で傲慢な理屈であった。

 それでも、シンヤにとっては心の底からの渇望なのだろう。


「いい加減、現実を見ろシンヤ! お前がやってることは、ただこの世界を自分たちのために掻き回そうとする連中の片棒を担いでいるだけだ! なんでそれがわからない!」


 冷静なようで冷静ではいられない。

 ほんの少し大人になった少年ショウジも、やはり自身を完璧に御せるわけではなく、シンヤのあまりにも身勝手な言い分に激昂してしまう。


 そうして、どちらからともなくまた打ち合いを始める二人の『勇者』たち。


 手傷を負わせた程度では全く気を抜いていないショウジに対して、既に余裕のない表情を浮かべているシンヤ。


 一目で劣勢に立たされているのだとわかる。体力は残っていても、気持ちの部分で負けかけているのだ。


 パートナーであるイリアを狙撃したことによってシンヤから勢いを殺いだ部分はあるが、それにしても先ほどの逆ギレとも言える感情の激発で、戦うには十分な勢いを取り戻したかに見えた。


 だが、それも長続きしなかった。

 結局、「RPGの主人公になった」くらいの気持ちしかないため、根本的に逆境に対する耐性がないのだ。

 それでよくもまぁ同級生のみならず俺たちまで殺そうとしたものだが。


 とはいえ、相変わらず両者の戦いは決定打に欠けていた。

 シンヤとショウジがこのまま斬り合いを続けたところで、最終的には『神剣』を持つシンヤが武器と体力の差によって勝つことになるだろう。

 予想していなかったことではない――――というよりも、ほぼ読み通りの事態となっていたが、その通りに進んでしまうのではあまりに面白味がない。

 俺も一石を投じるか……。


「さて、“ご主人サマ”の援護に行くか? 止めはしないぞ」


 そう言いながら、俺は改めて完全な治癒魔法をイリアにかけてやる。


 自分の身体がほぼ元通りに動くと判断するや否や、イリアは弾かれたように俺から距離を取る。

 一瞬、電気ショックの際にはだけた豊かな胸元が見え、悲しいかなそっちに視線がいってしまいそうになる。

 ヤベーな、これが暗殺者相手だったら死んでたかもしれない。


 大体、腰に佩いた刀の間合いを少し抜けたくらいだ。

 しかし、目の間にいる得体の知れない少年が、そんな間合いを超越した空間レベルでの制圧能力を秘めていることには気付いているのか、それ以上の行動をとろうとはしなかった。


 いつでも自分を殺すことができ、また殺されても不思議ではないことをしでかした自分に回復魔法をかけた人間へ、イリアは信じられないものを見るような視線を送ってきた。


 だが、それも一瞬のこと。

 すぐに何かを察したか、得心に至ったような顔へと変わる。


「……あなたの狙いがわかったわ。わたしをこんな風に治療してまで何をさせたいのか」


 衣服の乱れを整えて、治癒魔法のおかげで幾分か血色のよくなった顔をこちらに向けながら、イリアは核心に切り込んでくる。

 ふむ。アホな『勇者』のアホな奴隷かと思っていたが、思った以上に面白いヤツかもしれない。


「へぇ? 目の前で苦しんでいる人間を放っておけなかっただけだぜ? 聖堂教会にはない博愛の精神だろ?」


「……そういうことにしておきましょうか。でも、そんな慈悲深い人間は、あんな風に躊躇いもなく同胞どうほうを挽肉にはできないわ」


 嘯く俺に、イリアはこれ以上は無駄と思ったのか追及の手を緩める。

 まぁ、隠すほどのことでもないが、それでも敢えて口に出したくないこともある。


「まぁ、知っての通り、愛ってのは一方通行の感情でね。俺が仲良くしたくても向こうにその気がなかったからな。どうしても俺を殺したかったらしい」


 他種族の存在する世界にいなかった俺としては、同種族だからといって同朋と思うような甘っちょろい意識はまったくもって理解できないのだが、そこは話の流れを遮るだけなので言わないでおいた。


