第87話 主人公らしく振る舞う気が微塵もなくなってきたようです


「シンヤ、剣を取れ」


 それまでの――――覚悟を決めるまでの迷いを孕んだ口調から一転、澱みのない――ともすれば穏やかとも形容できる言葉を以って、ショウジは口を開いた。


「……なんだって? お前はこの状況が――――!」


「抜くんだ……!」


 放たれたのはただのひと言。

 それだけにもかかわらず、ショウジの周囲から見えない圧力が放出され、怪訝な表情を浮かべて反抗しようとしたシンヤを瞬時に黙らせた。


 ――――毛穴に突き刺さるようないい殺気だ。


 首筋にチリチリとくる感覚を受けて、俺は素直にそう思った。

 そう、サダマサの言葉を借りるならば、このあくまでも『人間』であること感じさせる殺気こそが


 ティアのような究極生物じみた殺気は、俺がまだ未熟なのがあるにしても、あまりにも圧倒的過ぎてそれはそれで

 あくまでも、殺し殺されるギリギリのせめぎ合いができるくらいの、彼我の能力の僅かな冴えが全てを決してくれる、そんな殺気が一番魂を震えさせてくれる。


 サダマサから訓練の中でそれを身をもって体感させられるまでは、まったく理解のできない感覚であったが、今となってはそれは俺の心の奥底に潜んでいる。

 そして、そんな素晴らしい死闘を予感させる殺気を、ショウジはこの世界で生き抜くうち身に纏うことができるようになっていたのだ。


「僕――――いや、はまだ生きている。の続きだ。どちらが『勇者』として、この世界で生きていくかはっきりさせてもらう」


 そう言って、覚悟を決めたショウジは俺が貸し与えた刀をシンヤに向けて正眼に構える。

 あまりにもまっすぐな視線と殺気。

 自ら戦うことを選んだ男の姿がそこにはあった。


「一度は……逃げておいたくせに、今更何を言い出すんだ! そんなことよりも早くイリアを――――」


「その少女の治療は俺が引き受けよう。取り急ぎ応急処置だけはしておく。お前がショウジに勝ったら、治癒魔法で完全に治療をしてやる。無論、勝敗さえつけば生死は問わない」


 シンヤの言葉を遮って、俺は交渉を持ちかける。

 このままイリアを見殺しにして無理にでも話を進めるという手もあるが、

 ショウジもそれを理解しているからこそ、俺の提案に口を挟まないのだ。


 一方、俺の言葉の意味を表面上だけでも理解することができたのだろう。

 ここにきてようやく幾ばくかの冷静さが戻ったシンヤの身体から圧力が放出され始める。


「ふざけるな……」


 シンヤの口から、それまでのものとは違うトーンの言葉が吐き出される。

 それと同時に、ヒリつく空気。


「ふざけるなよ! ようやく世界が僕を中心に回り出したんだ! 『勇者』だぞ!? RPGの主人公になれたんだぞっ!?」


 『勇者』の能力で増幅されたのか、もはや殺気と化した憎悪の感情をまき散らしながら、ショウジに向かってシンヤは立ち上がって吼える。

 遅まきながら、これでようやくシンヤも自身の持てるモノを出してきたことになる。


「それを……なんでお前みたいに、日本でも恵まれていたヤツなんかに渡さなきゃならないんだ! また世界は、僕からすべてを奪おうとするのか! 絶対に……絶対にそんなことは認めない!」