「耳が痛い話だわ」


 実際に殺そうとした人間から言われるのは多少なりとも堪えるのだろう。


「仕方ないさ。良く聞こえそうな耳をしているしな」


 ウサギの獣人ほどじゃないかもしれないが……と、俺がからかうように言うと、イリアはそれまでの警戒感を露わにした顔から一転、きょとんとした顔を浮かべた。


「……そういう言い方をされたのは初めてだわ」


 獣人族というだけで嫌悪の対象になることもあるヒト族圏では、向けられる言葉ももっと澱んで悪意のこもったものなのだろう。

 地球の人種差別も真っ青の他種族排斥主義が、長い年月によってヒト族国家の多くに染み渡っているのだ。


「種族の違いなんて不確かなモノ、あまり気にするものじゃないと思うが。言っちゃなんだが、所詮ヒトに毛やら何やらが生えた程度の差しかないしな」


 まぁ、相手のプライドを無視した乱暴な意見ではある。


 とはいえ、百年以上の寿命を誇るエルフや、運動能力に五感の優れた獣人などの差を毛の生えたようなものと断ずる人間は、この世界にそうはいないだろう。

 人間は、誰しも自分と違うものをとにかく恐れ排除しようとする。そう考えれば排斥主義に走るのも決してわからない話ではない。


 だが、正直どうでもいい。

 俺にとってそんなことは心底どうでもいいのだ。

 もっとシンプルで平和にこの生まれ変わった先の世界で生きていたいだけなのだから。


「アナタみたいなヒトがもっといれば、この世界でわたしたちも住みやすくなるのに――――」


 そう話すイリアは、少しだけ悲しげな表情を浮かべていたが、何故か尻尾だけは興味深げなものを見つけたか犬のようにゆっくりと左右に動いていた。


 ふむ、やはり真の感情を見るには、コレが一番わかりやすい場所なのか。

 でも、これじゃウソとかつけなさそうだな。


 しかし……こんな反応をされると、さすがに罪悪感を覚えてしまうではないか。


「そいつは止しといた方がいい。俺みたいなあぶないヤツはいない方が世界のためだよ。さぁ、もう行けよ。生き残ったらまたいつか話もできる。今はお前の中に積もったモノをどうにかするのが先だろ?」


 拮抗した事態を動かす必要もある。


 俺の言葉に少しの間逡巡したイリアは、小さく頷くと覚悟を決めた表情となり、俺の下からシンヤの方へと静かに駆け出して行った。


「イリア、治ったのか!」


「こっちに近付かないで!」


 回復した姿を見て抱きしめようと駆け寄ってきたシンヤに対して、明確な拒絶の意思を示すイリア。


「イリア……?」


 突然のイリアの豹変ともいえる変化に、立ち止まって戸惑いの表情を浮かべるシンヤ。


「隷属の首輪がなくなってても、あんな風に自分にすり寄って来るなんて思っていたの? おめでたい神経をしているわね」


「なっ……」


 シンヤの顏に呆然とした表情が浮かび上がる。


 イリアが何を言っているのか理解できないといった様子であった。

 うん、俺も呆然とするわ。別の意味で。


 普通、この状況でイリアがまともに復活するわけがないだろうに。

 あまりの察しの悪さに、コイツがタイミング良く今回俺たちに関わらなかったとしても、この世界でまともに生きていけたのかと思ってしまうレベルである。


「どうしたんだ? あれほど――――」


「北方のヒト族との戦で負けて奴隷に落とされただけでも屈辱なのに、ヒト族の慰み者になったなんてもう故郷にすら帰れないわ! 自害も禁じられている上に、反抗的な思考をするだけでも苦痛が押し寄せる……。こんな状況じゃ少しでも考えないようにして苦痛を遠ざけるしかなかった! わかる? その気持ちが! わかるわけないでしょうね! わたしの上で呑気に腰を振ってた『勇者』サマには!」


 積もり積もった感情を爆発させた後、ダガーを抜くイリア。

 その瞳には紛れもない殺気と憎悪の色が滲んでいた。

 俺たちに向けていたものなど比較にもならないほどの感情の奔流が。


「お前……、ボクを裏切るのか……?」


 一方、信頼を寄せていた存在にシンヤの顔にも、イリアのそれとは別の憎悪の炎が激しく燃え上がっていた。

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