 しかしながら、心の底からの憎悪を叫ぶシンヤには、教会から持て囃されていた『勇者』としての威厳などどこにも存在しなかった。

 あるいは、最初から持っていなかったのかもしれない。

 ただ、今は自身の地位に必死でしがみつこうとするひとりの人間としての姿があるだけだ。


 しかし……。

 何故この手のヤツは自分語りがこうも好きなのか。

 いやまぁ、シンヤも客観的に見れば、異世界転移に巻き込まれた被害者ではあるのだが。


「みんな死ね!」


 自らを鼓舞することで勢いをつけようとしたのか、シンヤは立ち上がるや否や叫びながら『神剣』を上段に構えながらショウジに向かって切りかかる。

 先手を打ったもの、その動きにキレはなかった。

 そんな、ある種『守りの姿勢』に入ってしまったシンヤの攻撃は、ショウジの刀によっていとも容易く受け流される。


「なっ!?」


 ショウジが真っ二つにでもなる――――そんな予想していた光景が現実のものとならなかったのか、シンヤの顔に驚愕が浮かぶ。


「奪う? それは違う。取り戻すだけだ、俺の人生を」


 そう宣言したショウジの唇には、不敵にも見える餓狼の笑みが浮かんでいた。


「そうか、だからあの片手剣ショートソードは……」


 一方、その一撃を受け流したショウジの動きを見て、俺は一人得心に至っていた。


 ショウジが俺と出会ったあの時まで持っていた片手剣は、刃がこぼれもう残り幾ばくもないほどボロボロの状態になっていた。

 しかし、ただ護身用に持っていたのではああはならない。

 生き抜くためとはいえ、幾度となく振るい続けて敵となる人間や魔物を斬り伏せてきたがゆえの代償だったのだ。


 もちろん、片手剣と今持っている刀では使い方が違い過ぎる。

 しかし、武器を己の身体の一部に近付けるべく振るい続けることに勝るものはなく、次第に自身が握る得物の最適な扱い方を

 これは、神の与えし恩恵チートを以ってすら得ることのできない、血と執念だけを積み重ねてのみ得ることのできる唯一のモノだ。

 『神剣』という、一から十までお膳立てしてくれる万能の武器を使っていては到底手に入れることのできない技術を、ショウジは既に身に宿しているのだった。


 それぞれの意思をかけた剣戟が交錯する。

 武器と技術に差はあれど、総合的に見れば二人の実力はほぼ拮抗している。

 その戦いを見やりながら、俺は瀕死となったイリアの傍まで歩いて行き、止血魔法をかけていく。

 ゆっくりと貫通銃創が塞がっていき、少なくともこれ以上の失血で死ぬことだけはなくなった。


、もうちょっとばかり付き合ってもらおうか」


 俺の言葉に、イリアは瀕死の状態ながらも俺の方を親の仇でも見つけたかのように睨み付けてくる。

 嫌われたものだ。

 まぁ、わざわざこんな憎まれ口を叩けば当たり前か。だからといって優しくしてやる義理もない。


 そして、俺もそれ以上のことはせず、とりあえずはイリアにある変化が訪れるのを待つ。

 別に、シンヤとの約束を反故にするつもりはない。

 ただ、ひとつ確かめておきたいことがあったのだ。


 そして、およそ1分後。

 短いスパンで繰り返されていた荒い呼吸が、ついに停止する。

 いくら止血を施したしたとはいえ、銃弾で撃たれたショック状態から完全に回復していたわけではない。

 負荷に耐えきれなくなった心臓が、とうとう機能不全状態に陥ったのだ。


 そう、俺は


 俺は手早く小刀で服の前を切り裂くと、用意していた自動体外式除細動器を素早くイリアの豊かな稜線を描く胸部へと電極パッドを張り付け、ボタンを押して電気ショックの準備をする。

 うーん、こんな状況でなければもう少し色気のあるシーンなのだが。


 そして、その間にイリアの首に付けられていた『隷属の首輪』を小刀を潜り込ませて一気に切り割く。

 この首輪はすぐ裏側を流れる生体魔力反応(おそらく血流?)を探知して外れないように設計されているため、一旦心臓が停止したと錯覚させてしまえば強度を失い外すことができるのだ。

 貴族の教育の一環で知識として奴隷について学んでいたのと、生物が心臓により血液を全身に送り出して生命維持をしていることを知っていたからこそできた芸当でもある。


 そして、ほぼ同時に電気ショックが作動。イリアの身体が跳ね、一拍の空白の後に呼吸が戻る。

 すぐさま造血魔法と治癒魔法をかけて、イリアの負傷を最低限からもう少し治療させる。

 これで、少なくとも失血死する危険性はなくなった。


「はっ! わ、わたし……いま……?」


。おかえり、現世うつしよへ。それと


 俺の言葉にイリアは弾かれたように首に手を当て、そこにあるはずの首輪がないことに気付く。

 数回確かめるように手を這わせたのち、茶色の瞳にこんな顔をするのかと思うほどの驚愕の色が混じる。


「ま、まさか、わたしを解放してく――――」


「おっと、勘違いはするなよ? べつにお前を助けようと思ったわけじゃない。それよりも見るといい。あれが敗者の末路――――その一歩寸前のものだ」


 手を出して俺はイリアの言葉を止める。

 感謝でも言おうとしているなら聞きたくはなかった。

 まだふたりの『勇者』の戦いに決着はついていなかったし、それとは別にと思ったからだ。

 だから、半ば無理矢理に言葉を遮って、俺はイリアにある方向を指し示す。


 そこには、ショウジの猛攻を凌ぎ切れず手傷を負わされたシンヤの姿があった。

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